12 駆け引き(1)

 マイク・スミスは約束の時間よりも少し早く、八重桜公園の噴水広場に着いた。

思っていたよりも人がいる。カップルや若者のグループが多い。あたりを見回してみたが、フランク・マッキンゼーはまだ来ていないようだ。


 コンビニの駐車場でチャールズとディンゴを確保したマイクは、その場でフランクに電話を入れて、一対一で、直接会うことを提案した。普通ならマイクと直接会うことなどしないだろう。だが、マリアの誘拐計画が失敗したことで状況は変わった。マイクはフランクが必ず出てくると確信していた。


 思っていた通り、フランクはマイクの提案を受け入れた。しかし時間と場所は指定してきた。約束の時間は夜の八時。そろそろか――。


 背後に人の気配がしてマイクは振り返った。見ると、白人の男が立っている。夜とはいえ、この蒸し暑いのに長袖のシャツにネクタイを締めて、上着まで着ている。がっしりとした身体を包んでいるスーツは、ひと目で上等なものだとわかる。それに引き換え、マイクはジーンズにティーシャツ、靴はスニーカー。一応、ブランドものだが、フランクとはあまりにも対照的だ。


 男はマイクを見据えたまま右手を差し出して来た。

 マイクがその手を握ると、男は小さくうなずいた。


「ミスター・マッキンゼーですね」

「フランクでいいですよ。でも、私はあなたのことをどうお呼びしましょうか。マイク、それともハリー、どちらがよろしいでしょうか」


 ――ジャブで様子見というところか。マイクは表情を変えずに腹の中で笑っていた。この程度のことで、イニシアチブを取ろうだなんて、ブルーパンサーのボスにしては浅はかすぎるぜ。


「天下のブルーパンサーのボスになら、どちらの名前で呼ばれてもいいですよ」

 マイクは必要以上に、にこやかにしながら言った。

「それではマイクと呼ばせてもらいましょう」

「わかりました」

「それではマイク、早速ですがご要件を伺いましょうか」


 ライトアップされた噴水が高らかに吹き上げられた。キラキラと光る水しぶきの向こう側から若者たちの歓声が聞こえてきた。


「あなた方が盗んだ「セーヌ川の月」を返してほしい。それだけです」

「また、それですか。予想はしていましたが、まさか同じことをまた言われるとは思いませんでした」

「仕方がありません。任務ですから」

「任務ですか。まあいいでしょう。そういえば、あの取引で、私はジョージとアンディを失ってしまいましたが、もしかしたら、今度は私が逮捕されるかもしれませんね」


 フランクが探るような目つきでマイクを見た。冗談とも本気ともつかない表情、しかし目だけは笑っている。


「そんなことはありません。事実、ここには警察の姿はありませんから」

「冗談ですよ。初めからそんなことなど心配しておりません。マイクがそんな無粋な真似をするはずがありませんからね」

「信用されていると受け取ってもいいでしょうか、それとも皮肉でしょうか。まあ、どちらでもいいですが」

「マイクが思われている方で構いませんよ」

「では、そうしておきます。それよりも、ジョージとアンディは本当に残念でした。なぜあんなことになったのか……。とにかく残念です」

「ええ、我々にとっては大きな痛手です」

「あの取引で、任務が終わると思っていましたから、あのあとは本当に落胆しました。予定通りなら、今頃はアメリカに戻っているはずなのに、こうしてまだ日本にいる。悪い夢でも見ているような気分です」


「私も同じようなものですよ。なぜ、あんなことになったのか、事の真相を知りたいものです」

「そうですね。何の障害もないはずでしたから。「セーヌ川の月」は指定された場所の近くにある倉庫で受け取る。その代わりに、これからブルーパンサーが日本から運び出す他の美術品については一切関与しない。たったそれだけのことでしたのに、指定場所に赴いたときには、すでに警察が張り込んでいました。私は少し離れたところから様子を見ていましたが、ジョージとアンディはそのまま行ってしまった。その結果、あんな事になってしまった。密告があったのならわかりますが、そんなことなど、あり得ませんからね

