9 薫、助けに行く(1)

 薫は苛々しながらスマートフォンの画面を見つめた。もうこれで何度目だろう。気がつくとスマートフォンを手にしている。すでに夜の十時を過ぎているのに、まだ片那からの連絡はない。もしマイク・スミスからの警告が本当のことになってしまったのならば、状況は最悪だ。


 マリアが萌え萌えカフェにあらわれた二人組の暴漢を追って店から出ていったと尾上から片那に連絡が入ったのは昼過ぎだった。


 横にいて話を聞いていた薫は、すぐにマイク・スミスのことが頭を過ぎった。出かけようとする片那に、薫は一緒に行くと言ったが、何かわかったらすぐに連絡すると言って片那は一人で出ていった。


 たとえ一緒に行ったところで何の役にも立たないことは、薫自身よくわかっていた。片那は警察にも知り合いが多いし顔も利く。自分は家で待っていればいい。これまでの薫だったら、迷うことなくそうしていただろう。でも、いま胸の内で感じている、もどかしさと苛立ち、それに頻りに襲ってくるえも言われぬ不安感は何なのだろう。何かしなければ、なんとかしなければ、そんな思いが胸の奥から湧き出てくる。


 薫は耐えきれずに、片那に電話を入れてみた。片那はすぐに出た。薫が状況を訊くと、見つからないどころか、手がかりさえないと返ってきた。そして尾上の情報網も使って全力で探しているから心配するなとだけ言うと、そのまま電話は切れてしまった。


 薫はスマートフォンを横に放り投げて畳の上で大の字になって大きく息をついた。


 やっぱりこうなる。結局、どんなに心配しても、どうにかしたいと思っても、いまの自分は心配しながら片那の連絡を待つことぐらいしかできないのだ。


 ――俺は何もできない。まったくの無力なんだ。

 頭の中に自分を卑下する言葉が次々と渦巻く。

 ――マリア……。

 目尻から自然と涙がこぼれ落ちた。しかし薫は涙を拭かずに唇を噛み締めた。


「薫お兄ちゃん」

 いきなり部屋のドアが開いて、レイが入ってきた。薫は慌てて飛び起きると、レイに隠れて涙を拭いた。

「なんだよ、いきなり」

「お姉ちゃん、どこかへ行っちゃったの?」

 ――やはりレイは知っていたのか。


 心配するから楓音とレイにはこのことは言うなと、片那から言われていたから何も言わなかった。由佳がマリアは今日、遅くなるから先に食事を済ませましょうと言った時も、楓音とレイは何の疑問も抱いていないように見えた。しかし自分の姉がこの時間まで帰ってこなければ、レイなりに色々と考えたりするのだろう。


「知っていたのか」


「さっき片那お父さんと電話で話していたでしょ。それに夕方からお兄ちゃんと由佳お母さんの様子が、なんか変だなって思っていたから、お姉ちゃんに何かあったのかなと思って、ずっとお兄ちゃんの様子を気にかけていたの。なんで、もっと早く教えてくれなかったの?」


「そうか。ごめんな、親父からレイが心配するから言うなって言われていたんだ。でも心配しなくてもいいよ。いま親父と尾上さん、それに警察も動いているから大丈夫だよ。レイは部屋で待っていればいい。もう十一時だし、寝て待っていればいいんじゃないかな。帰ってきたら起こしてあげるから」


「薫お兄ちゃん、子供扱いしないでよね。レイはもう十五歳なんだから」

 レイが頬を膨らませた。


 そういうところが子供なんだよ――。でも、そんなことを言っても仕方がない。薫は無理に作り笑いを浮かべてみたが、なぜかレイもつられるようにしてニコッと笑った。こんな時に何だと思いながらも、何も言わないでいると、レイが話し始めた。


「そうじゃなくて、レイが言いたいのは、もっと早く教えてくれたらよかったのにっていうことなの」

「だから、言っただろ。親父から言うなって言われていたから――」

「お姉ちゃんのいるところが、わかるとしても?」

「どういうことだ?」


 予想もしていなかったレイの言葉。


「お姉ちゃんのいるところがわかるって言ったの」

「わかるのか?」


 レイがうなずくと、薫はすぐに教えろと言って両手でレイの肩を掴んで揺すった。レイはびっくりしたような目で薫を見ている。


「ごめん。でも、早く教えてくれ、マリアはどこにいるんだ」


 薫が興奮気味に言うと、レイは落ち着いてよと宥めるようにして言うと、自分のスマートフォンを操作して表示された画面を差し出した。


 画面には地図アプリが表示されている。よく見るもので、特に変わった感じはしないけど、地図の中に示されてあるピンク色のハートマークが嫌でも目についた。地図記号にハートマークなどないしピンクという色目も相まって、目立つだけでなく、妙な違和感さえ覚える。


「そのハートマークのあるところが、いまお姉ちゃんがいるところだよ」

 薫の疑問を察したのか、レイが言った。


「マリアがつけているロザリオにはね、発信機がつけられているの。パパが、常にマリアの居場所を把握するために、発信機を仕込んだロザリオをマリアの誕生日にプレゼントしたんだ」

「発信機って、親父さんは、そんなことまでするのかよ」

「パパの監視は徹底しているからね。でも、そのおかげでマリアの居場所がわかるからいいじゃない」


 それもそうだが――、薫はそこまでするか、と言いたい衝動に駆られた。そんなに娘が信用できないのだろうか。他人の家のことだが、マリアが少し可哀想に思えた。それにレイも飄々として言っているけど、その矛先が近いうちに自分にも向けられるということをわかっているのだろうか。でも、いまはそんなことはどうでもいい。マリアを助けるのが先だ。


 レイが説明を始めた。この発信機はFSBの研究室が開発したものだから、その精度はそこいらの物とはまったく違って、マリアの居場所は、ほとんど誤差もなく表示すると言って胸を張った。


 レイが作ったわけでもないのに、なぜそこまでドヤ顔を決めることが出来るのか理解に苦しむが、まあいいだろう。これでマリアの居場所がわかるのだ。


 薫はもう一度ハートマークの位置を確認してみた。ハートマークは大川埠頭の外れにある。レイの助言に従い、画面をピンチアウトすると、その建物まで特定できた。


 アプリが正確ならば、大川埠頭の先にある開発地域の建物の中にマリアはいることになる。


「どうする?」

 レイが他人事のように言ったが、薫にはさっさと行けと聞こえた。


「レイのスマートフォン、借りていいか」

「ダメに決まっているじゃない」

 当たり前のように言うレイに薫は固まった。


「レディのスマートフォンを貸せだなんて、よく平気でそんなこと言えるわね」


 ――確かにそうだけど、いまは緊急事態だから仕方がないだろ。


 そう思いつつも、少し配慮に欠けていたような気もする。言い方を変えるべきだったか。


「お兄ちゃんのスマートフォンにアプリをダウンロードすればいいだけでしょ。なんでレイのスマートフォンを貸さなくちゃならないのよ。乙女のプライバシーを何だと思っているのかしら」

「わ、わかったよ。それで、そのアプリは俺のスマートフォンにもダウンロードできるのか?」

「お兄ちゃんは特別だからね。でも、誰にも言っちゃだめだよ」


 ――言うわけ無いだろ。


 と思いながらも、薫はよろしくおねがいしますと言って恭しくレイに向かって頭を下げた。レイがよろしいと言う感じでまた胸を張った。


 薫はアプリがダウンロードできるURLをスマートフォンに送ってもらうと、レイの指示に従ってアプリをダウンロードした。

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