19 マリアを助けるのは俺だけだ(1)

 マリアはデザート・イーグルを両手に持ち、横を歩く薫はAK12を肩でブラブラさせている。緊張感はまるでない。まるでピクニックにでも出かけるような気分だ。


 少しずつフランクとマイクに近づいていくが、何の恐怖心もなかった。それよりも怒りのほうが大きかった。マリアを拐い、殺そうとしたやつらのボスがフランクなのだ。ここできっちりと落とし前は付けさせてもらう。


 薫とマリアは、フランクとマイクの一メートルほど前まで来ると歩を止めた。マリアが手を上げてと言って二人にデザート・イーグルを向けると、二人は黙ってマリアの言うことに従った。


「どうなっているのかっていう顔をなされていますけど、俺たちがここにいる理由をお教えしましょうか。フランクさん」

「初めて会ったはずですが、あなたは、私のことを知っておられるみたいですね」

「俺とマリアが倉庫で殺されそうになった時、あそこにいた人たちが、フランクという名前を口にしているのを何度か耳にしましたので。ブルーパンサーのボスの名前はフランク・マッキンゼー。そして妹のスマートフォンを使って、俺とマリアをここに呼び出したのが、あの時コンテナの建物のところにいたイワサキとかいう爺さん。繋げて考えれば、出てくる答えは一つしかありませんから」


「なるほど。そして、あなた方がこうしてここにいるということは、我々のハッタリがバレてしまったということになりますね」

「偶然でしたけど、入り口のところで妹たちとばったりと出くわしまして、本当は拐われてなどいないとわかりました。あなたたちにとっては不運でしたね」


「そうでしたか。フェスティバル会場で偶然、妹さんたちを見かけた時、拐うことも考えて、一応、下の者を呼びましたが、あの人混みでは無理だと判断して、スマートフォンだけをいただいたのですが、もっと慎重にするべきでした」


「気づかれずにスマートフォンだけを盗むなんて、ずいぶん器用ですね」

「子供の頃にやっていた遊びみたいなものです。もちろん実益も兼ねていましたがね。とことん貧しかったから、そうでもしないと生きていけなかった。最初のうちは捕まったりもしましたが、続けていくうちに失敗もしなくなった。スマートフォンぐらい簡単なことです」


「おい、おっさんの昔話なんてどうでもいいから、俺に向けているデザート・イーグル、降ろしてくれないか。こうして、手をあげているのも辛いんだよ」

 マイクが割って入った。


「そうだな。どうしようか」

 薫はマリアを見た。

「そんなクソ重たいデザート・イーグル、いつまでも持っていられないだろ。案外、もう疲れているんじゃないの?」


「そうね。確かに疲れてきたわね。だったら、それを解消する方法として、あなたを撃つというのはどうかしら。そうすれば、こちらのおじさん一人に向けていればいいから重さは半分になるわね」


「信用ねえんだな」

「ロシア人がアメリカ人を信用すると思うの?」

「さすがセルゲイ・イワノフ元KGB大佐の娘だと言いたいけど、KGBはもう存在しない。だから、仲良く行こうぜ、ベイビー」


 マイクが言った途端、マリアが持つデザート・イーグルが火を吹いた。マイクの後ろに止めてあるファミリーセダンのドアミラーが砕け散った。


「ごめんなさい。あなたの頭を狙ったつもりだったけど、手元が狂ったみたい。やっぱり疲れているみたいね。言っておくけど、私、アメリカ人は嫌いだから。死にたくなかったら黙っていることね」

「――だ、そうだ。あんたに恨みはないけど、悪いが、もう少しそのままでいてくれ。マリアの機嫌を損ねたくないからな」

 薫が付け足すように言うと、マイクが手をあげたまま、あからさまに面白くなさそうな顔をした。


「フランクさん。あの爺さんは、マリアにマイクを撃てと言いましたけど、なぜ、そんなことを言ったのです」

「そうか、他からも俺を狙っていると言っていたのは、マリアのことだったのか」

 マイクが言った。

「保険ですよ。万が一、私の部下が殺り損ねた時のね。それにマイクを殺したらCIAと、ことを構えることになるかもしれません。我々としても、そんなことは、なるべく避けたいですからね」


