5 厄介なやつら(1)

 フランク・マッキンゼーは通り過ぎゆく東京の街並みを見ながら目を細めた。徹夜明けに、夏の眩しすぎる日差しは堪える。


 ――本当なら、今頃は日本を出国して、空の上のはずだった。


 フランクの口から小さなため息が漏れた。


* * *


 ――もし、無事に日本を離れたいのなら、取引しないか。


 マイク・スミスが最初に言ってきた言葉が思い出された。


 要求は「セーヌ川の月」だった。それさえ返せば、他のことはどうでもいいと言った。断ると、やつはあらゆる妨害工作を仕掛けてきた。クーリエ(運び屋)が日本へ来る前に突如姿を消したり、外出したら狙い澄ましたように来る警察官からの職務質問、さらにフランクのクレジットカードが使えなくなったりもした。


 ブリュッセルの本部からの情報では、マイク・スミスはCIAの諜報員ということがわかった。そして、マイク・スミスを動かしているのが、アメリカの富豪、アンソニー・ナダルということも。


 それを聞いたジョージとアンディは、このまま行くと、すべてを失いかねないから、マイク・スミスとの取引に応じるべきだと言った。だが、フランクは反対した。「セーヌ川の月」だけはどうしても手放せなかったからだ。


 しかしジョージとアンディは強硬だった。もし、取引しないのなら、すぐに日本を離れるとまで言った。そこまで言われるとフランクも首を縦に振ることしかできなかった。


 二人はマイク・スミスの指示に従い、取引のために秋葉原の指定の場所へと向かった。しかし、そこにはマイク・スミスはいなかった。代わりにいたのは、大勢の警察官だった――。


 ――Fuck off.

 フランクは呟いた。


 すべては自分の言う事を聞かなかったあいつらが悪いのだ。


 が、そんなことよりも、ここまで来たら行くしかない。


 弟のジョージと右腕のアンディを失うのは痛いが、今更考えても仕方のないことだ。このビジネスはたとえ自分一人になったとしても、必ず成功させなければならないのだ。そのためには一日でも早く「セーヌ川の月」と共に日本を離れることだ。フランクはガリアーノ・ファミリーのボス、アンドレア・ガリアーノに、新しいクーリエを日本へ送るように頼んでいたが、彼らが来るのは三日後だ。この先三日間、どうやってマイク・スミスの動きを抑えるか、問題はそれだけだった。


 そこで考えたのが、マリアを使うことだった。秋葉原でジョージを投げ飛ばした女の素性を調べるよう本部に指示を出していたが、その結果、マリアが元KGB大佐のセルゲイ・イワノフの娘だということがわかった。


 そのマリアを誘拐したらどうなるか――。


 マリアを拐ったあと、マイク・スミスの関与を匂わす情報を東京のFSBに握らせる。そうすれば、黙っていても情報はセルゲイに伝わるだろう。それからのことは向こうが勝手に考えてくれる。その結果、マイクは動き辛くなる。


 作戦にしては単純過ぎるかもしれないが、三日だけ凌げればいいのだ。工作はこの程度で問題はないはずだが、もしあるとすれば、ブルーパンサーがFSBを相手にしなくてはならなくなるということぐらいか。だがそれも仕事が終わったらマリアをそのまま無傷で帰せばいいのだ。仮にひと悶着あったとしても、その時は、その時だ。逃げる方法などいくらでもある。


 実行する奴は二人雇った。どうしようもない奴らだが、作戦は単純なものだから問題はない。仮にロシアと問題を抱えた時には、二人を売ればいいのだ。突然、二人がいなくなったとしても、誰もなんとも思わない。これほどこのミッションにうってつけの奴らはいないだろう。


 その二人が今朝早く、滞在していた東南アジアから成田に到着し、新宿の雑居ビルに用意したセイフハウスに入ったと部下から連絡が入った。


 動き始めた以上、CIAもFSBも関係ない。ジョージとアンディを手放してでも、このミッションのコンプリートを優先させたのだ。もう後戻りはできない。


 タクシーが新宿の古びた雑居ビルの前で止まった。フランクは運転手に、キープ・チェインジと言って一万円札を手渡すと、それまで無愛想だった運転手の顔が途端にほころんだ。フランクは笑顔でチャオと言うと、タクシーを降りた。


* * *


 部屋に入るなり、フランクは咄嗟に手で口を押さえた。フルボリュームのデスメタルが鳴り響く部屋の中は煙草の煙が充満している。二人の男がちらりとフランクを見たが、すぐに視線を元に戻した。一人はソファに寝転び雑誌を読んでいる。もう一人は椅子にもたれかかり、両足をテーブルの上に乗せて、ジャックナイフを弄んでいる。テーブルの上にはバーボンのボトルが転がっている。


 二人共、無精髭と脂ぎった長めの髪、着ているものも薄汚れたジーンズにティーシャツ。その上に、一人はネルシャツ、もう一人はデニムのベストを着ている。二人共ひと昔前のグランジを思わせるような出で立ちだ。よくこんな格好で飛行機に乗ってきたものだと感心する。オーダーメイドのスーツを上品に着こなしているフランクとはあまりにも対照的だ。


 これではティーンエイジのガキどもとなんら変わりがない。いい大人のすることではない。もう少しどうにかならないものだろうか。そんなことを思いながら、窓を開けようとしたが思いとどまった。この騒音は近所迷惑だ。下らないことで目立ちたくはない。


 ――煙草の煙は我慢するしかないか。


 フランクは帽子を脱ぐと、椅子に座って二人を交互に見た。しかし二人共フランクには目もくれない。まるっきり無視している。


 気にするな。フランクは自分にそう言い聞かせて、軽く咳払いをしてみたが、爆音が響く部屋の中では聞こえるはずもない。


「久しぶりですね、チャールズ」


 フランクが怒鳴るような大声で言うと、チャールズはテーブルに足を乗せたままの姿勢で、横目でちらりと見たが、またすぐに視線を元に戻して、バーボンを一息で飲み干すと、グラスをテーブルの上に叩きつけるようにして置いた。


 フランクは大げさに両手を広げてみせると、すぐ横に置かれてあるCDプレイヤーのコンセントを革靴の先の部分に絡めて引き抜いた。


 部屋の中が一瞬で静まり返った。


「これで話しやすくなりました。なあ、チャールズ。それと、ディンゴは初めてですね」


 フランクは二人の男を交互に見て笑ってみせた。そしてディンゴに近寄り右手を差し出した。だが、ディンゴは雑誌から目を離そうともしない。


 フランクは仕方なく手を引いて、座っていた椅子に戻った。


 その様子を見ていたチャールズの目が笑っている。


 チャールズはなにかの合図をするかのように、テーブルの上に乗せてある足を振り下ろして音をたてた。ディンゴが顔を上げると、チャールズはコンセントを入れろと言うように顎で指図をした。ディンゴは面倒くさそうな表情を露わにしたまま、ため息交じりに立ち上がり、ゆっくりとCDプレイヤーのところまで歩いて来て、抜けたコンセントを拾い上げた。だが、ディンゴの動きはそこで止まった。

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