9 薫、助けに行く(3)
マリアは中央にあるソファで横になってぐったりしていた。両手と両足を縛られ、口には猿ぐつわをされている。萌え萌えカフェのメイド服姿のままだった。
初老の男が「メイドさん、お客様だよ」と言うと、マリアがそっと目を開けた。薫を見るなり、マリアの目が見開き、猿ぐつわの奥からくぐもった声を出した。
「お話したいでしょうが、しばらくは大人しくしていてもらいますよ」
初老の男が中にいたもう一人のヒスパニック系の男と、白人の男に目配せをすると、二人は薫の体を押さえ込んで、ロープで両手、両足を縛り、タオルで口を塞いだ。そしてソファの横に転がされるようにして捨て置かれた。その間、薫はまったく抵抗できなかった。二人の男にされるがままだった。情けないと思いながらも、怖くてどうすることもできなかった。
「このまま大人しくしていれば、身の安全は保証します。お二人は生きてここから出られますからご安心を。しかし、もし、余計なことをするようであれば、その限りではありませんから。これは忠告です。忘れなきように」
初老の男はそれだけ言うと、二人の男を連れて奥の部屋へ行ってしまった。
マリアと二人だけになった。薫はマリアと目を合わせられなかった。意気込んで助けに来たはいいが、こんな醜態を晒しているのが恥ずかしかった。
薫がうなだれていると、マリアの方からソファの下に降りてきた。マリアが肩を揺すって薫を呼んだ。マリアの目は笑っている。
――余裕だな。
笑っているマリアを見て、薫が目でそう訴えかけると、マリアが「もちろんよ」と言うようにしてうなずいた。声は出せないけど、不思議と通じ合っているみたいだ。
そのまま二人はソファを背に、寄り添って座った。落ち着きを取り戻した薫はどのタイミングで動くかを考えていた。一応の用意はしてきた。とはいっても、大したものではない。昔、片那からもらった道具を付けてきただけなのだが、そんなものでも、うまく使えば、この程度の拘束を解くぐらいのことはできると思えた。しかし、あいつらにそのことがバレてしまえば、その時点ですべてお終いだ。最悪、殺されるかも知れない。
初老の男は奥の部屋に入ったきりだが、他の二人の男たちは時折この部屋に来て、壁に飾られてある絵を外して奥へと運んでいる。どれも高価なものなのか、かなり慎重に扱っている。
すべての絵が奥へと運び込まれると、また部屋には薫とマリアの二人だけになった。奥の部屋からは、頻りに物音が聞こえてくるから何か作業をしているのだろうが、ここからでは何も見えない。
動くなら今か。薫は思ったが、たとえ拘束が解けたとしても、武器はなにもない。対して、相手は銃を持っている。
どうしたらいいんだ――。
考えを巡らせていると、人の気配がして薫は目を上げた。初老の男が立っていた。
「気分はいかがですかな」
――猿ぐつわをされている人間に質問かよ。
薫が初老の男を睨むと、「そうでした。そんな状態ではお話ができませんね。これは失礼しました」と言ったが、猿ぐつわを取ろうともしない。こいつ、俺らをバカにしているのか。そんな薫の心中などお構いなしに、初老の男が話を続けた。
「作業が終わりましたので、私はこれで失礼します。あとは、あの二人の言うことに従って下さい。それでは、神の御加護があらんことを」
初老の男が胸で十字を切った。そして二人の男に軽く手を上げると部屋から出て行った。入れ代わりに白人の男が薫とマリアのところへ来ると、手に持っていたスキットルを口に持っていった。不快なアルコールの臭いが漂ってきた。男は薫とマリアを交互に見ると、フンと鼻を鳴らして不敵な笑みを浮かべた。
もうひとりの男が、大きなキャスターバッグを引きずって、こっちへ向かって来る。
「チャールズ、本当に殺っちまうのか。フランクさんからは、生かして帰せと言われているだろ」
男がキャスターバッグを横に置くと、大きく息をついた。バッグは人が入れそうなほどの大きさで、かなり重そうだ。
「事情が変わったってよ。いま出て行ったイワサキの爺さんがフランクからの伝言だからと、さっき言ってきた。まあ、あの絵を見られてしまったからな、それも仕方ないか。もしかしたら他に理由があるのかも知れないが、そんなことはどうでもいい。俺たちの知ったことではないからな」
