3 予期せぬ連絡(2)

 薫は巡回コースをいつもより時間をかけて回ったが、待ち合わせの時間まで、まだ一時間近くもあった。仕方なく萌え萌えビルの前にあるファストフード店で時間を潰すことにした。


 薫はドリンクを手に持って、通りに面した窓際の椅子に座った。ここからなら萌え萌えビルの入り口がよく見える。


 久し振りに外へ出たせいか、椅子に座るなり疲れを感じた。いまのままではよくないのかな。そう思いつつも、でも――という言葉しか続かない。そして、その先は、いつものように「まあ、いっか」で完結するのだろう。まったくどうなっているのだろう。


 萌え萌えビルから白人の若い男が出てくるのが見えた。あんなオタしか寄り付かないようなビルから外国人か――。薫は気になり、その男を目で追ってみた。男は少し歩くと、寄せてきたスモークガラスの黒のセダンに乗り込んだ。薫は車のナンバープレートが他と違うことにすぐに気がついた。在日外国大使館の公用車などに付けられるブルーナンバーだった。薫は咄嗟にスマートフォンのカメラを起動すると、車に照準を合わせてシャッターを切った。


 ――なんかスパイ映画みたいだ。組織の諜報員ってこんな感じなのかな。


 薫はそんなことを考えながらスマートフォンの時計を確認した。四時ちょうど。よし、あと十分で標的は現れる――。薫は席を立つと、カップをゴミ箱に捨てて店を出た。ここからなら道路を渡るだけだから、十秒もあれば行けるが、紳士はレディを待たせないものだ。と、いつか見た映画の主人公が、そんなような事を言っていたような、いなかったような――。


 薫が一階のロビーで待っていると、マリアがエレベーターから降りてきた。薫の姿を見るなり、嬉しそうな顔をして抱きついてきた。


「お、おい、やめろよ。人が見ているじゃねーかよ」

「なんで?」

「だって、ヤバイだろ、こういうのって」

「えっ? 言ってる意味、わかんないんだけど」

「だ、だから。ん――もう、いいや」


 薫は恋人でもあるまいし、と言おうとしたが躊躇ってしまった。理由はわからない。


「変なの」

 マリアが薫の腕にしがみついたまま言った。


「ところで、これからどうするんだよ? 家に帰るのか?」

「そんな、せっかく薫と一緒に秋葉原にいるのに、このまま帰るなんてもったいないでしょ」

「じゃあ、どこへ行く? 一応、秋葉原のことはだいたいわかるから、どこでも連れて行ってやるよ」

「だったらプリクラ行きたい!」


 マリアが即座に言った。


「プリキュ○?」

「プ、リ、ク、ラ。わかっていて言ってんの?」

「もちろん、わかっていて言っているけど――。てか、行くのはいいけど、俺は撮らないからな」

「なんで」

「恥ずかしいだろ、あんなの」

「私が一緒なのが恥ずかしいの?」

「ち、違う。プリクラを撮るのが恥ずかしいって言っているの」


 マリアが黙ったまま薫をじっと見ている。

「な、なんだよ」

 ――なんか、ヤバイこと言ったかな。

「薫、遊ぶと決めたらね、徹底的に遊ぶものよ。さあ、行こう」

 マリアがまた薫の腕を取って歩き始めた。


* * *


「すっごーい。これ、全部プリ機なの?」

 ズラリと並んだプリ機を見てマリアが驚きの声を上げた。

「ねえねえ、どれにしよっか」

 マリアが楽しそうに薫に訊いてくる。


「ねえ、コスプリしようよ。衣装、借りられるみたいだからさ」

「俺はやらないからな」

「なんでよ」

「なんでもだ」

「なんかつまんない。あーあ、セーラー服の衣装、着てみたいな」

「着ればいいじゃねーか」

「やだよ、ひとりでそんなことするなんて」

「俺にあんなものを着ろっていうのかよ」

「そうじゃないけど、一緒に撮ってくれたら着てもいいかなって」


 その時、ほんの一瞬だったが、マリアが鋭い視線をどこかへ投げかけた。


 ――まただ。


 薫はマリアに気づかれないように、その方向を見てみたが、特に変わった様子はない。


 萌え萌えビルで待ち合わせていた時から違和感はあった。いつものように、明るく笑いながらくっついてきたマリアだったが、その表情が一瞬だけ険しくなったような気がした。はっきりと見たわけではなかった。ただ、そんな気がしたという程度のことだったから、単なる気のせいだと思っていた。だけど、そうではなさそうだ。マリアは明らかに何かを気にしている。


