7 真相への緒

 縁側から薫とマリアの話し声が聞こえてくる。


 気まずかったはずなのに、もう仲直りか――。片那の口元がほころんだ。


 レイも預かることになって余計に、にぎやかになったが、これはこれで楽しくていい。当初、レイは一晩だけ泊まっていくはずだった。しかしレイはセルゲイの友人のところに戻るのを嫌がった。仕方なく、片那はレイを帰国するまで預かってもいいかとセルゲイに電話を入れると、片那になら安心して預けられると言って承知してくれた。


 ――あとは、マリアとレイが帰国する日まで、何事もなく行ってくれたらいいのだが。


 片那は両手を上げて背筋を伸ばすと、ノートパソコンに向き合い、尾上から送られてきたメールに目を移した。マイク・スミスについて尾上に何か情報がないか訊いてみたのだが、いまのところ、特にこれといったものはないようだった。ただ、最後に書かれてあった情報が片那の気を引いた。


『――最後に、これは噂だが、アメリカの大富豪がプライベートセールでファンセント・フィン・ゴッコの絵を購入したが、その後すぐに、何者かによって、その絵を盗まれたらしい。まだ買主の大富豪の名前、売主の名前、購入された絵のこと、盗んだ奴が誰なのか、まだ、ほとんど何もわからっていないが、購入の仲介をしたのが日本の美術商ということだけはわかっている。もし興味があるのなら言ってくれ、スミスの件と併せて調べてみる』


 尾上は噂と言っているが、いまの時点では正確なことがわからないから噂としているだけで、実際にあったことなのだろう。もしかしたら、大富豪の名前や盗まれた絵のことなどもわかっているのかもしれない。だがこれは面白い情報だ。もし絵を盗んだのがブルーパンサーだと仮定したらアメリカと繋がる。それに、日本の美術商が絡んでいるのなら、この二つが日本でぶつかったとしても不思議ではない。そして最後にこのことを書いてきたということは、尾上はこれらの件とマイク・スミスが繋がっている可能性があると考えているのだろう。


 片那は少し気になり、アメリカにいる友人、ピーター・トンプソンに電話を入れて、最近、オークションなどで購入した絵画を盗まれた大富豪がいるらしいが、と尋ねてみた。するとピーターは、もう日本にまで噂が広まっているのかと言って笑うと、絵を盗まれたのが、アンソニー・ナダルだということをあっさりと教えてくれた。


 片那はアンソニー・ナダルについての記憶を辿ってみた。アメリカのリング・グループの創業者であり現会長。総資産は百億ドル以上と言われている。我が強いとか、横柄だとか、強欲だとか、いい噂はまったく耳にしない。


 ピーターが言うには、このことはアメリカのメディアの人間なら誰でも知っていることらしい。その理由も至って単純なもので、絵を盗まれたのが余程悔しいのか、ナダルは顔見知りの人間に会うと、必ずと言っていいほど、絵が盗まれたことを話しているからだった。


 ただ面白いことに、ナダルはすべてを話し終えると「このことは絶対に誰にも言うな。言ったらただじゃ済まないからな」と付け加えることだった。


 話すだけ話しておいて、なぜ最後にそんなことを言うのかわからないが、話を聞いた誰もが、言われなくても誰にも言わないということで一致していた。


 ナダルが財界の大物だから、皆そう思っているわけではない。単にこの話が、ナダルが買った絵が誰かに盗まれたというだけのことだからだ。もし盗まれたのが数億ドルもの有名な絵画だったら話は別だが、最近、そんな高額で落札された絵画の話題など聞いたこともない。ナダルは騒いでいるが、盗まれたといっても、せいぜい数千ドル程度のものだろうと、誰もが言っている。それどころか、盗まれたのは一ドルのトレーディングカードかもしれない、と言って大笑いする奴もいるほどだ。


 メディア側からすれば、この程度の話など、どうでもいいことだし、ナダルを知っている人間からすれば、ざまあみろというぐらいのものでしかない。それ故に、何かと影響力のあるナダルに逆らってまで記事にするようなことは誰もしない。ピーターはそう言ってまた声を上げて笑った。


 ピーターの話しぶりからすれば、本当にどうでもいいことのように思っているようだ。もし盗まれたのがゴッコの絵で、そこにブルーパンサー、CIA、そして日本の美術商が絡んでいると知ったらどう反応するだろうか。


 だが、これでいい。アメリカで騒がれるのは良くない。このまま大人しくしていてもらうためにも、この話はここまでにしておくべきだ。下手に探りを入れて、ピーターの勘を刺激したら元も子もない。


 片那は適当に世間話をすると、丁寧に礼を言って電話を切った。


 ――やはり繋がっている。


 直感だが、片那はそう確信した。


 ブルーパンサー、マイク・スミス、アンソニー・ナダル、彼らがどう繋がるのかまだわからないが、マリアに危害が及ぶようなことは絶対にあってはならない。


* * *


「マリア、これを持っていけ」

 翌朝、片那は出かけようと玄関に出て来たマリアにトカレフを差し出した。

「どうしたのですか? 日本ではこんなものは必要ないです」

 マリアが不安そうな目を片那に向けた。


「マリアを狙っている大バカ者がいるらしい。とんだ身の程知らずだが、一応、用心しておいたほうがいいと思ってな。この間、秋葉原でマリアが投げ飛ばした野郎の組織の皆様が大層ご立腹みたいで、マリアを拐ってくるようにと、チンピラ二人を雇ったらしい」


「そうですか。だったら、一応持っていこうかな」

 まったく臆していないマリアの様子を見て、片那は苦笑いを浮かべるしかなかった。


「もしそいつらに出くわしたら、適当なところで許してやれよ。やり過ぎたら可哀想だ」


 片那が笑いながら言うと、マリアも笑いながら鞄の中にトカレフをしまい込み、元気よく行ってきますと言って出ていった。


 ――やはりセルゲイの娘だ。


 そう思いながら片那はマリアの背中を見送った。

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