8 マリア、拐われる(2)

 そのまましばらく走ってみたが、完全に見失ってしまった。


 マリアはR1000Rを脇に止めて辺りを見回してみた。微かに潮の香りがする。横を見ると港に停泊している貨物船が見えた。港湾施設に入ってきていた。前にまっすぐ延びている広い道路の左側には倉庫が建ち並び、右側はトラックターミナルになっている。


 マリアはゆっくりとバイクを進めた。奴らがこの道を通ったのは間違いない。この辺りに潜んでいる可能性は十分にある。


 マリアは大型トラックやトレーラーが行き交う道路をゆっくりと進みながら、慎重に脇道や建物を確認していった。が、黒のクーペは見当たらない。トラックターミナルを過ぎると、建物はほとんどなくなり、やがて道路に沿って左側は海、右側には広大な空き地が広がるだけになった。空き地にはほとんど何もなく、動きを止めた工事車両と、ところどころにコンテナが積み置かれてあるぐらいだ。人の姿は見えない。これから開発が進められるのだろうが、都会の中にあるとは思えないほど寂しい光景だ。


 しばらく進むと、道路は行き止まりになった。大きなバリケードの真ん中には、通行止めという文字が書かれた看板がある。道路はバリケードの向こう側、すぐのところで途切れていて、その先は海だった。


 アスファルトの隙間から生えた雑草を一羽のカモメがくちばしでつついている。海の向こう側にある工場から大きな音が響いてきた。


 何もない。でも、奴らは確かにこの道を行ったはず――。


 マリアはバリケードの前で降りると、来た道を振り返ってみた。遠くにトラックターミナルと倉庫群が見える。そしてコンテナが積まれてある空き地が手前に向かって続いている――。マリアは空き地のところどころに置かれてあるコンテナを目で追ってみた。コンテナが置かれてある空き地は百メートルぐらい先のところで終わっている。が、そこの空き地のところだけフェンスで囲まれていることに気がついた。フェンスが低いせいか、来たときは気づかなかった。


 よく見ると置かれてあるコンテナの数もそこだけ多い。


 ひしひしと伝わってくる違和感。マリアはR1000Rに跨ると空き地へ向けてゆっくりと走りだした。


 車一台が通れるぐらいの出入り口らしきものがある。両側のフェンスからチェーンが掛けられていて、真中のあたりに、関係者以外立ち入り禁止、と描かれた札がぶら下げられてある。


 マリアはR1000Rに跨ったまま、そっと中の様子を窺ってみた。敷地内には思っていたよりも多くのコンテナが置かれてあり、その奥には積み上げられたコンテナに隠れるようにして一軒の建物が見えた。そしてその横にはシルバーのワゴンと黒のクーペが置かれてあった。


 ――こんなところにいた。


 シルバーのワゴンがあるということは、他にも仲間がいるのだろう。でも、ここまで来たら行くしかない。奴らには落とし前を付けてもらわないと気がすまない。


 マリアはゆっくりと隣の空き地に移動すると、置かれてあるコンテナの陰にR1000Rを置いた。そしてコンテナの間にAK47を滑り込ませた。ここからはAKは邪魔にしかならない。スペアマガジンもあるし、ベレッタだけで十分だ。


 マリアはベレッタを手に裏側に回ってみた。コンテナの隙間から建物が見える。コンクリートで出来た長方形の大きな箱をそのまま置いただけのような建物からは、何の気配も感じられない。


 フェンスは低い。マリアは軽くフェンスを飛び越えると、コンテナの間に身を潜めた。メイド服のままだと動きづらい。しかし、この好機を逃すわけにはいかない。ここで奴らをシメておかないと、このあともちょっかいを出されかねない。そうなったら最悪だ。奴らのせいで、ずっと楽しみにしていた日本での休日を台無しにされるなんて、あってはならないことだ。そんなことは、絶対に許されることではないのだ。それに、死んではいないけど、ヒロちゃんの仇も討たなければならない。


