5 厄介なやつら(2)

「戻りな」


 フランクはディンゴの顎にコルトの銃口を押し当てると静かな声で言った。ディンゴは立ち止まったまま、何の感情もない死人のような目でフランクを見ている。フランクはディンゴの顎に押し当てているコルトに一層の力を込めた。


 ディンゴがCDプレイヤーにつばを吐きかけると、そのまま元の場所へ戻っていった。


「チャールズ、久しぶりに会ったことですし、もう少しお行儀よくしてもらえませんか。これでも私は神経質なものですから。どうも、こういう粗野な環境は馴染めません」


 フランクがコルトをホルスターに戻しながら言うと、チャールズが弄んでいたジャックナイフがフランクの耳元を掠めて壁に突き刺さった。


「それは悪かったな。お上品なお前と違って、俺は本能だけで生きているんでな」

 チャールズが傍らにつばを吐いてニヤリとした。


「やっと、チャールズの声が聞けて嬉しいよ。それと、ついでに言わせてもらいますが、そういう態度は改めたほうがいい。もう少し洗練された作法を身に着けるべきです。そのほうが、あなたのママも喜びますよ」


「ファック・オフ! マザーファッカー。要件をさっさと言え」

 吐き捨てるようにチャールズが言った。


「わかりました。大したことではありません。今日は軽く打ち合わせをしておこうと思いまして」


 チャールズが不満そうに顔をしかめた。


「不満そうですね。ですが、これは大切なことです。わかりますね?」


 チャールズは返事もせずに、空になったグラスにバーボンを注ぐと一気に飲み干した。


「チャールズ。ひとつ言っておきます。仕事の時ぐらい、真面目に取り組むべきです。酒を飲みたいのであれば、私が帰ったあとにしてくれませんか」


 チャールズがフランクを見た。その目は明らかにフランクを挑発している。


「寝惚けたことを言ってんじゃねえ。話はお前のところのぼんくらから聞いている。ターゲットの行動はすでにわかっている。その上で小娘ひとりを拐ってくる。簡単な仕事じゃないか。これ以上、何の打ち合わせが必要なんだ。あんたらを見ているといつも不思議な気持ちになるぜ」


「何をやるにせよ、事前の打ち合わせは重要です。失敗されたら困りますので」


「笑わせるな。こんな野暮仕事、俺たちが失敗するとでも思っているのか」


「もちろんそんなことは微塵も思いたくありませんし、思ってもいません。ですが、万が一ということもありますので。この仕事が失敗して、あなたたちが海の底に沈むのは仕方ありませんが、私まで、そのとばっちりを受けたくはないですからね」


「おい、ディンゴ。失敗したら、俺たちは魚の餌になるらしいぜ。どうするよ」

「そいつは怖いな。いまのうちに何か対策を練っておいたほうがいいんじないですか」

「それもそうだな。なら、いいことを思いついたぜ。いまここで、フランクを殺っちまえばいい。そうしたら失敗しても大丈夫だ。どうだ、いい案だろ」


 チャールズがそう言って、大声で笑うと、ディンゴもつられるようにして大声で笑った。


 愚かで無謀。身の程知らずの人間に共通する資質は、いずれ己の身を滅ぼす。


 二人をここで始末して、他を探すべきか。だが、時間が惜しい。やはり、このままこの二人にやらせるしかないのか――。


「おい、どうした。急にだんまりして。小便ならあっちだぜ。それとも、もうちびったのか?」

 チャールズがドアを指しながら、また下品な笑い声を上げた。


 ――最悪の場合は、俺が行くしかないか。


 フランクはなんでもないというように片手を上げた。

「わかりました。でも、そうならないことを祈りますよ。そのためには、この仕事はスマートかつパーフェクトに終えることです」

「スマートかどうかわからないが、俺の仕事はいつだってパーフェクトだ。それに、今回はボーイスカウトでも出来るような簡単な仕事だ。万が一の失敗もありえない」


「でも、油断は禁物です。あの娘、マリアの父親はセルゲイ・イワノフという、元KGBの大佐です。それに、母親もスパイとして長年、諜報の世界で生き残ってきたやり手です。二人ともすでに引退しているとはいえ、未だにFSBはもちろん、他の政府機関にも顔が利く。一歩間違えれば、我々の方がタダでは済まなくなります」


「なるほどね。そいつは知らなかった。ただの小娘ではなかったというわけか」

「とにかく、マリアに何かあれば、イワノフは黙ってはいません。彼が本気で動けば、私たちにたどり着くのは、それほど難しいことではありません。そうなった時は――」

「おい、フランク。今更臆病風に吹かれたのかよ。俺達は常にリスクを背負って行動している。違うか?」

「格好良く言えばそうですが、この場合は――」

「先は言わなくてもいい。俺が言いたいのは、野暮なことは言うなということだ。俺たちは仕事をして報酬を得る。ただ、それだけのことだ。あんたらが何を考えているのかなんてどうでもいいし、小娘の親父についても同じだ。俺たちの知ったことじゃない」


「だが、ロシアを敵に回すことは、賢者のすることではない。わかりますね」

「ああ、十分すぎるほどにな」

「ですから、この仕事はスマートに終わらせましょう。目的を成したら、マリアはそのまま無事に帰す。そうすれば、少なくとも私たちにとっての最悪のケースは回避されるでしょう」

「ずいぶん及び腰だな。そのリスクもあるから、たかが誘拐に破格のペイなんだろう」

「私はもう少し長生きしたいものでね」

「けっ、くだらねえ。終わったらさっさと始末しちまって、高飛びすればいいんだよ。簡単なことだ」

「もちろん、場合によっては、そうなることもありえます。ただし、指示を出すのは私だ。チャールズ、それにディンゴ。お前らは、私のやり方に従ってもらう。わかったか」


 フランクは、それまでにない鋭い目つきと口調で、チャールズとディンゴを見据えながら言った。


「オーケー、フランク。これ以上、話していると、あんたを撃っちまいそうだから、ここまでにしておこうじゃないか。俺たちは他で飲み直すわ」


 チャールズが立ち上がると、ディンゴも立ち上がった。


「さっきから思っているが、昼間から酒とは、良いご身分だな。それに、お前は、度胸はいいが、長生きできないタイプだな」

「笑わせるなよ。この世界で長生き出来るのは、逃げ足の早い臆病者だけだぜ」


「明日の朝、九時にここへ来てください」

 フランクが部屋を出ていこうとするチャールズの背中に向けて言った。


「フランク、今更、俺たちにサラリーマンをしろと言うのかよ。笑わせるな」

 チャールズとディンゴが背中を向けたまま片手を上げて出て行った。

 残されたフランクは両手を広げて首をすくめるしかなかった。

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