17 駆け引き(1)

 マイク・スミスは駐車場に止めたファミリーセダンの運転席で、フロントガラスを覆ったサンシールドの隙間からフランクたちの様子を窺っていた。


 黒のセダンにはフランク一人だが、少し離れたところに止められたグレーのワンボックスカーにはヘンリー・イワサキとフランクの手下のジョンとマックス、それに、入り口際に止められてあるミニバンには、チャールズとディンゴがそれぞれ乗っているのが確認できた。


 約束に反して、フランクは仲間を連れて来ていた。紳士然としているのは、やはり上辺だけだったようだが、所詮は泥棒、そんなものだ。それに、これは初めからわかっていたことだ。さして驚くようなことでもない。逆に、本当にフランクが一人で来ていた方が驚きだったろう。


 それに、約束に反するというのなら、自分も似たようなものだ。なぜならジョージもアンディもここにはいない。約束と違って一人で来ているのだから。


 最初から守る気のない約束を交わしたのだから、お互い大嘘つきだな。マイクの口元が自然と緩んだ。


 マイクは朝の開門と同時に駐車場に入った。少し早すぎるかと思ったが、フランクの方が先に来ていたら洒落にならない。偵察する方が、される方になってしまう。なんとしてもフランクよりも先に入るには、開門を待つしかなかった。そして会場入口から少し離れたところに車を止めると、フロントガラスの内側にサンシールドを置いた。後から次々に入ってくる車は、徐々に空きスペースを埋めていった。マイクの車のまわりにも、後から来た車が次々と止められた。


 ――これでいい。

 思っていた通りにことが運び、マイクは満足げにうなずいた。


 これだけの数の車の中に、日本車のファミリーセダンが紛れてしまえば、不審に思われる可能性は、ほぼゼロだ。


 思った通り、奴らは駐車場に入ってくると、停められてある車を一通りチェックしていった。もちろんマイクが乗った車も目に入っていたはずだが簡単に見過ごした。ついさっきも、フランクが目の前を通ってフェスティバル会場へ入って行ったが、マイクが乗っている車を気に留める様子などまったくなかった。


 フェスティバル会場からフランクが戻ってきた。少し離れてジョンとマックスが後を追っていった。マイクは時計を確認した。二時十五分。このクソ暑いのに、出たり入ったりして、何を考えているのやら。


 フランクとジョンとマックスはワンボックスカーのところへ行くと、ヘンリー・イワサキと話し始めた。これからやるべきことの再確認でもしているのだろうか。


 入り口際のチャールズとディンゴに目を移してみた。相変わらず車の中にいるが、何かをしている様子はない。二人は明らかに退屈そうにして、ただ車のシートに座っているだけだ。


 ――思っていた通りだ。


 マイクは二人の様子を見ながら鼻で笑うと、シートを倒して横になった。やめた、やめた。面倒くさくなった。やることは決まっているのだ。これ以上、奴らを見ていても、何の意味もない。フランクが一人でないということがわかればそれでいいのだ。


 三時まであと四十分あまりある。昼寝には丁度いいと思いながら、マイクは目を閉じたが、なかなか寝付けない。


 突然思い出されるナダルの声。

 ――今度はクソジジイか、まったく奴の呪いは手に負えないぜ。

 マイクは大きく息を吐いた。


 昨夜、ナダル本人から電話が来た。想像すらしていなかったことでマイクは戸惑ったが、電話番号はスナイダーから聞いたらしかった。何の了見があって、第三者に部下の電話番号を教えるのか理解に苦しむが、スナイダーならやりかねないとも思った。


 スナイダーはマイクの上司で、無能を絵に描いたような男だが、自己保身には優れているタイプで、上の者や権力者には決して逆らわない。茶坊主に徹して成り上がってきただけの男だと誰もが言うほどだから、ナダルから電話番号を教えろと言われたら断るはずもないことは容易に想像できる。だいたい、このクソみたいな任務も、ナダルのゴリ押しの依頼を断りきれずに部下であるマイクに押し付けたのだ。おまけに秘密裏にやれと言われて、マイク一人でやらされる羽目になってしまった。


