23 決着(1)

「片那、一体ナダルに何をしたんだ」

 電話に出るなりピーターが問いただすようにして言った。

「どうしたんだよこんな時間に、そっちはまだ早朝だろ」


 考えていたよりも早い反応に片那は驚いたが、そんなことなどおくびにも出さずに、いつも通りを演じた。同じジャーナリストであるピーターに、このことを知られたら、せっかく立てた作戦も台無しになる。結果、マイクとマリアを救えなくなる。いくら親友でも、ナダルとのことは絶対に知られてはならない。


「朝五時をまわったところだ。で、ナダルと何があったんだ」

「ナダルがどうかしたのかよ」

「あの爺さん、主だったジャーナリストやメディア関係者たちに電話を掛けまくって、片那のことを嗅ぎ回っている。それもこんなに朝早くからな。誰だって何かあったと思うだろ。で、どうなんだよ」


 まったく、大企業の会長ともあろう人間が、これほど間抜けだとは――。


 片那は頭を抱えた。まさかこれほど大っぴらに自分のことを探し回るとは思いもしなかった。確かにアメリカでは、葉山片那というジャーナリストなど、ほとんど知られていないし、英語のサイトにも出てこないだろう。だからといって、電話を掛けまくって探し回るなんて、どうかしている。朝早くから日本人ジャーナリストを探し回っているアメリカの大富豪。これがどれだけジャーナリストたちの勘を刺激するのかわからないのだろうか。あのことはナダル自身にとっても絶対に知られてはならないはずなのに、これでは自らアナウンスしているようなものだ。


 ただ、仕掛けてきた相手が誰なのかわからないのは不気味でもあり、相当なストレスでもあるはずだ。たぶんナダルはかなりパニックになっているのかもしれない。もしそうなら、それはそれでいいことでもある。ナダルが片那のことを恐れるほど、片那の思う壺なのだから。


「たぶんあれだろ」

「あれって何だよ」

「この前話しただろ、ナダルが絵を盗まれたとかいう話を」

「ああ、あったな」

「あの話、ちょっと気になってな。絵はどうなったのかって、さっきナダルにメールをしてみたんだよ。ピーターがあまりにも馬鹿らしいという感じで言っていたから、どの程度なのかなっていう興味もあってな。ちょっとした冷やかしのつもりだったんだが、なんか大事になっているみたいだな。正直、戸惑っているんだ」


「やっぱりそんなことだったか。どう考えても片那とナダルが繋がるようなものなどないからな。――ということは、盗まれた絵のことでメールが来たから、片那のことを調べようとしたのか。ナダルのことだから、十分にあり得るな。とにかく金に関することには執念深い奴だから、絵をどうにかして取り戻そうと必死なんだろう。まったく朝早くから迷惑なジジイだぜ」


「悪いな。最近、ネタがなくてな」

「だったらいいけど、片那もよくやるよな。ナダルなんかに絡むなんて、普通はやらないぜ。あいつと関わっても一ドルにもならないからな」

「本当に悪かったな。この埋め合わせは必ずするよ」

「気にするな。片那には散々助けてもらったからな。何かいいネタがあったら、まっさきに知らせるよ」

「助かるよ」

「それじゃあな」


 電話が切れた。


 片那は自然と顔がほころぶのを感じた。

 これでいい。思っていた通りに食いついてきた。それにしてもナダルの爺さん、相当焦っているようだ。が、今更いくらもがこうとも、どうすることも出来ない。すでにナダルは片那の言うことに従う以外、生き残る道がないのだから。


 本当はピーターを通して、アメリカでナダルの記事を出そうと考えていたが、マリアとマイクが窮地に追い込まれていることを思うと、こうせざるを得なかった。その結果、この記事は陽の目を見ることはなくなってしまうが、若い奴のためなら仕方がないと割り切るしかなかった。だが、それでもこれはこれで痛快でもある。なにしろ世界的企業家であり大富豪のアンソニー・ナダルが、片那みたいなちっぽけな日本人ジャーナリスト一人に振り回されているのだから。


