3 予期せぬ連絡(4)
薫は一つ一つ画像をスライドさせていった。どうでもいい画像が続くにつれて、スライドさせる指の動きも早くなる。そしてスモークガラスの黒いセダンの画像が出てきたところで指が止まった。ファストフード店でマリアを待っていた時に、スパイ映画の諜報員のノリで撮ったやつだ。確か、白人の若い男が乗り込んでいった車だ。
――そういえば。
レイが言ったことが思い出された。マイク・スミスって、もしかしたらこいつのことだったのかな。薫は漠然とそんなことを思いながら、撮影された時刻を確認してみた。午後三時五十五分。その数分前と考えても、すでにレイは萌え萌えビルの入口辺りに隠れていたはずだ。時間も重なるし、メイドカフェやアニメショップ、コスプレショップなどが入る萌え萌えビルから出て来る白人の若い男などそうはいない。たぶんマイク・スミスで間違いないだろう。
なるほど、あいつがマイク・スミスか。レイはイケメンだと言っていたけど、どうだったかな。思い出そうとしてみたが、なかなか思い出せない。イケメンになど興味はないけど、レイがいうところのイケメンとはどういうものなのかは、少しだけ興味がある。
もっとよく見ておけばよかったと思ったが、いまとなってはどうでもいいことか。
――まったく、いつまで風呂に入っているんだよ。
そう思ったと同時に、姦しい女の声が二階へ上がってきた。やっと風呂から上がったか。薫は着替えを持って部屋を出ようとドアを開けると、短パンにティーシャツ姿のマリアが目の前に立っていた。昼間とは違うマリアの姿に薫は思わず目を逸らせてしまった。
――お風呂、あいたよ。
マリアはそれだけ言うと、レイと一緒に自分の部屋に入っていった。楓音も、髪を乾かしたら行くねと言って、自分の部屋に入っていった。
ノーブラだった――。
やばい、やばい。薫は大きく深呼吸をした。
さっさと風呂に入っちまおう。薫は部屋を出ようとドアノブに手をかけた時、布団の上に置いてあったスマートフォンが震えた。手に取って見ると、画面には通知不可能と出ている。初めて見る表示だった。非通知ではなく通知不可能か。薫は気になり、電話に出てみようと思った。非通知なら出ないけど、一体、誰なのか興味もある。もしいたずら電話なら切ればいいだけだ。
「葉山薫くん、ですね」
電話に出るなり、相手が言った。
聞き覚えのない男の声だった。しかし相手は自分の名前を知っている。それに日本語を話しているが、外国人特有のなまりがところどころに出ている。薫には外国人の知り合いなど、マリアとレイ以外にいない。
「どなたですか?」
急に緊張が走った。声が用心深くなっているのが自分でもわかる。
「マイク・スミスと言えばおわかりになりますか?」
スマートフォンを持つ手が微かに震えた。まさか、レイが言っていた奴――。そんなわけがない。いくらなんでも、それはありえない。レイに対することは単なるいたずらということで話は終わっている。しかしいま、現実に電話がかかってきている。
「マイク・スミスさん――ですか」
「無理に話さなくてもいいですよ。薫くんは黙ってぼくの話を聞いていればいいのですから。話はすぐに終わります」
薫は言われるまま、次のマイクの言葉を待った。
「マリアさん、狙われていますので、十分注意して下さい」
薫の顔が青ざめた。一体、何を言っているんだ。
「話はそれだけです。それでは」
電話が一方的に切られた。
薫はスマートフォンの画面をじっと見つめた。
レイがからかわれていただけだという結論だった。なのに、なぜこんなことになっている。たちの悪いいたずらなら、それでもいい。でも、マイク・スミスは薫のスマートフォンに電話をかけてきた。それに、レイが言っていたマイク・スミスからの伝言も、状況を考えると意味ありげに思えてくる。そういえば、あのときマリアはなにか隠しているような感じがした。あまり気にしなかったけど、いまになると気になる。まさかとは思うけど、とにかくマリアに伝えなければ。
薫はマリアの部屋の前に行くと、勢いよくドアを開けた。
