22 すべて燃えてしまった(2)
「親父、なんでこんなところにいるんだよ」
「フランクたちブルーパンサーのメンバーとヘンリー・イワサキが逮捕されたから、戻ってきたところだ。薫とNinjaのことで話がしたくてな」
片那が笑いながら言ったが、その表情は明らかに引き攣っている。
薫は笑ってごまかすことすら出来ずに黙っていると、片那が何かあったのかと訊いてきた。薫は少し迷ったが、こんなことを相談できるのはもう片那しかいない。薫はマイクに片那を紹介して、話してもいいかと訊くと、マイクは好きにしろと言って、また伏せってしまった。
薫が話している間、片那は一言も口を挟まずに話を聞いていた。薫が話し終わると、片那は何ごとか考えるようにして、しばらく黙ったままでいた。
薫は心配になり、声をかけようとした時、片那が口を開いた。
「ニューヨークは朝の五時過ぎか――。少し早いが大丈夫だろう。心配するなマイク、何とかなるかも知れない。ただし、そのためにはマイクの協力が必要になるけどな」
「どうにかなるのでしたら、なんでもしますけど、協力ってどんなことをすればいいのですか」
「まずはナダルのメールアドレスを調べてほしい」
マイクは、そんなことならと言って、スマートフォンを取り出すとナダルのメールアドレスを片那に教えた。片那はメールアドレスを受け取ると、大丈夫だと言ってマイクに微笑みかけた。
それでもマイクは半信半疑の表情をしているが、それも仕方のないことだろう。燃えてしまった絵が蘇るとは思えないし、ましてや代わりのものがあるとも思えない。
薫は何か秘策でもあるのかと片那に訊いてみたが、時間がないからと言って、交わされてしまった。片那のことだから、何か根拠があってのことだと思うが、何を、どうしようとしているのかまったく想像もつかない。これではマイクの気が晴れないのも当たり前のことだ。
「それと、まだあった」
薫は思い出したように声を上げた。
「まだなにかあるのか」
「マリアがアメリカ大使館の公用車を爆破してしまったんだ。どうすればいい」
これにはさすがの片那も言葉に詰まってしまい、押し黙ってしまった。
「これって、ヤバいよな」
「公用車だろ……、ヤバいに決まっている」
片那が断言すると、薫は首をすぼめて口を閉ざした。
「あの二人、まだいたのか……」
片那が、マリアの前にいるチャールズとディンゴを見てつぶやいた。
「親父、あいつらのこと知っているのか?」
「さっき、ちょっとな」
「あつらだよ。俺とマリアを建物ごと爆破しようとしたのは」
「そうか、あいつらが――」
そう言って、片那が何ごとか考えるようにしてまた口を閉じた。薫はどうしたのかと思ったが、声をかけられる雰囲気ではなかった。そのまま何も言わずにいると、片那が突然、よし、と言って手を叩いた。そして二時間以内に電話を入れるから、それまでどこかで待機していてくれと言って帰っていった。
薫はどうするのか訊きたかった。追いかけていって訊こうかと思ったけど、なんとなく憚られた。こうなったら片那を信じて連絡を待つしかない。薫は道路の向こう側の海沿いのベンチで時間を潰そうと思い、マイクに声をかけると、マイクはうなだれたまま立ち上がった。マリアはまだチャールズとディンゴに構っている。そんな雑魚を構っていても何の意味もない。薫はマリアの腕を引っ張って連れて行こうとすると、チャールズが慌てて薫に近寄ってきた。
チャールズが、俺たちは逮捕されるんだよなと訊いてきた。だが、そんなこと、薫にわかるわけがない。薫は何も言わずにその場を離れようとすると、チャールズとディンゴが待ってくれと薫の手を取った。
「このままだと、俺たちは殺されてしまう」
「フランクにか?」
「車から絶対に離れるなって言われていたのに、車は燃えてしまったんだ。もうどうすることもできない」
「それはお気の毒だな。でも、そんなこと俺には関係がない」
フランクがすでに逮捕されていることは敢えて言わなかった。そのまま、いつまでたっても来ない恐怖をとことん堪能させてやろうと思った。俺とマリアを殺そうとしたのだ。そのぐらいのことをしても、誰も咎めはしないはずだ。
薫はフンと鼻を鳴らして踵を返した。しかしチャールズとディンゴが薫の足にしがみついてきて、必死に逮捕してくれと懇願した。
――何なんだよ、こいつら。俺は警察じゃねえ!
薫は足を掴んでいる手を振り払おうとすると、マイクが徐に近づいてきた。
「これ以上、つきまとうなら殺す」
マイクが唸るような声で言うと、コルト・パイソンをチャールズに向けた。チャールズとディンゴがたじろいで後退りした。
「マイクの言う通りだよ。薫、いっそのこと殺っちゃおうよ。スッキリするよ」
マリアもデザート・イーグルを二人に向けた。
――またかよ。
ついさっき、宥めたばかりなのに、その上、今度はマリアまで一緒になって――。薫は頭を抱えた。
本気じゃないよな。冗談だよな――。でも二人共目がマジっぽい。
「安心しろ。楽に送ってやるから」
マイクがチャールズとディンゴを見つめたままコルト・パイソンの引き金に手をかけた。マリアもデザート・イーグルの引き金に手をかけた。
――そんなんじゃねえだろ!
