20 フランクの誤算(3)

 マリアとマイクがフランクに向けて銃をつきつけると、フランクは観念したようにうなだれた。


「スマートフォンが壊されたからには、自分で行くしかないのは理解できるが、残念だったな。これであんたは終わりだ」

「やはり知っていたようですね――」

「俺はCIAだぜ」

「そうでしたね。ということは、燃やしたのが贋作ということも知っていたということですね」

「もちろん知っていた」

「なぜわかったんです。素人が少し見ただけでわかるようなものではないはずだ」

「あんたも少しは考えることぐらいしろよ。俺がなぜチャールズとディンゴを捕まえたと思っているんだ」


「――なるほど」

「あの二人はいろんなことを話してくれたよ。その中には「セーヌ川の月」が二つあるという話もあった。名画が二つあるということは、一つは贋作ということになる。俺に偽物を掴ませるためなのか、それとも他に考えがあったのかは知らないが、なにかあった時のために、あんたがイワサキに命じて用意させたのだろう。名画の贋作なんて世界中にいくらでも転がっているからな。画商でもあるイワサキなら、真作と見分けがつかないほどの贋作を手に入れるなど、それほど難しいことではないはずさ」


「私が偽物を持ってくるというのは、初めからわかっていたということですか」

「そういうことさ」

「もちろん本物の在り処も知っていた――」

「そうだな」

「不思議ですね」

「何を言いたいんだ」

「本物の在り処を知っているなら、なぜマリアを助けに来たんですか。普通は絵を持ってその場を離れるはずだが」

「男は女のために死ぬようにできているからさ。それにマリアには命を助けてもらったからな」


「良い答えだ。だが、ジェントルマンでは実は取れない」

「ならば、こういうのはどうだ。近くまで警察が来ていたからな。奴らもしばらくは動けないだろうという見込みもあったし、それにあんたさえ見失わなければ、奴らも絵も消えることはない」


「いいでしょう」

「本心は少しヒヤヒヤしていたがな。でも、こうしてあんたに引導を渡すことができたし、間違ってはいなかったということだ」

「マイクはそうだろうが、私にとって、これは大きなミスだった。もう一つ保険をかけておくべきでした。ジョージとアンディが釈放されたという連絡を受けて、少し油断したみたいです。もう一つ教えてくれませんか。なぜアンドレア・ガリアーノが二人の釈放を知らせる電話をしてきたのでしょうか」


「簡単なことさ。あいつらにエージェントがいるように、我々にも優秀なエージェントがいる。ガリアーノにこっちの都合のいい情報を握らせることぐらい簡単にやってのける優秀なのがな」


「ガリアーノからの電話を切ったあと、出来過ぎという気はしていましたが……。もう少し用心するべきでした。そうすれば、たぶん立場は逆になっていたでしょう。たとえマイクが生き残っていたとしても、私たちを見送ることしか出来なかったはずです」


「わかってないな、あんたのミスは秋葉原での俺との取引を受けなかったことだ。もしあの時、俺と取引していれば、ここまで最悪なことにはならなかったはずさ。少なくともすべてを失うことはなかった。一番の間抜けはフランク、あんたというわけさ」


「一体、何のことを言っているのか、さっぱりわかりませんね。あの時、取引が出来なかったのは私の責任とでも言うのでしょうか」

「とぼけるなよ。ジョージとアンディを警察に売ったこと。あれはあんたが犯したもっとも大きい過ちだっただろ」

 八重桜公園の時と同じように、ほんの一瞬、フランクの表情が強張った。


「何を言うかと思えば、くだらない戯言とは――」

「くだらない戯言ね。あんたからすれば、そう言うしかないだろな。でも、その戯言が事実であることは、あんた自身がよくわかっているはずさ」


「私がわかっているとはどういう意味ですか。私が実の弟と優秀な部下を警察に売っても何の得もない。それどころか、二人がいなくなるということは、組織にとって大きな損失でしかない。そんなことを私がするわけがない」


「実際、そんなことをして大きな損失になったじゃないか。今こうして、俺たちの前で無様にへたり込んでいるのは、二人を失ったことが原因だ。それとも、それ以外の理由があるというのか?」