* * *


 片那は家に帰るとすぐにパソコンに保存してある記事を一部修正した上で、メッセージと共にナダルへメールを送った。


 メールの内容は、ナダルがプライベートセールを介して一億ドルのマネー・ロンダリングを行ったことについて詳細にまとめた記事と、集めた資料などをすべて添付した。もちろんマイクに不都合になりそうな部分はすべて削除した。


 そのあと片那はマイクに電話をして記事の内容を説明した。そこまで言うこともないかと思ったが、マイクを安心させるには内容を知ってもらう方がいいと判断してのことだった。それに、その方がマイクの協力を得やすい。


 驚いたことに、マイクはナダルの脱税については、おおよそ知っていた。が、記事の内容はそれだけではない。片那がこれまでに集めたナダルのスキャンダルについてすべて話し終えると、さすがのマイクも絶句してしまった。いくら性格の悪さから嫌われているとはいえ、それは表には出ないこと。ナダルの表の顔は、大企業の会長であり、有数の資産家。そして慈善事業にも積極的に参加して寄付を集めたりする良識のある人物としてアメリカ国民に知られている。そんなナダルが脱税した金を資金洗浄のために、国外で絵画の闇取引をしていたのだから、マイクの反応も仕方なのないものだと片那は思った。が、それは思い過ごしだった。少しの間を置いて話し始めたマイクの声は、明らかに溌剌としていた。


 衝撃的なことで飲み込むまでに少し時間がかかったようだ。最後には、これでナダルの弱みを握ることができたと言って、感謝までされる始末だった。


 片那はすぐに日本の葉山片那からのメールに目を通すよう、ナダルに電話を入れてほしいと頼んだ。向こうは早朝だが、絵のことで緊急を要することだと言えば、何があろうともナダルは言うことを聞くはずだ。そして、その答えがたったいま、ピーターを通して返ってきた。


 ――それにしても。


 片那は書き加えたメッセージを思い出してほくそ笑んだ。爺さん、本当にやってくれるだろうか。たぶん、いや、絶対にやるだろう。それしか生き残る道がないのだから。


『――最後に、もしあなたがこの記事の公表を望まないのであれば、私からの提案を受け入れていただくことで、公表を取りやめることができます。

 その前に一つ誠に残念なことをお知らせしなくてはなりません。ゴッコの絵なのですが、本日、絵が乗せられてあった車が爆破され、絵は消失してしまいました。爆破された車は、絵を盗んだブルーパンサーが所有していた車です。この件はニュースになると思われますので、真偽の程はご自身でお確かめ下さい。

 そこで、私からの提案なのですが、すべてを忘れること。それだけで記事の公表は止まります。すべてとは、ゴッコの絵はもちろん、あなたがブルーパンサーによって盗まれた絵を取り返すよう依頼したCIAのこともです。あなたは絵を買わなかったし、盗まれてもいない。そして絵を取り戻すよう誰にも依頼をしていない。

 あなたにとって、私からの提案は損な取引ではないと思います。すべてを忘れることで、あなたがこれまでに築き上げてきたものを守ることができるのですから、あなたにとって、これは歓迎すべきことではないでしょうか。

 もし、あなたがこの提案を受け入れていただけるのでしたら、是非やっていただきたいことがあります。あなたは今夜、グラン賞の授賞式に出席されますが、その際、ご婦人方がつけるような真っ赤な薔薇の髪飾りをつけてご出席願いたいのです。できれば、目立つように派手めなデザインのものをつけていただけると助かります。もちろん、そのままでスピーチも行っていただきます。そうしていただければ、それを了承のお返事と受け取り、記事の公表を差し控えます。

 グラン賞の模様はCCNで放送されますから、私はテレビを通して確認させていただきますので、このメールに対するお返事は無用です。

 尚、この件でハリー・ウィルキンソン氏及びCIAに何を言っても状況は変わりませんので悪しからず。また、私の友人であるハリー・ウィルキンソン氏が、いささかでも困難な立場に置かれるようなことになれば、私は躊躇なくこの記事を公表致します。あなたのするべきことは、すべてを忘れること。くどいようですが、どうかご理解のほど。あなたが約束を守っていただけるのなら、なんの心配もいりません。

 それでは、今夜、日本時間では明日の朝ですが、テレビ中継を楽しみにしております』


 片那はメールを書き上げると、何の躊躇いもなく送信をクリックした。


* * *

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