チャールズと呼ばれた男が淡々と言うと、ヒスパニック系の男が納得したようにうなずいた。
「それにしても、わざわざ外から見えるように車を置いておいたのに、なんで入ってきちまうんだろうな。あれはここに俺たちがいるから危ないぞ、っていうサインだったのに入ってくるんだから、これはもう自業自得ってやつだな、なあディンゴ」
チャールズが大声で笑うと、ディンゴもつられるようにして大声で笑った。
「でもまあ、お嬢ちゃんがここに来ても来なくても、いずれは死んでもらう予定だったからな。早いか遅いかの違いだ。なんせ、俺たちは、お嬢ちゃんみたいな小娘に、人前でコケにされたんだ。きっちりと、けじめを付けておかなければ、俺たちのメンツが立たないんだよ。そうだよな、ディンゴ」
ディンゴがその通りだと言って、また大声を出して笑った。
「まあ、そういうことだ。最初から、ここは用が済んだら爆破することになっていたけど、フランクの命令で、お嬢ちゃんたちも一緒に爆破することになったんだ。でも、こっちとしては、手間が省けていいぜ。助けに来ただけの隣のお兄ちゃんにとってはとんだ災難だろうけど、これも運命と思って諦めてくれよな」
チャールズがマリアの前に来ると猿ぐつわを取った。
マリアが大きく息を吐いた。
「これはサービスだ。死ぬ前に、彼氏とお話したいだろ」
「私のことはいいから、薫は逃しなさいよ」
マリアがチャールズを睨みつけた。
「気持ちはわかるけど、それは出来ない相談だな」
「なぜよ。薫には関係ないでしょ」
「絵を見られたんだ。こうする他はないという上の判断だ。俺たちが決められることではないからな。悪く思うなよ」
「絵って何よ。まったくわからないんだけど」
「そんなこと、お前たちが知る必要はないんだよ」
横からディンゴが口を挟むと、チャールズが「お前は黙っていろ」と一喝した。ディンゴは不満そうにしたが、チャールズはそんなことなどお構いなく、薫とマリアに目を向けた。
「悪かったな。こいつも少しばかりエキサイトしているんでな。ただ俺が言えることは、お前らは見てはいけないものを見たということだけだ」
マリアは何も言わずにチャールズを見ている。
「ということで話は終わりだ。まったく、お嬢ちゃんには手をかけさせられたな。本当ならこの手でぶっ殺してやるところだけど、俺たちは鬼じゃねえ。彼氏の目の前でそんな無粋なことはしないさ」
チャールズがディンゴに合図を送ると、ディンゴはキャスターバッグを開けた。中にはひと目で爆弾とわかる代物が仕込まれていた。
「これは新型の爆弾だ。破壊力はテロリストのお墨付きってやつだ」
ディンゴが自慢気に言うと、声を上げて笑った。
「つまらねえこと言ってんじゃねえ、バカ野郎」
チャールズが一喝すると、ディンゴが「すみません」と言ってうなだれた。
「これ一つで、この建物は木っ端微塵に吹き飛ぶ。もちろんお嬢ちゃんと彼氏も粉々だ。苦しまずに死ねるから心配しなくてもいいぜ。このタイマーが作動してから五分後に爆発するから、その間に、ちゃんとお別れを言うんだぞ」
チャールズがタイマーを作動させるようディンゴに言った。そしてマリアに近寄ると、顎に手を当ててニヤリと笑いかけた。マリアがチャールズの顔につばを吐きかけた。チャールズが顔に吐きかけられたつばを拭うと、マリアの胸ぐらを掴んだ。ディンゴが、そんなことに構うな。早くしろと言って、マリアからチャールズを引き離した。
「もうタイマーは動いている。さっさとずらかろう」
ディンゴの言葉にチャールズはあからさまに不満の表情を湛えたが、そのまま部屋から出ていった。
部屋には薫とマリアだけが取り残された。
タイマーは四分を切っている。
マリアは薫に後ろを向いてと言うと、薫の口に巻かれてあるタオルの結び目を、口を使って解き始めた。
マリアが口を動かす度に、薫の肩や背中にマリアの胸が当たる。そして耳元ではマリアの息遣いが聞こえる。マリアは必死なのか、そんなことは気にも止めていないのだろうが、薫にとっては刺激的すぎる。これほど近くで女の子を感じるのは初めてだ。
――こんな時に、何を考えているんだよ、俺はバカか。