上半身裸のマリアと目があった。一瞬の静けさのあと、マリアが両手で胸を隠しながら悲鳴を上げた。隣の部屋の楓音がどうしたのといいながら、慌てて部屋から飛び出してきた。マリアの横に座っているレイは、なぜか楽しそうにその様子を眺めている。
「ご、ごめん」
呆然と立ちつくしていた薫は、状況を飲み込むと、すぐにドアを閉めようとしたが、すでに楓音が真後ろに立っていて、行き場がなくなっていた。
「お兄ちゃん、なにしているの」
楓音の穏やかな声が薫に向けられた。薫は何をどう説明すればいいのかわからず、何一つ言葉が出てこなかった。楓音は小首を傾げると、薫の肩越しに部屋の中を覗き込んだ。
「お兄ちゃんって、最低」
状況を察した楓音が冷たい視線で薫を見た。
「だから、そんなんじゃなくて……」
「もういいよ。今度からは、ちゃんとノックしてね」
パジャマに着替え終わったマリアが薫を見て淡々と言ったが、その声色は冷たかった。薫はちゃんと説明しようとしたが、聞く耳持たずという感じで、静かにドアが閉められた。
――仕方ない。明日にするか。
言いたいことはあるけど、いまは何を言っても聞かないだろう。薫はひとり取り残された廊下で、自分自身にそう言い聞かせるしかなかった。
* * *
「騒がしかったみたいだけど、何かあったのか」
風呂に入ろうと着替えを持って下に降りてきた薫に、片那が声をかけてきた。
薫が事の次第を説明すると、片那が声を上げて笑い出した。
「笑い事じゃないだろ。それに、わざとじゃないのにさ、まったく……」
「いいことを教えてやろう。女の子の部屋をノックもせずに開けるのは、弾を五発装填したコルト・パイソンでロシアンルーレットをするようなものだ」
「八十三パーセントであの世行きってことか。それに、至近距離から.357マグナム弾をぶっ放したら、頭は木っ端微塵に吹き飛ぶ。首から上は跡形もなくなるのか。考えただけでも恐ろしいな。それで?」
「生き残る確率は約十七パーセント。女の子の部屋をノックもせずに開けて、無事でいられる確率とほぼ同じだ。覚えておけ」
「真面目に聞くんじゃなかった」
「まあ、そう言うな」
薫はバカバカしいと思いながら、ため息をつくと、片那が傷ついたという表情で不貞腐れてみせた。
「なに下らないことを言っているのよ」
由佳が台所から出てきた。
「いたのか」
片那がしまったという感じで、わざとらしい作り笑いを浮かべた。
「それは、いるでしょ。ここは、私の家でもあるのですから」
由佳は下らないことを訊くなと言うような視線を片那に投げかけると、薫に向かって「今度からは気をつけるのよ。マリアちゃん、可哀想に――、ねえ」と言った。
最後に付け加えるようにして言った、「ねえ」とは誰に向けられたものなのかわからないけど、この場は大人しくしているのが賢明だ。薫は黙ったままうなずくしかなかった。
「お風呂に入るなら、早くしなさい。お母さん、待っているんだから」
「先に入っていいよ。俺、父さんに話があるから」
「あら、そう。男同士、何を話すのかしら」
由佳が興味津々に言ったが、すぐに「ごゆっくりね」と言って、居間を出ていった。
それを見て、片那が座れと言って向かい側を指した。
片那がいて良かった。明日の朝、いきなりマリアに話すよりは、先に片那に話しておいたほうがいい。薫は片那に向き合うと、マイク・スミスのことを話し始めた。
薫が話し終えると、片那の顔がみるみる険しくなった。
薫の中に得も言われぬ不安が広がった。
「なんかヤバそうな気がするんだけど――」
片那はそれには答えず、薫にマイク・スミスが乗った車の画像をすぐにメールで送るように言うと、少し時間をくれと言って自分の部屋に入っていってしまった。
――マジモードだ。
片那の背中からは嫌な予感しか伝わってこない。薫は急いで自分の部屋へ戻ると、言われた通りに車の画像を片那のメールアドレスへ送った。
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