 ナダルには余程弱みを握られているのだろうか、それとも、エージェンシーでのこれ以上の出世は諦めて再就職先でも探しているのだろうか。何にせよ、ナダルの尻拭いはスナイダーの役目だろうに。本当にいい迷惑だ。


 それにしても、思い出すだけであのクソジジイには腹が立ってくる。


 ――君がウィルキンソンくんかね。


 電話を受けると、無駄に大きい声が耳に突き刺さってきた。

 初めて話す相手にいきなりこれだ。ナダルの性格がこれだけでもわかる。こういう人間には何を言ってもストレートに受け取らない。必ず捻じ曲げて解釈する。そして、なにか瑕疵があると、待ってましたとばかりに相手を非難する。最後には、決まって不快な思いをすることになる。マイクは取り敢えず丁重な言葉遣いで挨拶をしてみたが、予想通り、マイクが謙るのは当然と言わんばかりに軽く受け流されてしまった。


 そこからは、ナダルの独演会のように一方的な話が続いた。話の八十パーセントは罵倒と文句と説教だった。よくぞこれだけ罵倒する言葉を知っているものだと感心するほど、その語彙は豊富だった。


 マイクは聞いているうちに徐々にバカらしくなってきたが、中途半端に言い返して、ナダルを刺激するのは話を余計に長引かせるだけになってしまう。だが、それだけならまだいい。電話を切ったあと、矛先を変えてスナイダーに八つ当たりでもされたら面倒くさいことになる。仕方なく適当に相槌を打ちながら話を聞くしかなかった。


「君はわかっているのかね。私みたいな巍然たる人物が、国家に莫大な税金を払っているからこそ、君みたいな小者が生きていられるということを。特に、君みたいな公務員は、毎朝、私の前で跪いて感謝せねばならんのだ。わかるかね、私の言っていることが」


 大言壮語もここまでくると哀れに思えてくる。マイクは、そうですねと面倒くさそうに生返事をしてしまった。


「君! 私の話をちゃんと聞いているのかね」

 マイクの適当さを感じ取ったのか、ナダルの声が一際大きくなった

「ちゃんと聞いております。閣下」

 マイクは一段、声を高めて返事をした。

 少し茶化したつもりだったのだが、ナダルはよろしいと言って話を続けた。


 こいつ、案外アホなのかも知れない――。

「だから、君は私のために、死ぬ気で働かなければならないのだ。わかるかね、私の言っていることが」

「はい、閣下。十分、心得ております」


 いちいち確認するんじゃねえと思いながらも、マイクは再度、一段と声を高めて返事をした。


「よろしい。それでは本題だ。絵はいつ取り戻せるのだ。言い給え」

「はい。最善を尽くしております。二、三日の内にはご報告できるかと思います」


 マイクが言い終わった途端、ナダルの息遣いが変わった。

 ナダルのイライラした様子が電話越しでもわかる。


「そんな曖昧な答えしかできないということは、君はまだ何もしていないということなのかね」

「いえ、閣下のために、日々、全精力を傾けて、事にあたっております」

「だったら、なぜ、二、三日などと漠然とした物言いしかできぬのだ」

「いえ、それは……」

「答えられないのかね」

「そんなことはありません、閣下。いま、申し上げました通り、二、三日でご報告……」

「明日だ。明日までにきちんと報告してくれ給え」

 マイクの言葉を遮ってナダルが言った。

「ですが……」

「ですが、何だ」

 ナダルの声が凄みを増した。


 マイクは悟った。ここは何を言っても無駄だ。

「かしこまりました。明日中にスナイダーに報告しておきます」

「それでいい」


 電話が切れた。

 まったく、もう少し謙虚になれねえのか、クソジジイ。

 マイクは思い切り声に出して言ってみたが、本人の前で言えないということは、自分もスナイダーと同じようなものなのかもしれない。無能上司といえども、見えないところでは泣いているのかもしれないな――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る