 フランクがふっと小さく息を漏らした。


「あの時、裏でそんな事があったのか。知らなかったよ。でも、マイクはよく警察に気がついたね。もし気が付かなかったら、マイクも逮捕されていたのかな」

「そんなわけ無いだろ。日本の警察がCIAを逮捕なんかしたらコメディだ」

 無邪気に話すマリアに薫が言った。


「ふーん。どうせならマイクも逮捕されたら面白かったのに」


 マリアの言葉にマイクは思わず薫と顔を見合わせてしまった。どうやらまだ好かれてはいないようだ。


「でも、マイクはなぜこのおじさんが仲間を売ったことがわかったの?」

「あの後、CIAの東京支局から、あの場所でブルーパンサーが取引をするというタレ込みが警察にあったという情報を得たからさ。あの場所での取引を知っているのは、俺とジョージとアンディ、それにフランクだけだ。俺から漏れることはない。逮捕されたジョージとアンディがそんなことをするはずがない。残っているのはフランクしかいない。どんなアホでもわかることさ」


「随分わかりやすいのね」


「ああ、推して知るべしさ。ついでに、そこからは仲間を売った理由も見えてくる。俺との取引に前向きだったジョージとアンディと違って、フランクは絵を絶対に手放したくなかった。だから取引すべきだと主張する二人と真っ向からぶつかった。そこで仕方なく考えたのが、取引に同意する振りをして、二人を警察に売ることだった。二人が逮捕されてしまえば、あんたに逆らう人間はいなくなる。それに上手くすれば、俺も逮捕されるかもしれない。そうなれば儲けものだが、たとえ逮捕されなくても、俺の動きは一時的に鈍ると考えた。そうなれば後は簡単だ。その間にあんたは絵を持って日本から出ればいい。もちろんこれは想像だが、それほど間違ってはいないと思っている。どうだい?」


 マイクは一息入れてフランクを見た。が、フランクは何も言わなかった。


「自分の欲のために仲間まで売ったということか。まあクズ同士、どうなろうと知ったことではないけどな」

 薫が言った。

「そうね。誰がタレ込んだとか、絵がどうしたとか、私たちには関係のないことだし、興味もないわ。それよりも、散々、私を足蹴にしたこと、ここで償ってもらおうかしら」

 マリアがデザート・イーグルをブラブラさせながら言った。

 フランクがわずかに後ずさった。目を見開き、瞳は恐怖の色を湛えている。


「マリア、落ち着け。あとのことは警察に任せればいいだろ」

 薫が宥めるように言ったが、マリアは、そんなことなど関係ないと言わんばかりに、デザート・イーグルを地面に倒れ込んでいるフランクに向けた。


 ――やばい!


 マイクは慌ててマリアの手を押さえようとしたが、薫がそれを阻止するように立ちはだかると、問題ないというようにして片目をつぶった。


 何発もの銃声が響き渡った。マイクは恐る恐るフランクを見た。頭のまわりをなぞるようにして銃弾が撃ち込まれている。フランクは目を見開き、身を横たえたままガタガタと震えている。


 マイクはほっとして大きく息を吐いた。フランクなど死んでも構わないが、マリアがこんなやつを手にかけるのは見たくなかった。


「こういうことだ」

 薫が親指を立てて見せた。

「なるほどな。世界に名を轟かせたブルーパンサーのボスが、女の子にいいようにやられて小便まで漏らしたんだ。もう悪いことは出来ないだろう」

「もっと楽しみたかったのに。つまんないの」

「至近距離からマグナム弾を撃ち込まれたんだ。少しはフランクの気持ちを考えてやってもバチは当たらないぜ」


 パトカーのサイレンが聞こえてきた。

「これで一件落着か」

 薫が安堵の表情を湛えた。


「いや、まだ終わっていない」

「まだ何かあるのか?」

「チャールズとディンゴがいる。薫とマリアを吹き飛ばそうとしたやつらだ。あの二人がまだ片付いていない」

「どこにいるんだ」

「さっきの駐車場だ」

「そうか、奴らも駐車場にいたんだな。気が付かなかった。でも、まだいるかな。これだけ騒ぎになれば、あいつらだってじっとしてはいないだろう」


「いや、奴らは必ず駐車場にいる」

「なんでわかるんだ」

「その話はあとだ。それよりもここまで来たんだ。少し手伝ってくれないか」

「いいけど、何をするんだ」

「奴らの車にちょっと撃ち込んで脅かしてもらえればいいだけだ」

「その程度のことなら、まだ消化しきれていない不満のはけ口には丁度よさそうね。私はマイクに乗るわ」

「乗るって、そんな類の話でもないだろ」


「いいじゃない。それに、あの二人は私たちを殺そうとしたのよ。あの後、せっかく捕まえたのに、マイクに邪魔されて何も出来なかったら、今度こそ、きちんとけじめをつけておくべきだわ」


