21 逮捕してくれ!(1)
「ディンゴ、少しはじっとしていろ」
窓からそっと外の様子を見ていたディンゴが、チャールズに呼ばれると、すぐに顔を引っ込めた。
「チャールズ、なんかヤバイことになっているみたいだけど大丈夫かな。外は警察の奴らでいっぱいだ」
「知らねえよ、そんなこと」
チャールズはわざと面倒くさそうに言った。
本当にやっていられない。酒でもあれば、この退屈な時間も少しはハッピーに過ごせるのだろうが、フランクから酒はやるなと言われている。すぐ向こう側にあるフェスティバル会場には、きっとあふれるほど酒が売られているのだろうが、そこへ足を踏み入れることはできない。餌を前にし「待て」を命じられている犬の気持ちはきっとこんな感じなのだろう。
「それとすぐそこに停まっている車、フロントのポールにアメリカの国旗がついているけど、もしかしたらアメリカ大使館の公用車じゃないかな。ナンバープレートも他の車とは明らかに違うし」
「だから何だって言うんだよ」
「いや、そう言われても……、でも、なんか変だと思わないか。フランクさんたちが出て行ってからもう大分経つのに、まだなんの連絡もないし、それに、さっきは知らない番号から立て続けに電話がかかってきたりもするし……」
「ディンゴ、フランクからは何があろうとも、指示があるまでは、ここから動くなと言われているんだ。それに、知らない番号からの電話は、絶対に受けるなと言われている。今度、また何かやらかしてみろ、確実に俺たちは魚の餌になるからな」
「それもそうだけどさ。でもよ……」
「なあ、ディンゴ。そんなことより、お前に話があるんだが、ちょっと聞いてくれないか」
チャールズが言うと、ディンゴはいきなりどうしたのかという表情をしながら、何も言わずにうなずいた。
「今回のことで思ったことがあるんだよ。これまでは、何か一発当ててやろうとか、でかい夢を見てきたけどよ、でもな、そんなことは、もういいんじゃないかって」
「どうしたんだ、いきなり」
「悟ったんだよ。俺程度では、ここいらが限界なんだって」
「引退するのか?」
「そんな大袈裟なものじゃねえ。単なる暴力バカが、数年前、たまたまブルーパンサーみたいな大組織から依頼を受けてトチ狂っていただけだからよ。そんな、とんだ勘違い野郎に引退だの何だのってことはねえよ」
「それじゃあ、何なんだよ」
「これが終わったら、故郷へ帰ってやり直そうかと思っている。真面目に働いて、結婚して、ガキを育てる。ありふれたつまらない人生と思っていたことだけど、もしかしたら、それが一番いいのかもしれないと思えてきたんだ」
「なんとなくわかるけどよ。だったら、俺はどうすればいいんだよ。チャールズに拾われてここまでついて来たんだ。ここでチャールズがいなくなってしまったら、俺は路頭に迷っちまう」
「そんなことはない。ディンゴなら一人でもやっていけるさ。それに、たとえ離れていても、連絡を取りあえばいい。メキシコとテキサスなんてそれほど離れていない。いつでも会える。ここまで長く一緒にいたんだ。俺とディンゴは兄弟みたいなものだ。ディンゴに何かあった時は、すぐに駆けつけてやるから心配するな」
チャールズは優しくディンゴの肩を抱いた。ディンゴが二、三うなずくようにしてから頭を振った。
「わかったよ。だったら、これからはチャールズのことをアニキって呼ばせてもらってもいいか」
こころなしかディンゴの目が潤んでいるように見える。チャールズはそんなディンゴを見ながら数度うなずいた。
「いいとも、ディンゴ、お前は俺の弟だ」
「アニキ!」
「ディンゴ!」
ディンゴが涙を流しながらチャールズに抱きついた。チャールズもディンゴを抱きしめた。
――これでいい。これでいいんだ。
チャールズは自らに言い聞かせていた。その時、窓がノックされた。見ると、警察官が二人、笑顔でこっちを見ている。チャールズは舌打ちすると、ボタンを押して窓を開けた。
「お楽しみのところ失礼します」
――この警察官、わざと言っているだろ。
しかし警察官相手に問題は起こしたくない。チャールズは何も言わずに小さくうなずいた。ディンゴはまだ抱きついたままでいる。
「警察ですが、さきほど駐車場で、車が二台燃える事故がありまして、そのことで、お話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか」
チャールズがうなずくと、警察官が話し始めた。
「失礼ですが、ここで何をされておられるのですか」
警察官の声が少し上ずった。
――笑っただろ。いま笑ったよな?
あからさまな警察官の含み笑いはムカつくが、そうかと言って、何も答えないわけにはいかない。何にせよ、ここで問題を起こすと魚の餌だ。
「人を待っているんだけど」
チャールズは当たり障りのない返事をすると、抱きついたままのディンゴを引き離そうとした。しかしディンゴはしがみついていて離れようとしない。仕方なくディンゴの足を思い切り蹴飛ばすとやっと離れた。
「そうですか。身分証明書を拝見させていただきたいのですが。外国の方でしたらパスポートをお願いします」
チャールズは言葉に詰まった。パスポートはフランクに持っていかれたままだ。この仕事に入る前、フランクから仕事が終わるまでパスポートを預かると言われて、仕方なく渡してしまった。チャールズからすれば、そんなに信用がないのかと腹も立ったが、それまでの凡ミスの繰り返しを思うと、素直に従うしかなかった。
「あの、パスポートを」
黙ったままでいるチャールズに警察官がもう一度言った。
「いまは持っていないんだ」
「どうされました?」
「ホテルのセーフティボックスに入れっぱなしで……」
「どちらのホテルですか?」
警察官は、それまでの柔らかい雰囲気から、急に事務的な調子に変わった。
――これはやばいモードだ。
チャールズは直感した。これまでの経験からして間違いない。体制側が放つ特有の臭いは、どこの国でも同じだ。
「え、えっと……。ホテル・ニューコタニです」
「ホテル・ニューコタニですか」
冷めた口調からは、そんなことなど、まったく信じていないという感じがひしひしと伝わってくる。警察官がなにやら手帳に書き込むと、顔を上げてチャールズとディンゴを交互に見た。その目は明らかに疑いの色をたたえている。
身なりが汚く、いかにも悪党ヅラの男二人が車の中にいて、そのすぐ近くで車が爆発したのだ。おまけに挙動不審、パスポートも持っていない。疑われる要素はてんこ盛りだ。これらの状況を鑑みれば、誰が見ても、自分たちは不審人物以外の何者でもない。
「日本では、外国人の方はパスポートの携行が義務付けられているのをご存知ですか?」
「そうなんですか、知りませんでした」
チャールズはとぼけた。このままだと、また仕事をしくじることになる。どうすればいいのか。チャールズは平静を装いながらも、脳内はパニック状態だった。
そして警察官から悪魔の言葉が発せられた。
「申し訳ありませんが、ご同行願えませんか」
やばい! このまま警察に同行して、車から離れてしまうことは、仕事の失敗を意味する。それすなわち魚の餌になるということだ。だが、ここで同行を拒否するわけにもいかない。最悪、逮捕されてしまう。そうなればテキサスへ帰ってやり直すどころではなくなる。横にいるディンゴが不安そうな目でチャールズを見ている。
――なんだよ、コイツ! 急に気弱になりやがって。ったく、どうしたらいいんだよ。
チャールズは沸き立つイライラを抑え込みながら頭をフル回転させた。
――そうだ! いっその事、ここは逮捕されてしまえばいいのかもしれない。
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