10 好き、なのかな?

 速度が落ちるのを感じた。薫はゆっくりと顔を上げると、その途端、急停止した。その衝動で薫はマリアが背負っているAK47のフォアエンドに思い切り額をぶつけてしまった。


「どうした」


 薫が額をさすりながら訊くと、マリアが「あれ」と言って、先に見えるコンビニの駐車場に止まっている黒のクーペを指した。


「倉庫の外に止まっていた車だ」

「奴らの車よ」


 しばらく様子を見ていると、チャールズとディンゴがコンビニの袋を下げて車に戻ってきた。


「朝飯でも調達したのかな」

「呑気なものね」

「どうする?」

「そうね、もう少し泳がせる? それとも、ここでケリをつける?」

「ここでケリをつける」

 薫は即答した。恐怖のランデヴーはもうごめんだ。


 マリアはそれもそうねと言ってR1000Rから降りるとAKを構えた。

 黒のクーペが動き出した。ほぼ同時にAKの銃声が二回轟くと、黒のクーペが車体を沈み込ませて止まった。


 ――すげー。

 思わず薫は唸った。


 チャールズとディンゴが車から降りてきてタイヤの様子を見ている。マリアはAKを構えたまま二人に狙いを定めている。


 もう一発放たれた。弾丸が二人の間をすり抜けてリアガラスを撃ち抜くと、ようやく二人はこちらのことに気がついた。


 二人がこっちを指差して何か言っている。遠くて何を言っているのかわからないけど、ひどく慌てている様子だけはわかる。そして薫とマリアに向けて銃を撃ってきた。


 薫はそんな二人を見ていて、出来の悪いコントを見ているようで可笑しくなった。あんな銃で何が出来るというのだ。ここまでは優に三百メートルはあるというのに、届くわけがない。


 再度、マリアが続けざまに三発放った。燃料タンクを撃ち抜かれた黒のクーペが爆発音とともに炎に包まれた。


 チャールズとディンゴが走り出した。


「薫、乗って!」

 マリアがR1000Rに跨った。


 薫がタンデムに飛び乗ると、マリアはフルスロットルで発進させた。経験したことのない加速Gに、薫の息が止まった。だが、それもほんの数秒のことだった。


 マリアはバイクをチャールズとディンゴの前に回り込ませて止めると、AKを二人に向けて、愛らしい笑みを浮かべた。燃え盛る黒のクーペをバックに、チャールズとディンゴが震えながら両手をあげた。


「私たちを殺そうとしたのだから、それ相応の報いは受けてもらうわよ」

 マリアがAKの銃口を向けたまま二人を見据えた。


「それじゃあ、覚悟してね」

 マリアが銃口をチャールズに向けた。


 チャールズがきつく目を閉じた。


「ちょっと待てよ」

 薫が慌ててマリアを止めた。

「何?」

 マリアが不機嫌そうな表情をして薫を見た。

「まさか、本当に殺すつもりじゃないだろうな」

「いけないの?」

 あっさりとマリアが言った。

「この二人は、私たちを殺そうとしたのだから、死を持って償うのは当然のことだわ」

「でも……」

「こいつらの頭をAKでぶち抜いて、散らばった脳みそを野良犬にでも食べさせるぐらいのことはして当然だと思うけど。それとも薫はそれだけでは不満なの? もし殺り方にリクエストがあったら言ってね。なるべく期待に沿うようにするから」


 マリアは話しながらも、AKの銃口をチャールズとディンゴ、交互に向けて動かしている。銃口が動く度に、向けられた方の表情が引き攣る。


 ――やっぱり、殺しちゃまずいだろ。

 薫はどうにかして止めようと思った。


その時、派手にスキール音をたてて、赤いシボレー・カマロが駐車場に入って来た。

マリアがAKを二人に向けたまま視線だけを動かした。


 運転席からサングラスをかけた白人の男が降りて来た。男は状況を確認するように見回すと、やれやれという感じで、腰のあたりで両手を広げた。


「悪いが、俺はこの二人に用があるから、あんたたち……、じゃなかったな、失礼、マリアさんと薫くんは、このまま消えてくれないかな」


 男が薫とマリアを見ながら言った。


「あなた、誰? それに、なぜ私たちの名前を知っているの?」

「そんなことはどうでもいい。君たち二人がすべきことは、この大バカ二人を置いて、すぐにここから立ち去る。それだけだ」


 男がサングラスをとると、薫とマリアをやんわりとした表情で見た。その表情は見ようによってはバカにしているようにも見える。


 男との間に不穏な空気が流れた。ただ立っているだけなのに、男からは異様なオーラを感じる。こいつはやばいやつだ。薫はそう直感したが、マリアはまったく違った。


「ごめんなさいね。私たちの方が先なの。この人たちに用があるのなら、あとにしてくれないかな。――あなた、邪魔よ」


 マリアは言い終わるや否や男にAKを向けると、メイドカフェで客を迎える時のような営業スマイルをしてみせた。


 男が両手を広げて苦笑いをした。そして、笑みを湛えながら上着の内側に右手を素早く滑り込ませると、コルト・パイソンを抜いてマリアに向けた。


「これで、言うことを聞いてくれないかな、メイドさん」

 男の表情は真剣だが目だけは笑っている。


 マリアもなんの躊躇いもなく、AKを男に向けたままでいる。


「悪いことは言わない。このままさっさと消えたほうがいい。俺はあんたを撃ちたくはないからな」


 男がそう言って、手をあげたままでいるチャールズにコルト・パイソンを向けると引鉄を引いた。銃声とともに、チャールズの左手首からするりと腕時計が地面に落ちた。チャールズは身動きせずに青ざめた顔で男を見ている。


