19 マリアを助けるのは俺だけだ(2)

 フランクが上げていた手を降ろして、上着のポケットからスマートフォンを取り出した。


「おい、手をあげていろ」

 薫が怒鳴った。だがフランクは余裕の表情で、笑みさえ浮かべている。


「薫、危ない!」

 マリアが叫んだ。


 突如、一台の車が四人の中に突っ込んできた。マイクは大きくジャンプして避けたが、車はそのまま真っ直ぐにマリアと薫に向かってきた。薫がマリアを庇おうとした時、フランクがマリアの腕を取って引き寄せると、ボディブローを打ち込んだ。マリアがその場に崩れ落ちた。


 ――マリア!


 薫は気を失ったマリアを見て血が逆流していくのを感じた。


 薫はフランクに飛びかかり、後ろから羽交い締めにしようとしたが、フランクの力は想像以上に強かった。フランクは難なく薫を突き放すと、素早くマリアの手からデザート・イーグルを奪い取ると薫に向けた。


 薫の抵抗はほんの一瞬で終わった。


「あまり乱暴なことはなさらないでください。危うく、薫くんを撃ってしまいそうになりました。仕方がなかったとしても、子供を撃ってしまったら寝覚めが悪いですからね」


 憎らしいほどの余裕だ。

 薫は横目で車を確認した。運転席と助手席には白人の男が、後部座席にはイワサキが乗っている。助手席の男はマイクに銃を向けている。


「手を上げていただけますか」

 フランクがデザート・イーグルを向けたまま薫に言った。

薫は手をあげるしかなかった。


 フランクは薫に近寄ると、肩に掛けられてあるAK12を手に取りニヤリとした。

 薫の足が自然と震えだした。


「やはりまだ子供ですね。詰めが甘い。私に襲いかかるよりも、なぜこれを使わなかったのです」

 フランクが片手でAK12を弄ぶように回してから自分の肩に掛けると、得意気な表情で薫を見た。


「マリアは連れて行きます。もしマリアを助けたいと思うなら、私たちの後は追わないことです」


 フランクが部下に命じて、気を失っているマリアを車の中に押し込んだ。


 サイレンは近づいている。だが、来るまでにはまだ時間がかかりそうだ。

「デザート・イーグル。いい銃だ。それとこれはAK12ですね。子供には必要のないものですから頂いていきます」


 フランクが薫に向けていたデザート・イーグルを下げた。


「薫くん。あなたは生かしておきましょう。これに懲りたら二度と危ないことには首を突っ込まないことです」

「マリアをどうするつもりなんだ」

「さあ、それはあなたたち次第です。私たちの邪魔をしなければ、無事お返ししましょう。――とは言っても、約束はできませんが」

 フランクが人差し指を薫に向けて銃を撃つ仕草をした。

「それでは、これで」

 フランクが乗り込むと、車は急発進して駐車場を出ていった。


「おい、大丈夫か」

 マイクが薫に近寄ってきた。

「俺はなんともない。だけど、マリアが――」


 薫は車が出ていった方を虚ろに眺めていた。

 パトカーや消防車のサイレンがさっきよりも大きく聞こえる。

 ――来るのが遅いんだよ。

 薫が悲しげにつぶやいた。


「薫、行くぞ」

 マイクが薫の背中を叩いた。

「なに、ぼけっとしているんだ。マリアを助けたくはないのか」

 マイクが薫の前に立って顔を寄せてきた。

「助けるって、どうやって」

「あいつらは埠頭の六号バースからコンテナで出国する手筈になっている。あいつらの息のかかった人間が船社にいて、フランクたちの日本からの出国に手を貸している」

「船で行くのか。だからこんなところに」

「最初はクーリエを使って、自分たちは飛行機でと考えていたようだが、それではリスクが高いと判断したみたいだ。薫とマリアを殺し損ねただけでなく、俺からも追われ、そしてメンバー二人も警察に捕まっている。当然、あいつらに対するマークは厳しくなっている。マークが厳しくなれば、いくら変装しようが、精巧な偽造パスポートを使おうがあまり意味はない。それらを踏まえて、セキュリティがより厳しくなると思われる飛行機を使うよりも、仲間がいる船の方を選択した。そして依頼していたクーリエをキャンセルして、新たに船のルートを確保したというわけだ」