「どうしたの?」

 マリアが覗き込むようにして薫を見た。


「い、いや、なんでも」

 薫が言うと、マリアはちょっと待っていて、と言って離れて行った。


 ――やっぱり何かあるのか。鋭い目付きで、一体何を見ていたのだろう。


 しばらくしてマリアが戻ってきた。ネコミミをつけている。薫と目が合うと、ニコッと笑った。


「どう?」

「い、いいんじゃね」


 気にしていたのはレンタルのネコミミというオチだったのか――薫は馬鹿らしくなり、適当に返事をした。ただ、ネコミミをつけたマリアは可愛すぎる。


 マリアが薫の手を取りプリ機に入った。


「そ、そんなに近づくなよ」

「いいじゃない。近づかないと撮れないでしょ。なんで薫は私が近くに寄ると嫌がるの?」

「そんなことないけど……」


 戸惑い気味の薫をよそに、マリアははしゃぎながら色々なポーズを試している。


「これでいいかな」

「いいんじゃないかな」

「もう、ちゃんとしてよ」

「いいから、早くしろよ」


 薫がキレ気味に言うと、マリアが恐ろしいことを言いだした。


「だめよ。ちゃんとしなきゃ。みんなに配るんだから」

「お、おい。もしかして、このプリクラ、誰かに配るのか?」

「当たり前でしょ。ほら、笑ってよ」


 ――それはよくない。絶対に駄目だ。


「これでいいかな?」

 薫の気持ちを余所に、マリアは自分のペースを崩さない。

「いい? 押すよ?」

 ――もう、勝手にしろ!

 薫は心の中で諦め気味に叫んだ。

 

 プリクラが終え、他のゲームを適当に楽しんでから、薫はもう一度、マリアを連れて巡回コースを回った。マリアが見たいと言ったからだった。


「あっ、AK47だ」

 ミリタリーショップの前に来た時、マリアが声を上げた。

「知ってんのか?」

「もちろん。これはⅢ型ね」

「よく知っているな」

「AKが普及しだしたのは、Ⅲ型からだからね」

「なんでそんなこと知っているんだ?」

「なんとなく覚えちゃった。パパのAK47の扱いはプロ級だからね。カラシニコフについてはなんでも知っているの。その影響かな」

「マリアのお父さん、そんなに凄い人なんだ」

「こと、ロシアの銃火器に関しては、パパ以上に扱えて、知識のある人は、設計者を除くとそれほどいないわ」

「凄いな」

「KGB時代には、五百人は殺したって、パパが自慢気に言っていたわ。パパのAKの扱いは芸術よ。五百メートル先のリンゴも打ち抜けるわ。それにAKだけでなくて、他の銃を使った狙撃、それ以外にも、刺殺、毒殺、薬殺、どれをとってもパパの仕事は超一流よ」

「そ、そうなのか。そんな話を聞くと、ロシアって近くて遠い国なんだなって改めて思うよ」

「薫、誰か消して欲しい人がいたら、いつでも遠慮なく言ってね。足がつかないように、完璧に仕事するわよ」

 マリアがニコッと微笑んだ。


 笑いながら言うことかよ。薫はそう思いながらも、「けっ、結構です……」と言って愛想笑いをした。


「冗談よ。嘘に決まっているでしょ。大昔ならあったかもしれないけど、いまの時代、いくらKGB――でなくて、いまはFSBだけど、とにかく、そんなことはしないから」


 マリアがしてやったりという感じで大笑いした。


 ――騙されたってわけか。

 薫は何も言い返さずに大きなため息をついた。


 その時、マリアが一瞬、険しい視線をどこかへ投げかけた。またネコミミか? それとも何かを見つけたのか? 薫は辺りをうかがうように見まわしてみたが、とくに変わった様子はない。


「どうかしたのか?」


 薫は何の気無しに、マリアに訊いてみたが、逆にマリアから「どうかしたの」と返されてしまった。


 またからかわれるのも癪だ。薫は何も言わずに黙っていた。


 それから二人は巡回コースを回り終え、秋葉原駅に戻ってきた。朝来た時は、晴れ渡った夏の空だったけど、いまはもう、日が暮れかかっている。


 帰宅時間と重なって車内は混んでいた。マリアがドアの脇に立ち、薫はその横に立った。


「ねえ、薫。私、将来、日本で探偵やってみようかなって思うんだけど、どう思う?」

 突然、マリアが言った。

「探偵? そんな知識、あるのかよ」

「大丈夫よ。ロシア式で、お悩み解決。なんちゃって」

「はいはい」

「ある時は秋葉原のメイド、またある時はロシアの美人探偵ってどうかな」

「キャッチコピーはいいけど、頼りになりそうもないな」

「でも、私って凄いかもしれないよ」

「だといいな」


 薫のまるっきり信用していない口振りに、マリアが不満そうに頬をふくらませた。窓から外を見ると、下に神田川が見えた。電車が御茶ノ水駅のホームに入った。


「すぐにわかるよ。私は凄いって。だから探偵にもなれるんだから」

「だからなんで、探偵なんだよ」

「なんとなくよ。響きがカッコいいじゃない」 

 マリアがクスクスと笑った。

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