11 仲睦まじく、ロシア式

 部屋のドアがノックされる音で目が覚めた。窓にかかるレースのカーテンがゆるやかに揺れている。外はまだ明るい。枕元の時計は三時を少し回っている。


 薫は寝そべったまま返事をすると、片那が入っていいかとドアの向こうで言った。息子の部屋に入るぐらいで、そんなに畏まるなよと思いながらも、入っていいよと声をかけた。


 片那が薫の部屋に入ってくることはほとんどない。由佳はしょっちゅう入って来て、掃除をしろだの何だのと小煩いことを言うのが、日常茶飯事のようになっているが、それとは対象的だ。


「もう、起きている頃かと思ってな。ちょっといいか」

 片那が部屋に入ってきた。薫は布団を畳んで、片那と向き合った。


「薫、よくやった。今回は褒めてやる」


 片那がいきなり切り出してきて、薫は面食らった。片那から褒められるなど、小学生の時、テストで百点を取った時以来だ。ただ、あのテストはあまりにも簡単すぎて、クラスのほぼ全員が百点だったから、褒められてもあまり嬉しくはなかった。だけど、今日は違う。なんか変な気分だ。


「まさか、薫が一人で出ていくとはな。レイから聞いた時は心配したけど、嬉しくもあった」


 こうして面と向かって言われると照れくさい。親子なのに、どう反応していいのかわからなくなる。


「とにかく、薫は偉い」

 片那がニッコリと笑った。


「そんなことねえよ。マリアがいなかったら、俺のほうがやばかった」

「そうだろうな」

「親父、知っていたのか?」

「当たり前だ。親友の娘だからな。マリアのことは小さい頃からよく知っている。銃の扱いは完璧に教え込まれているし、知識も豊富だ。薫よりも知っているだろう」

「マリアはKGB……じゃなくて、FSBなのか?」

「そんなこと、あるわけないだろ。マリアはまだ十七歳だからな。セルゲイが勝手に教え込んでいただけだ。女の子にあんなことを教えるなんて、何を考えているのかまったく理解出来ないけどな。母親のヤーナも、何度もやめさせようとしたけど、まったく言うことを聞かなかったらしい。本当に、わけのわからない奴だよ、セルゲイってのは」

「そうなんだ。とにかく、俺はほとんど役に立っていない。マリアがあれほど凄いとは思っていなかったから、助けてやるだなんて思っていた俺は、完全なピエロだったよ」

「そんなことはないぞ。マリアは薫が来てくれて助かったって言っていたよ」

「マリアが?」

「薫が寝たあとに少し話をしたんだ。もし、お前が来てくれなかったら、建物と一緒に吹き飛んでいたって」

「それだって、親父からもらったバックルのおかげだからな」

「まあ、そう自分を卑下するな」

「俺がしたのは、それぐらいさ。あとはずっと、マリアにおんぶにだっこ状態で逃げてきただけさ」

「まあいい。ところで薫に訊きたいことがあるんだが」


 薫は先を促すように小さくうなずいた。

 片那は、マリアから聞いたことだとして、建物で会った日本人と、チャールズとディンゴ、それにマイク・スミスの特徴や会話の内容などを薫に話して、これで間違いないかと訊いてきた。


「間違いないよ。大体そんな感じだった」

「あと部屋には絵が飾られてあったらしいが、どんな絵だったからわかるか?」

「絵のことはよくわからないけど、扱いはかなり慎重だったな。たぶん高価なものなんだろうな」


 片那が軽くうなずいた。そして、よしと言って軽く膝を叩くと、話はこれだけだと言って立ち上がった。


「一つ訊いていいか」

 薫が呼び止めると、片那がうなずいた。


「なぜマリアは狙われたんだ。それにマイク・スミスの正体、もう、わかっているのか?」


「おおよそな。だが、それも含めて、すべてはこれからだ」

 そう言い残して片那は部屋から出ていった。


* * *


 薫が縁側で休んでいると、マリアが横に座ってきた。何しているのと言うマリアに、特に何をしているわけでもなかったから、薫は適当に返事をすると、マリアは「そんな面倒くさそうにしない」と、まるで由佳の小言みたいな口ぶりで言った。


「楓音とレイは、明日東京サマーフェスティバルに行くみたい」

「そうか。マリアも行きたそうだな」

「当たり前でしょ。フェスティバルだよ、お祭りだよ。行きたいに決まっているでしょ。本当は一緒に行くはずだったのに、片那お父さんも、由佳お母さんも休んでいなさいって。私はこんなに元気なのに」

「仕方ないさ。あんな事があったばかりだからな」

「薫って大人なのね」


 マリアはムスッとしている。薫はマリアが子供なんだろと言いかけたが、むくれているマリアの横顔が愛らしく見えたからなのか、その言葉は口から出ることはなかった。


 でも、この雰囲気、今朝のマリアとはまったく違う。どちらが本当のマリアなのだろう。できれば、いまのマリアが本当のマリアであってほしい。


「どうしたの?」

「かわいいな、って思って」

 自然に出た言葉だった。これまで、女の子にこんな事を言ったことはない。


「ありがとう」

 照れる様子もなくマリアが言った。


「でも、マリアって凄えよな。R1000Rみたいなモンスターを自在に乗り回したりしてさ。それにAKの扱いも完璧だし」

 薫は努めて明るい雰囲気を取り繕った。


「私のこと、嫌いになった?」

「そんなわけないだろ。なんで銃を扱えることを隠していたんだよって思っているぐらいさ。今度、銃の撃ち方を教えてくれよ。俺も一度は実銃を撃ってみたいからな」

「そんなことなら、ロシアに来れば、いつでも教えてあげるよ」


 薫はマリアとの間にあった垣根がなくなったような気がしていた。昨日までよりもマリアが近くに感じる。マリアが薫の肩に頭をもたせ掛けてきた。マリアの頭の重みが心地いい。


「薫が来てくれて嬉しかったよ。もし来てくれなかったら、私はあそこで死んでいたから」

「来たというよりは、捕まって連れていかれたというのが、本当のところだけどな」

「それでもいいの。薫は私のために来てくれた。それが嬉しかった」


「あー、なになに、何しているの。ちょっといい雰囲気なんだけど」

 薫がドキッとして後ろを見ると、楓音がこっちを見て立っている。


「そんなんじゃないよ。ロシアでは普通にあることだから。家族とか仲のいい人とかと、よくすることだよ」


 ――本当かよ、おい!


 薫と違って、マリアは落ち着いている。

 楓音は「えっ、そうなの」と何の疑いもなく言うと、マリアの横に座り、同じようにして頭をもたせ掛けた。


「あっ、本当だ。なんかいい感じ」

 楓音のやつ、あっけなく騙されていやがる。我が妹ながら情けなく思う。


「レイちゃーん。レイちゃんもこっちおいでよ。気持ちいいよ」

 楓音が大声でレイを呼ぶと、薫は頭を抱えた。


 ――呼ぶんじゃねえ!


 もちろん、薫の心の叫びなど楓音に聞こえるわけもない。

「ねえ、ねえ、これってロシアでしていることなんでしょ。すんごく、気持ちいいよね」

 楓音が言うと、レイはキョトンとした表情を浮かべている。


 楓音の言っている意味がわからないのは理解できるけど、とにかくそのまま黙っていてね、レイちゃん。


 はらはらしている薫をよそに、マリアは頭をもたせ掛けたまま、気持ちよさそうに目を閉じている。


 マリアは我が道を行くか。俺もこれぐらい肝が座っていなければならないんだよな。この程度で、何おどおどしているんだよ。


 カッコ悪。

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