「なに、赤くなっているのよ、こんな時に」
やはりマリアも同じことを思っている。たぶん――。
それはそうだ。やっぱり俺はアホだ。タオルが解けて、自由に話せるようになったのに薫の口からは言葉が出てこない。
「あとは、結ばれたロープだけか……」
そう言ったマリアの口調からは、諦めの色が感じられた。両手、両足にきつく縛られたロープはそう簡単に解けそうもない。
「やっぱり、駄目かな」
マリアがため息を漏らした。
「ねえ、キスして」
「こんな時に何考えているんだよ」
「それはお互い様でしょ。それに何かしていないと落ち着かないのよ」
薫はタイマーを見た。
――あと三分。
「マリア、俺のベルトのバックルを開けろ」
「何よ」
「いいから早くしろ」
薫の大声に、マリアがびっくりしたようにキョトンとした。
「歯を使ってベルトのバックルを開けろ。俺は手が前に回せないからできない。頼む、早くしてくれ」
マリアは言われた通りに、バックルに口を近づけてきた。
「早く、早くしてくれ」
薫は叫んだ。タイマーはすでに二分を切っている。
カチッという音がするとマリアが顔を上げた。バックルから飛び出したナイフを見たマリアの目が笑っている。
見た目は大きめのただのバックルだが、その中には、ナイフや糸鋸やワイヤーなどが仕込まれてある。前に、片那から自慢気に見せられたものを無理やりもらったものだった。片那が言うには、バックルに仕込まれてあるものは、どれも特別に作られたもので、ナイフなどは外科手術用のメス並の切れ味があるらしい。もちろんどこにでも売っているようなものではなく、昔、外国人の友人に貰ったものだと言っていた。
マリアが後ろ向きになり、薫が慎重に誘導してロープの部分をナイフに当てると、ロープはすんなりと切れた。マリアは薫のズボンからベルトを外すと、バックルを手に取って、足を縛ってあるロープを切った。
「早くしろ、あと一分もない」
まだ両手、両足を縛られたままの薫は気が気でなかった。マリアは、わかっているから黙っていてと言いながら、薫を拘束しているロープを切った。
薫は立ち上がるとタイマーを確認した。三十秒を切っている。
「まずい、急げ!」
薫は叫ぶと、マリアと共に出口に向かって走り出した。静まり返った部屋の中に二人の足音がバタバタと響き渡る。二つのドアを通り抜けて外へ出ると、マリアが薫の手を取って隣の空き地のコンテナの陰に身を潜めた。
その瞬間、地鳴りのような大きな爆発音が轟き、敷地内が炎に包まれた。コンテナが宙を舞い、爆破された建物の残骸が、足元近くに飛んできた。それを見て、薫の足が自然と震え出した。ついさっきまでいたところが、地獄絵図のような様相を呈していた。
マリアが立ち上がると、止めてあったバイクに手を載せた。
「さあ、行くわよ」
「行くわよって――、それってR1000Rじゃねえか。どうしたんだよ」
「いま頃気づいたの? ここへ来たときの足よ」
マリアは淡々と言って、コンテナの隙間に置いてあったAK―47を背負った。
「来たときの足って、それに、そのAK……」
「本物よ。理由は後で話すから、早く後ろに乗って」
「だから、どこへ行くんだよ」
「もちろん、あいつらのところよ」
「どこにいるのか知っているのか?」
「あいつらが話しているのを聞いていたから」
マリアはR1000Rに跨るとエンジンを掛けた。薫は訊きたいことはあったけど、そんなことは後回しだ。マリアが行くというのなら、地獄の底までついて行くしかない。薫がタンデムに座ると、R1000Rは滑るように走り出した。
朝まだきの街にR1000Rのエキゾーストノートが響き渡る。マリアは前を行く車を次々とパスしながら快調に飛ばした。薫は恥も外聞もなく、両手をマリアの腰に回してしがみついていた。スピードメーターは百キロを超えている。恐怖に慄く薫をよそに、マリアは速度を落とす気配はない。
――ノーヘルだし、事故ったら確実に死ぬな。せっかく助かった命なのに。
薫はきつく目を閉じて、早く止まってくれとひたすら祈っていた。
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