24 いつかまた会おう(1)

 辺りはすっかり暗くなった。目の前の海は、埠頭を照らしている橙色の明かりを穏やかに映し出している。


 薫はどうすることもできない現実を、どう受け止めればいいのか、そればかりを考えていた。アメリカ大使館の公用車を爆破したからには、マリアの身柄も拘束されるのは時間の問題だろう。そんなことなど考えたくもない。少しやりすぎたことは認めるけど、故意ではなかった。

 ――そんな釈明など、通用するわけないか。


 マリアはベンチの上で膝を抱えたまま何も喋らない。さっきからずっと同じ姿勢でいる。ことの重大さに気づかされてから、かなり落ち込んでいる。普段のマリアからは想像もできない姿に、薫の気持ちは余計に重たくなった。


 マイクが電話を終えて戻ってきた。心なしか表情は穏やかに見える。そういえば、さっき片那と電話で話したあとも、同じような表情をしていた。たぶんマイクの問題はどうにかなったのだろう。


「明日の朝の便でアメリカへ帰ることにした」

 マイクが薫とマリアの間に座ると、弾んだ声で言った。

「そうか。ということは、そっちは、どうにかなったんだな」

「薫のダディーは凄い人だよ。あの短い時間で、すべての問題をいっぺんに片付けてしまった」

「それはよかった」

「聞きたいか?」


 マイクは意気揚々という感じで楽しげだ。だが、そんなマイクの態度は、いまの薫にとって面白くはなかった。落ち込んでいるマリアの前で、なぜ、そんなに楽しそうにできるのだろうか。自分の問題が解決して、アメリカへ帰れることになったからといって、それはないだろう。浮かれるのは構わないけど、それは自分一人になってからにしてくれ――。


「聞きたいけどパスだ。いまはそんな気になれない。そのうち機会があったら聞かせてくれ」


 薫はわざと突き放すように言うと押し黙った。だが、マイクは薫の返事など聞いていなかったかのように話し始めた。聞きたくないと言っているのに、何を考えているんだよ。薫は思い切り不機嫌そうにしてみたが、マイクには通じていないのか、それとも無視されているのか、話を止めようとしない。


 黙ったままの薫とマリアの間で、マイクの話は続いた。薫は辟易としていたけれど、これだけ近くで話されたら嫌でも耳に入ってくる。しかも片那のことを話しているのだ。否が応にもマイクの話に意識が向いてしまう。


 結局、すべてを聞いてしまった。マイクが言ったように、親父はすべての問題をいっぺんに片付けてしまったようだ。


「グラン賞の授賞式は、明日の朝八時からCCNで中継される。俺たちにとっては、ちょっとしたエンターテイメントになりそうだな」

「真っ赤な薔薇の髪飾りか……。面白いことを考えたな」


 親父がすることに抜かりはない。ナダルは真っ赤な薔薇の髪飾りをつけてスピーチに立つのだろう。いい歳した爺さんが、自らの欲が発端で生き恥を晒す。芸人が演じるのではない。大富豪であり権力者がそれをやり、それは電波に乗って世界中に配信される。たぶんナダルが公の場に表れることは二度とないだろう。


「それと、アメリカ大使館の公用車爆破の件なんだが――」


 マイクが途中で言葉を切ると、薫とマリアの様子を窺った。


 薫は不意を突かれ、息を呑んだ。それまで死んだようにうなだれていたマリアが顔を上げてマイクを見た。


「もったいぶらずに早く言えよ」

 薫はマイクを見て淡々と言った。


「犯人が捕まった」


 ――まさか……。


 薫は言葉に詰まった。マリアが逮捕されるというのか。マイクはCIAの要員だ。マイクが通報すればその可能性はある。だけど、なんか変だ。確かマイクは犯人が捕まったと過去形で言った。