「けじめをつけると言うよりも、撃つ理由がほしいだけだろ」

「けじめよ、人聞きの悪いこと言わないでよ」

 マリアが薫の言葉を待たずに、さっと車に乗り込んだ。


「マイク、チャールズとディンゴのことだけど、さっきフランクと話していたことと何か関係があるんだよな」

 車に乗り込もうとすると薫が訊いてきた。

 別に隠すことでもないが、ここで説明している時間は惜しい。しかし頼んでおいて、何も言わないのもおかしいか――。


「俺が探しているものをあの二人が持っているんだ。ブルーパンサーに盗まれたものだが、それを取り返すことが今回の俺の任務なんだ」

「燃えてはいなかったんだな。なんとなくそんな気はしていたけど――」

「そういうことさ」

「だからフランクは駐車場へ行こうとしていたんだな」

「薫にスマートフォンを壊されたから行くしかなかった。駐車所にいる二人に連絡がつかなくなったからな」


「でも、なんでチャールズとディンゴなんかに、大事なものを任せたんだろうな。俺がフランクの立場なら、絶対にあの二人には任せないと思う」

「逆に考えたら、失敗を繰り返していた奴らが、フランクに逆らうことはないとも言えるからな。当然、奴らはフランクの指示通りに動くから、「本命」に乗せておくには都合がいい。もちろん、それなりの脅し文句は必要だがな」


「それにしても、わざわざあの二人を使うこともないと思うけどな」

「フランクからすれば、俺との取引がすんなり終われば問題はないが、失敗した時のことを考えたら、絵は安全なところに置いておきたいと思ったのだろう。絵が乗せられたミニバンだけ、フランクたちが乗っていた車とは離れた入口近くにとめられたのも、そんな思惑があったはず。でも理由はそれだけではない」


「他になにかあるのか」

「チャールズとディンゴはブルーパンサーのメンバーではないからな。たとえ警察から職務質問を受けても、ブルーパンサーとは繋がらない。それにミニバンに乗せられた絵や美術品は上手く偽装されて、ひと目見ただけでは、わからないように収められてあるはずだから、よほど念入りに調べでもしない限り何も出てこない。他のブルーパンサーのメンバーが乗っているよりも安全ということになる」


「ずいぶん手が込んだことをするんだな」

「このぐらいは当たり前のことさ」

「そうなのか……」

 薫がため息をついた。


 マイクには薫が思っていることがわかるような気がした。その情熱を他のことに向けたらいいのに――そんな思いがあるのだろう。しかし、奴らからすれば、そんな正論などまともな世界に住む人間たちの戯言に過ぎない。岐路に立たされた時に、無邪気に投げた木の棒が指し示した先に、何があるのかなんて誰にもわからないことだが、その先を見ることが出来なければ、奴らは生きてはいけないのだ。


「フランクは二人に、命じたこと以外のことは絶対にするなと言っていたはずだ。そしてすべての指示は電話でしていたはずだから、スマートフォンを壊されたときは、目の前が真っ暗になっただろうな」

 マイクが笑い声を上げた。


「だから、俺がスマートフォンを壊したとき、あれほど怒りまくったのか」

「そういうことだ」

「でも、いいのか。俺なんかにこんなことを話しても」

「フランクとの話を聞いていただろ? 少し考えたら誰にでもわかる話さ」


 秋葉原でマリアがジョージを投げ飛ばしてから始まった関わりが、こんな所にまで来てしまうとは、考えてみれば奇妙な話だ。


 しかしそんな関係ももうすぐ終わる。

 あとは絵を取り返して母国へ帰るだけだ。

 マイクは日本に来て初めて気が楽になるのを感じていた。

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