「最初から、俺を殺すつもりだったのか。汚えやつだ」

「でもマイクはその可能性も考えて、早くからあの場所で待機していたのではありませんか。私と顔をあわせた時、マイクは私の部下が乗ったワンボックスカーの存在も知っていた。当然、自分が狙われることも考えていた。違いますか?」


 フランクがひと息入れて、マイクの表情を窺ってから話を続けた。


「今更ながら思いますが、さっさと殺っておくべきだったと後悔していますよ。そうしたら、絵も燃やされずにすんだことでしょう。まさか絵を車ごと燃やされるとは思ってもいませんでしたから、とんだ誤算でした」


「マイクが絵を燃やした?」

 薫が言った。

「ええ、一億ドルもの価値がある絵を車ごとね」

「なるほどね。一億ドルの憂さ晴らしのためにマイクを殺そうとした。その上、それをマリアにやらせようとしたとは……」


「さあ、どうですかね。それはご想像にお任せします。それよりもマイクに訊きたいのですが、なぜ絵を燃やしたのです」

「言っただろ。面倒くせえからだよ。もう、こんなことに付き合っていられない。そう思ったから燃やした。絵が無くなってしまえば、ジジイも諦めがつくだろうし、その結果、俺は解放されるからな」

「依頼者にはどうやって説明されるのですか」

「ジジイのことか? そんなことは考えてもいなかったな。まあ、これから考えるさ」


「そうですか。それにしてもマイクが考えていることは理解に苦しみますね。やったことの大きさを考えたら、その反発は決して小さくないということは、十分わかっていることだと思うのですが、不思議と、まったく動揺していないように私には見えます。なぜでしょうね」


 フランクが探るような目つきでマイクを見た。マイクも同じような目つきでフランクを見ている。


 薫には二人が無言で会話をしているように見えた。


「俺にもフランクがまったく動揺していないように見えるけど、気のせいかな」

 マイクが意味ありげにニヤリと笑った。


 薫はフランクの表情が微かに変わったような気がした。マイクが言ったことの裏に、何かあるのではないかと、朧げながらに感じた。片那が言っていた。人が本当のことを言わない時は、体のどこかにそのサインが表れると。いまのフランクがそうだったのではないのか。


「気のせいではないですか。マイクからはどう見えたのかわかりませんが、あの時は酷く狼狽えましたよ。ただ、それよりも、いまはあなたに対する怒りの方がはるかに大きい。この落とし前は、死を持って償っていただかないと、気が収まりませんから」


「まあ、そう言うしかないだろうな」

 マイクの言葉に、今度はフランクが意味ありげに笑みを浮かべた。


「まあいいでしょう。それよりも、このお二人はいま、我々に銃を向けている。この状況をどうにかする方法を先に考えませんか」

 フランクが薫とマリアに視線を移した。


「どうにか、とはどういう意味です」

 薫が言った。

「この状況をどうにかせねばならないということですよ。こうして手を上げて、いつまでもここに立っているわけにはいきませんから」


「残念ですが、もうしばらくそのままです。あなたがたは俺とマリアを殺そうとした。それに、よく知りませんが、他にもいろいろとあるみたいですね。例えば、あの倉庫にあったいくつもの絵画や美術品のこととか……」


「ほう、それで?」

 憎らしいほど落ち着いている。それとも子供だと思って舐められているのだろうか。


「罪を償ってもらいます。もうすぐ警察が来ます。それでショーも終わります」

「そうですか。ついさっきお会いしたばかりなのに、もうお別れですか。こうした状況下でなかったら、もう少しお話したかったのですが、仕方がないですね」


 フランクが心から残念だという表情をした。


 いくつものサイレンが遠くの方から聞こえてきた。これで異様な緊張状態から解放される。薫は少し気持ちが楽になるのを感じた。

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