薫は、なんで俺がこいつらのお守りをするはめになっているんだよと思いながらマリアとマイクの腕を取り、強引に連れて行こうとした。しかし今度はチャールズとディンゴが待ってくれと足を掴んでくる。
――一体、何なんだ、こいつらは。ここには、まともなやつはいないのかよ。
「大人しくそこに座っていろよ。そうすれば望み通り、逮捕されるから」
「ほ、本当なのか? 本当に逮捕されるのか?」
「ああ、本当だ。あとで警察が来るから、そこで大人しくしていろ」
薫はまどろっこしくなって、適当なことを言うと、マリアとマイクを連れてその場を離れた。
三人は海沿いのベンチに座った。
「なんだ。たかが一億ドルじゃない」
話を聞いたマリアが最初に放った言葉だった。
――マリア、お前はどこの金持ちのお嬢さんなんだ。
無神経なのか、ただ鈍いだけなのかわからないけど、マリアにとって、悩みという言葉は一生無縁であるということはよくわかった。
「俺の推測が正しいのなら、少なくとも五億ドルはある」
薫は力を込めて言ったつもりだったが、マリアは「ふーん」と、まるで他人事のようだ。
「もういいよ。一億ドルだの五億ドルだの。そんなこと、今更言ってもどうしようもないから」
マイクの口ぶりは、すでに諦めているように聞こえる。
「そうだよ。たかがお金じゃない。失ったら稼げばいいだけよ」
――少しは空気読めよ。
「薫だってさ、引きこもりだったのに、二度も私のことを助けに来てくれたでしょ。それもたった一人で。やろうと思ったら何でも出来るんだよ」
「薫は引きこもりだったのか?」
「私が無理やり引っ張り出さないと家から出ないぐらいにね」
「俺は引きこもりじゃないって言っているだろ。ただ、行くところがないから家にいるだけだ」
「それを引きこもりっていうのよ」
「引きこもりなんて、単なる風説だと思っていたけど、本当にいるんだな」
「マイクまで一緒になって言うなよ」
「でも、いまの薫はあの頃とは全然違うよ。すごく素敵になった」
「――だってよ」
マイクが薫を肘でつついた。
「マイクは彼女いないの?」
「いないよ。それに、こんな失態をやらかしちまったから、そんな話は永遠に縁がないだろうな」
「また勝手に鬱になるんだから。マイクもこれから素敵になればいいのよ。イケメンだし、何だってできるわよ」
「だってよ」
今度は薫がマイクを肘でつついた。
「それもそうだな。ただ、イケメンだから何だってできるというのは、理解できないけど、とりあえず頑張ってみるよ」
「そうそう、それでいいの」
励ましになっているのかいないのか、単なる無責任な物言いとも取れるけど、それがマリアなりの考え方なのだろう。要するに、深く考え過ぎるなということにしておきたいのか。でも単純だけど、それもいい。
スマートフォンが震えた。薫は慌てて画面を確認してから電話に出た。片那からマイクに代わるように言われて、スマートフォンをマイクに渡した。
マイクは時折うなずきながら、片那の話に聞き入っている。
――わかりました。すぐに電話を入れます。はい、こっちもやってみます。はい……。ええ、出来ると思います。
マイクは電話を切ると、意味ありげにニヤリと笑った。さっきまでとは表情がまるで違っている。そして、すぐに自分のスマートフォンを取り出すと、どこかへ電話をかけた。
薫はそばにいてはマズいような気がして離れようとしたが、電話はすぐに終わった。
「どうしたんだ」
マイクの表情を見る限り、悪いことのようには思えないが、内容を聞くまでは不安だ。
「なんとかなるかも知れないかな。薫のダディーは面白い人だな」
マイクはそう言って薫に向かってウインクした。
「なになに、それって、なんかヤバい感じだけど」
何を勘違いしたのか、マリアが興奮気味に言った。
「そんなことよりも、さっきマリアはアメリカ大使館の公用車を爆破させたけど、あれ、かなりまずいぞ」
マイクの表情が急に真剣味を帯びた。
「そうだ、忘れていた。あれ、マジでヤバいぞ」
薫もマイクに言われて思い出した。大使館の公用車を爆破してしまったのだ。お咎めなしとはいくまい。
「だって、邪魔だったんだもん」
マリアが表情も変えずに言った。
「大体、なんであんなところに公用車を停めておくのよ。そっちの方が問題でしょ」
――開き直りやがった。それに、その言い分、どう考えてもおかしいだろ。
薫の方がドキドキしてきた。これは本当にヤバい。しかし深刻なはずなのに、気のせいか、マイクの表情には余裕があるようにも見える。
「誰も乗っていなかったとはいえ、大使館の公用車を爆破したんだからな。ごめんなさいで済むはずがない」
マイクが淡々と言った。
「そうなの?」
急にマリアの勢いがなくなった。
事の重大さに、いま頃気付きやがったか。鈍いにもほどがある。だけど、これはマジで困った問題だ。このままでは、最悪、マリアは逮捕されるだろう。
薫はマイクがどうにかしてくれることに期待せずにはいられなかった。だけど、よく考えてみると、それはかなり虫のいい話だ。マイクにそこまでの力があるとは思えない。それに、これはアメリカだけではなくて、日本の警察も絡むことなのだ。そしてマリアはロシア人――。これでは三カ国が絡んだ国際問題になってしまう。
会話が途切れた。嫌な雰囲気に包まれると、尚更、何を話していいのかわからなくなる。
マイクが電話をかけてくると言って立ち上がった。薫が軽くうなずくと、そのまま少し離れたところまで行きスマートフォンを耳に当てた。
残された薫とマリアは嫌な雰囲気に包まれたまま黙っているしかなかった。夜の帳が下り、暗くなるにつれて不安が増してくる。
――頼む。誰でもいい。どうにかしてくれ。
薫は心の底から助けを求めていた。
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