「良い腕ね。でも、私も狙いは外さないわ」


 マリアがディンゴにAKを向けた。ディンゴは顔を引き攣らせ、体を小刻みに震わせている。だが、そんなことにはお構いなしにマリアは引鉄を引いた。銃声と同時にディンゴの頭の上に乗せられてあったサングラスが粉々になって吹き飛んだ。


 男が大きく息を吐いた。


「ならば、こうしよう。俺はレイちゃんを通して、マリアさんに警告をしてあげたし、薫くんには、マリアさんの身の危険を知らせてあげた。あまり意味をなさなかったみたいだけど、俺なりにマリアさんを気遣ったつもりだ。だから今回は俺に対して、そのお返しをするというのはどうだろう。恩を受けたら、お返しをするというのはロシアでも同じだと思うけど、どうかな」


 男がコルト・パイソンを脇のホルスターに仕舞いながら言った。


「マイク・スミス……」


薫がつぶやくと、男がわずかに口角を上げた。


「薫、行こ」


 マリアがAKを背負うとR1000Rに跨った。薫がタンデムに座ると、R1000Rはゆっくりと動き始め、駐車場を出た。


 薫は男がマイク・スミスだと知って、様子が一変したマリアのことが気になった。レイがマイク・スミスからの伝言を持ってきた時、マリアはレイがからかわれただけだと笑っていたけど、本当はそうではないことを知っていたように思える。


 そもそもマイク・スミスは何者なのだろう。片那はまだ調べている段階だと言って、何も教えてくれなかったが、何か得体のしれない雰囲気を醸し出していた。それにマリアともなにか関係がありそうだ。でも――、いまはそんなことなど、どうでもいいことだ。ここは救われたと思うべきだ。あのままだと、マリアは本当に二人を殺していたかもしれないから。


 とりあえず家に帰ろう。考えるのはそれからだ。


* * *


 家に着くと、みんなが自分たちを待っていた。尾上も一緒にいた。薫とマリアを見ると、一様にほっとした表情を浮かべた。帰る途中で電話を入れておいたのだが、実際に顔を見るまでは安心できなかったのだろう。


 楓音は自分だけが何も知らされていなかったことに不満そうだったが、すぐに、無事に帰ってきて良かったと言って、みんなと一緒に喜んでいる。少しばかり能天気だが、これが楓音のいいところでもある。


「乗ってきたR1000Rは誰のだ?」

 薫が座るなり片那が訊いてきた。無類のバイクマニアである片那にとって、気になるのは当然のことだろう。


「知らない」

 マリアがそっけなく言って、そっぽを向いた。


「そういえば、うちのメイドにバイクを持っていかれたという苦情が入っていたみたいだけど、あれって、もしかして、マリアちゃんがやったのか」

「ちょっと借りただけですよ。店長、変なこと言わないでください」


 どこから持ってきたのだろうかと思っていたけど、やっぱり盗んだバイクだったのか。薫は呆れて声すら出なかったが、マリアはノンシャランとしている。


「あんなモンスター、よく運転できるな。だけど、ちゃんと返しておけよ。もし、俺のバイクが持っていかれたらと思うと、良い気がしない」

 片那の声は、尾上と違ってマジに聞こえる。

 片那のバイク愛は尋常ではない。少し前に買い替えた愛車のNinja 1000は、自分の命だと言うぐらいなのだ。


「借りただけですよ。ちゃんと私の名刺も渡しておいたし」


 マリアはあっけらかんと言う。が、そんなマリアを見て、とても自分には真似ができないと薫は思った。ここまでくると感心すらしてしまう。


「まあいい。俺がちゃんと返しておくから。マリアちゃんは心配しなくてもいいよ」

 尾上が大声で笑った。

「ありがとう、店長。お願いします」

 マリアがすがるような甘い声で言った。


 ――なんだ、この変わり身は。でもまあ、どうでもいいか。どうせ俺には関係のないことだし。


 薫とマリアは由佳が作ってくれた朝食を食べると、薫は部屋に戻り、マリアは風呂に入った。体中、汗でベトベトしていて、薫もシャワーを浴びようかと思ったが、疲れ切っていてそんな気にはなれなかった。ほとんど家から出ることのない生活を続けて、なまりきっていた体には過酷過ぎる一日だったようだ。


 薫は自分の部屋に戻ると、布団の上で横になった。自然と体の力が抜けて、眠気が一気に襲ってきた。ゲームをしていて、いつの間にか朝が来ていたことは何度もあるけど、そうでない徹夜は初めてかもしれない。


 なぜ、あんなに必死だったのだろう。

 薫は目を閉じて思いを巡らせた。

 あんな怖い思いをしても、マリアを助けたかったということは、マリアのことが好きだということかな? もしそうなら、それは異性としてなのか、それとも友達としてなのか。

 そんなこと、わかるわけないだろ。

 薫は即答した。


 ということは、マリアのことを異性として見ているかもしれない部分もあるということだな。

 それは否定できない。

 だから、そんなこと……。

 おい、薫。こんな自問自答をしていて虚しくならないか。男ならな……。


 うるせえな。続きは起きてからにしてくれ。いま俺は眠いんだ。

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