「どういうことなんだ」

「知りたいか?」

 マイクが焦らすように薫とマリアの顔を交互に見た。薫が当たり前だろと勢い込んで言うと、マイクが苦笑いを浮かべながら話し始めた。


 要点だけの簡単な説明だったが、聞き終わると薫は「なんだ……」とボソッと小声を発すると、少し間を置いてから声を出して笑った。釣られるようにしてマリアの表情が途端に明るくなった。


「誰も死んでいないし、怪我人すらいない。ただ車が爆発して燃えただけだ。公用車一台がなくなったからといって合衆国が破綻することなどない。チャールズとディンゴのことは、俺の方で上手くやっておいた。それらは大使館側の要望として日本の警察にも提出される。この工作がばれる可能性は絶対にないから安心していい」


「だったらマリアは無罪放免というわけか」


「そういうことだ。このことは片那さんにはまだ言うなと言われていたけど、かいつまんで話すとそんなところだ。薫とマリアがあまりにも深刻そうだったし、このまま何も言わないで、海に飛び込まれたら困るからな。――まあ、これに懲りたら、これからはあまり無茶なことはしないほうがいい」


「これも親父が考えたことなのか?」

「片那さんが考えて、俺が実行した。もっと詳しく知りたければ、片那さんに訊いてくれ。お喋りな男にはなりたくないからな」

「マイクはアメリカ人なんだろ? なんか多弁と笑顔を嫌う九州男児みたいだな」

「そうか?」

「これ以上、男前にならないでくれよな。自分に自信が持てなくなりそうだから」


 マイクがわからないという表情をしたが、わからなくてもいいよ、イケメンは。


 これでやっと一日が終わるのか。朝は退屈な一日になると思っていたのに、荒れ狂った一日になってしまった。遊びに行こうと駄々をこねていたマリアも、これだけのフルコースを味わえたのだから満足したことだろう。


「俺はそろそろ行くよ。薫、いつかまた会おう」

 マイクが薫に手を差し出した。薫はその手を強く握った。

「よかったら家に来ないか。飯でも食っていけよ」

「片那さんと同じことを言うんだな。でも、それは次の機会にしてくれ。いまは少しでも早くベッドに潜り込みたい気分だからな」


 やはり大人だな。断り方もスムーズだ。少し先にさっきから停まっている車はマイクを待っているのだろう。


 薫は礼を言うと、もう一度マイクと握手をした。マリアも「ありがとう」と礼を言うと、マイクに手を差し出した。マイクはマリアの手を軽く受け片膝をつくと、また会う日までと言った。


 マイクは「じゃあな」と言うと、そのまま歩いていった。途中で一度振り返ると、名残惜しそうに薫とマリアに向けて手を振った。そして停まっていた車に乗り込むとそのまま行ってしまった。


「結局、本名も知らないままか――」

 マイクが乗った車を見送りながら薫はつぶやいた。


「CIAってなにをしているんだろうね」

 マリアが言った。


「KGB……じゃなくて、FSBと同じようなものだろ」

「それは知っているけど、マイクはなんか違う感じがする」


 思い出してみれば不思議な奴だった。コルト・パイソンを持ち、姿を見せる時はいつも一人で、その時々に応じて、敵対したり、味方になったりした。でも妙に人間味のある奴だった。


「何をしていてもいいじゃないか。マイクは俺たちのかけがえのない友人なのだから。それだけわかれば十分だろ」


 マリアが深く大きく首を縦に振った。


「それじゃあ、俺たちも帰ろうぜ」

 薫が言うと、マリアは「うん」と言って、いつものように薫の腕に自分の腕を絡めてきた。


「どうしたの、今日は嫌がらないのね」

「そんなもったいないこと、できるわけがないだろ」

「だったら、家まですっとこのままでいるけど、いいの? 電車の中でも離さないよ」

「やれるものならやってみろ。絶対に離すなよ」


 薫はそう言うと、いきなり走り出した。マリアがそんなのずるいと言いながらも、薫の腕は離さない。じっとしているだけで汗が浮かび上がるほど蒸し暑いのに、走り回るなんてどうかしている。でも、そんなことなどどうだっていい。ただの戯れなのに、楽しくて仕方がないから。


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