「今となっては仕方のないことです。お互い運がなかったのでしょう」

 フランクが淡々と言った。

 思惑とは違う反応に、マイクは少しの違和感を覚えた。


「わかりました。終わった話をしても、先には進みませんから。この辺にしておきましょう。それでは、もう一度言わせてもらいますが、「セーヌ川の月」をお返し願えませんでしょうか」


 フランクが大きく息を吐いた。


「残念ですが、それはできません」

「なぜですか? ジョージとアンディは逮捕されてしまいましたが、あの取引はまだ生きていると私は思っていますが」

「あんなことがありましたからね。マイクは我々と取引をする気がないとみなして、すでに他の相手とディールを済ませてしまいました」

「ディール、ですか?」

「私たち側のビジネスのことです」

「なるほど。でも、あなたたちのビジネスのことはよくわかりませんが、もしお返しいただけないのなら、相応の不利益を被ることになることは、お伝えせねばなりません」


「ご忠告はありがたいのですが、できないものはできない。諦めていただきたい」

「このままだと、あなたはもちろん、ブルーパンサーのメンバーは日本から出ることはできなくなります。もちろん盗んだ絵も同様です。しかし「セーヌ川の月」だけを返せば、何の問題もなくなる。あなたたちは他の美術品とともに祖国に帰り、上等なワインを片手に美味しい料理を楽しむことができます」


「しかし我々が捕まれば、絵は日本の当局によって管理されてしまいますが、それでもよろしいのですか。そうなったら、この件をあなたに依頼した人物は、さぞ困ることになるでしょう。当然、そのことはあなたたちにとっても、良いことではない」


 マイクにはフランクが言っている意味がわからなかった。なぜ、あのジジイが困ることになるのだろうか。


「そのご様子ですと、あの絵が取引された背景をご存知ないようですね」

 フランクが余裕の笑みを浮かべた。


「この際ですから、お教えしましょう。「セーヌ川の月」は、この日本で、日本人の美術商によるプライベートセールで購入されたものです。もちろん購入した人物は、マイクもよくご存知の方です」


 マイクは冷静さを装っていたが、胸の内は爆発寸前だった。逆に、フランクはイニシアチブを取っていることで余裕の表情でいる。


「続けましょう。価格は一億ドル。もちろん支払いは現金でなされました。ゴッコの絵ですからそれなりの高値がつくのは当たり前のことですが、それにしても、あの絵の評価額を考えたら少々高すぎる買い物です。なぜだと思いますか」


 フランクがマイクの反応を確かめるように、一旦、話を切った。


 ――あのジジイ、やはり俺たちに黙っていたことがあったのか。

 高すぎる買い物に、支払いは現金。それだけ言われれば、おおよその見当はつく。


「さすがCIAの諜報員。すぐに察しがついたようですね。私の部下も、あなたのように聡明でしたら、少しは楽なのですが。まあ、それはいいとして、私が思うに、それはあなた方にとっては、あまり良いことではないような気がしますが」


 言うことは理解できるが、こいつらに屈することはできない。いや、したくない。こいつらの高笑いの種になるなど、まっぴらごめんだ。


「フランクは私のことを心配してくれているみたいですが、それには及びません。あのジジイがどうなろうと、そんなことは、私の知ったことではありませんから。言われた任務を遂行する。私がすべきことは、ただ、それだけです」

「それでいいのであればご自由になさればいいでしょう。ただ、一つだけ教えてください。なぜ、それほどこだわるのです」

「さあ――。言われたことをこなすのが、使われている人間の努めだからと、この場では言うべきでしょうか。私みたいな下っ端が、上からの指示に逆らったら、いつ首を切られるかわかりませんので」


 そう言ってマイクは親指を首に当てて、横に切る仕草をしてみせた。

 二人の間に生温い風が吹いた。

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