「なぜ、そんなことを知っているんだ」

「CIAに野暮な質問はするな」

「でも、やつらは追うなと言った。でないとマリアが殺される」

「だったら訊くが、このままここにいて、マリアが無事でいられる保証はあるのか」

 マイクが呆れた表情で薫を見た。


 ――約束はできませんが。


 フランクが最後に付け足すようにして言った言葉が頭に浮かんだ。でも、万が一と言うこともある。それに警察もすぐに来る。ここは彼らに任せるのがベストだ。


「まあいい、行きたくないというのならそれでもいい。でも、俺は行くぜ。このままでは気が済まないからな。マリアのことは、助けるように努力はするが、万が一、できなくても恨まないでくれ。なんせ動いているのは俺一人だからな」

「だったら、ここにいて……」

「いい加減にしろ」

 マイクが薫の話を遮るようにして大声を上げた。


「マリアを助けに、あいつらの倉庫まで一人で乗り込んで行ったあんたを見た時、少しは骨のあるやつかと思ったけど、いまのあんたには、がっかりだ。少し脅されただけで、女を見捨てる野郎に成り下がっているんだからな」

 マイクは捨て台詞を残すと、車に乗り込み駐車場を出て行った。


 薫はその場に座り込み、呆然としたままマイクが乗る車を見送った。


 ――俺にどうしろと言うんだよ。俺だってマリアを助けたい。でも、俺なんかに何ができると言うんだ。できるわけがないんだよ。


 薫は大声で思いの丈を言い放った。涙が自然と頬を伝ってきた。強く握りしめられた拳が震えている。もし、もう一人の自分がいたら、確実に自分を殴っていることだろう。だけど動けない。どうしても体が動かない。


 マリアの人懐こい笑顔が浮かぶ。何かと近寄ってくるマリアのことを鬱陶しいと思っていたのに、いつの間にかそれを当たり前のように受け入れていた。


 ――たぶん、俺はマリアのことが好きなんだ。

 でも――動けない。


 ごめん、マリア。俺はヘタレだった。


 薫は足を投げ出し、両手を後ろについて空を見上げた。

 パトカーと消防車が駐車場に入ってきた。

 耳を塞ぎたくなるほどけたたましく鳴り響くサイレン。

 こんなところで座っていても仕方がない。今は警察に事情を話して、マリアを助けるよう頼むしかない。


 薫は立ち上がった。

 その時スマートフォンが落ちているのが目に入った。

 薫は拾い上げて電源を入れてみた。画面は英語だった。もしかしたらフランクのものかもしれない。そういえば、揉み合いになった時、フランクはスマートフォンを手に持っていたはず――。


 確かここはマイクが乗って行った車が置いてあったところだ。フランクはスマートフォンを落としたのに気づかずに行ってしまったのだろうか。


「薫こんなところで何をしているんだ?」

 聞き慣れた声。見ると片那が心配そうな表情で立っている。薫は素早くスマートフォンを尻ポケットに入れた。


「親父こそどうしたんだ。なんで、こんなところにいるんだよ」

「警察の知り合いに同行させてもらって来たんだ。ここで大きな爆発があったと聞いたんでな。楓音とレイがフェスティバルへ行くって言っていただろ」

「楓音とレイならタクシーで家へ返したから大丈夫だよ」

「会ったのか、二人に」

「ああ、それよりも親父、大変なことになった」

「どうした」


 薫はこれまでの経緯をすべて話した。そしてマリアを助けるよう、警察に頼んでほしいと言った。


 片那は話を聞き終えると、険しい表情のまま、少し待っていろと言って、その場を離れていった。

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