 ――とにかく、私の邪魔をする奴は、誰であろうと許さない。


 マリアはコンテナの隙間を通り抜けると、建物の壁に身を寄せた。正面から見たときもそうだったが、裏側の窓もすべてブラインドが降りている。入り口は表側だ。マリアは壁に沿ってゆっくりと歩を進めた。静まり返った敷地内。遠くから汽笛が聞こえてきた。薄いブラウスを通して伝わってくる壁の感触は、真夏とは思えないほどひんやりとしている。


 マリアは裏側から黒のクーペの様子を窺ってみたが、誰も乗っていなかった。隣に置かれてあるシルバーのワゴンも同じだった。


 マリアは深く息をつくと表側にまわった。遠目では気づかなかったが、ドアは金属でできていた。ずっしりとした感じが見ているだけで伝わってくる。マリアはそっとレバーハンドルに手をかけると、ゆっくりと手前に引いてみた。鍵はかかっていない。扉は抵抗もなくすっと手前に開いた。誰もいない。四角い作りの部屋は、それほど大きくはない。隅には机と椅子があり、その横にはもう一つドアがある。


 エントランスか――。


 少しの迷い。鼓動が高鳴る。マリアは中に足を踏み入れた。


 日差しが入って明るかった部屋の中が徐々に暗くなっていく。振り返ると扉が静かに閉まった。


 天井の照明が薄暗く部屋の中を照らしている。物音ひとつしない。


 マリアは机の横にあるドアに向かった。木製のドアに見えたが、このドアも金属でできていた。銀色のハンドルレバーに手をかけ、ゆっくりと引くと、ずしりとした重みを感じた。見るとドアは、三十センチはあろうかというほどに分厚い。何かの映画で見たような巨大金庫のようだ。しかし見た目に反してドアは音もなくスムーズに開いた。同時に、エアコンの冷気が流れ込んできた。


 マリアはドアの奥を見てみた。短い廊下があり、その先に部屋がある。エントランスとは対象的に照明は明るい。


 一体この建物はどうなっているのだろう。そう思いながらも、ゆっくりと歩を進めた。


 マリアはベレッタを構えたまま壁に身を寄せながら慎重に進んだ。部屋の手前。歩を止めて、そっと中の様子を窺うと、マリアは思わず息を呑んだ。そこには想像もし得なかった光景が広がっていた。


 明るく照らされた広い室内。敷きつめられたグレーのカーペット。白い壁には幾つもの絵画が等間隔に飾られてある。中央にはアンティーク調のソファとテーブルが置かれていて、まるで絵画の展示会場のようだ。


 外からは想像もできない光景に、マリアは少なからず戸惑った。誰が何のために、こんなものを作ったのだろうか。それとも、ここはブルーパンサーのアジトで、ここにある絵画は盗まれたものなのだろうか。


 あの二人が逃げ込んだ場所――。たぶんそうなのだろう。


 人の気配はしない。だが、奴らは必ずここにいる。扉に鍵がかかっていなかったが、あれは罠だろう。でもそのことは、承知で入ってきた。マリアはベレッタを構えたまま、慎重に部屋の中に足を踏み入れた。


 その瞬間、背後に冷たい気配を感じた。これまでまったくしなかった人の気配。


「ようこそ、メイドさん」


 背後から声がした。鼓動が高鳴り、息が止まった。マリアはベレッタを強く握りしめたまま、ゆっくり振り返ると、さっきの白人の男が立っていた。そしてマリアを見て下品な笑みを浮かべると、息を呑んで立ち尽くすマリアの顔に向けて、ミストスプレーを吹きかけた。


 マリアはすぐさま口に手を当てて、息を止めたが遅かった。体内に入り込んだ気体はすぐにマリアの体から力を奪った。思うように体が動かない。崩れ落ちるようにしてその場に倒れ込むと、マリアは徐々に意識が遠のいていくのを感じた。

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