23 決着(2)
スマートフォンが鳴った。画面には通知不可能と出ている。マイクか。そろそろ来る頃だと思っていた。片那はすぐに電話に出た。
片那はマイクの話に集中した。片那が思い描いたとおりであれば、それに越したことはないが、万が一、違った場合には他の対応を迫られる。だが、それは杞憂だった。マイクは片那が要求した通りのことをしてくれていた。これで万事ことは丸く収まる。
「マイク、これからどうするんだ。よかったら家へ来ないか。飯でも一緒にどうだ」
「大変ありがたいのですが、このままセイフハウスへ戻ります。明日の朝の飛行機でアメリカへ帰りますので」
「そうか。せっかく会えたのに残念だな。話を聞いていると、うちの奴らはマイクに迷惑ばかりかけていたようだな。本当に済まなかった」
「そんなことはないですよ。俺も楽しませていただきましたから。それに、ナダルの爺さんに一泡吹かせられたことが、俺にとっては何よりの成果ですから。もし絵が無事で、あのままアメリカに帰っていたとしても、またナダルにいいように使われていたかも知れませんからね。これでよかったと思っています」
「そう言ってくれると少し気が楽になる」
「本当にそう思っていますから。それに、もし上司がこのことを知ったら、手を叩いて喜ぶでしょうね――絶対に言いませんけど」
「俺の友人も言っていたが、ナダルというのは相当な嫌われ者みたいだな」
「ええ、ホテルのベルボーイに渡すチップが二十五セント硬貨一枚という奴ですからね。しかも上から目線でね。嫌われて当然ですよ」
「奴にとって、はした金でしかない一億ドル程度の金を、なぜ洗濯までして綺麗にしようとしたのか不思議に思っていたけど、ただのチープスケートだったというわけか」
「ええ――でも、下手をしたらこのまま引退かもしれませんね」
「真っ赤な薔薇の髪飾りを付けて、格式のあるグラン賞の授賞式の壇上に上がってスピーチをする。そして、それが世界中に放映される。確かに引退に追い込まれるかもしれないが、脱税とマネー・ロンダリングで逮捕されるよりはマシだろ。でも爺さん、薔薇の髪飾りなんて持っているのかな」
「いま頃は慌てて高級フラワーショップに駆け込んで、赤い薔薇を買い漁っていますよ。なんせ、自分のものはすべて一流でなければならないと思っている奴ですから、赤い薔薇も最高のものを探しているはずですよ」
「その最高の薔薇を持って一流の髪飾り職人にオーダーするのか。そう考えると、なんか悪いことをしたかな。萌えアニメのキャラTでも着させた方がよかったかな」
「そんな残酷な」
片那とマイクが声を上げて笑った。
「日本での中継は明日の朝八時からか。マイクは空港で見ることになりそうだな」
「そうですね」
「薫とマリアはどうしている。この事は伝えたのか?」
「まだ伝えていません。二人共、かなり深刻な表情をしていますよ。少し脅しすぎたかな」
薫とマリアの様子を想像して、片那はニヤリとした。マイクには少し脅かしておいてくれと言ったが、薬は相当効いているようだ。
「無理言って悪かったな。二人には何も言わずに、そのまま帰るように言ってくれ。もう少し、お灸を据えておいたほうがいいだろう」
「わかりました」
「それじゃあ、またいつか会おう」
「はい、またお会いできることを楽しみにしています」
電話が切れた。
片那からほっと息が漏れた。それにしてもセルゲイ、お前の娘は手がかかるな。
片那は両手を上げて背筋を伸ばした。
「どうしたの、なんか背中が幸せそうよ」
由佳がお茶を持って部屋に入ってきた。
「ひと仕事終わったからな。それと、あと一時間もすれば、薫とマリアが帰ってくるから、食事の用意を頼む」
由佳がはい、はいと二度返事をして部屋から出て行った。
入れ替わるようにして、また電話がかかってきた。今度は警視庁の立花からだった。立花は、海と森の公園駐車場で起きたアメリカ大使館、公用車爆破事件の犯人が捕まったことを伝えてきた。公用車が停まっていた近くの芝生の上にいた怪しい人物を職務質問したのが、犯人逮捕のきっかけだと言った。片那は適当に相槌を入れながら立花の話を聞いていた。
片那は立花に犯人が捕まったら連絡をくれと言ってあったのだが、これは単なる確認のためだった。犯人が捕まったことはすでにマイクから聞いて知っていたし、犯人の名前も知っていた。すべては片那が描いたことだから当然のことなのだが――。
薫からマリアが、アメリカ大使館の公用車を爆破してしまったことを聞いた時、正直、生きた心地がしなかった。どうするも、こうするもない。下手をしたら国際問題に発展しかねない事件だと思った。
片那はお手上げだった。いくらなんでも、こればかりはどうすることもできないと思った。しかしマリアは絶対に守らねばならない。その時、マリアにやられて芝生の上で転がっているチャールズとディンゴが目に入った。すぐに野上から銃を突きつけられていた二人だとわかった。そして二人が逮捕されたがっていたということも思い出した。
ブルーパンサーに雇われて、萌え萌えカフェに押し入り、マリアを誘拐しようとしたり、その後、建物と共に薫とマリアを爆殺しようとした奴らだ。片那に迷いはなかった。
片那はチャールズとディンゴを公用車爆破の犯人に仕立て上げるよう、マイクに頼んでみようと思った。CIA要員のマイクなら、そのぐらいの工作は簡単にできることはわかっていた。その代わりというわけではないが、片那がナダルの口を永遠に塞ぐことを約束すればいい。そして、そのネタも与える。片那が書いたナダルの疑惑に関する記事は、ナダルを追い込めるだけのインパクトがあるという自信があったからだ。
ナダルには、記事の公表を止める代わりに、マイクとCIAには今後、一切の関与はしないという約束を取り付ける。それでマイクは救われる。それにCIAにしても、図らずもナダルの脱税とマネー・ロンダリングに関与していたという事実が消えてなくなるのだ。
片那が説明すると、マイクは話に乗ってきた。マイクからすれば、片那の話に乗る以外に助かる道はないのだから当たり前のことなのだが、マリアが助かる道もこれしかないのも事実だった。これはお互いのための取引だ。マイクの返事を聞いて、片那は心の底から安堵のため息を漏らした。
――ウィン・ウィンですね。
話を聞き終えたマイクが言った。
いや、チャールズとディンゴもだ。奴らも望んでいた通りに逮捕されたから、ウィン・ウィン・ウィンだな。片那は口に出かかったが、言うのを止めた。あまり図に乗るのも良くない。
居間が騒がしくなった。楓音とレイが夕飯を食べに降りてきたようだ。由佳が一緒に済ませたらと声をかけてきた。片那はすぐに行くと言って立ち上がった。
これで俺の出番は終わりかな。座卓の上に置かれてあるノートパソコンを見て片那は思った。
なんだか寂しいな。
片那は「うん」と声に出すと、大きくうなずいた。
たまには若い奴らの面倒を見るのもいいものだ。それに、久し振りに、なかなか楽しめた。寿司は遠のいたけど、それに優る幸せを手に入れたような気がした。片那は軽く首を振ると足取りも軽く部屋を出た。
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