2 何もしたくない(1)

 葉山薫は暑苦しさを覚えて目を覚ました。開け放たれた窓にかかっているレースのカーテンは微動だにしていない。その代わりに窓を通して射し込む真夏の日差しが薫を直撃している。いつの間に寝ていたのだろう。体中汗だらけだ。薫はタオルを手に取り、汗を拭いてから布団の上で大の字になった。


 横を向くと、読みかけの漫画が無造作に置かれてある。


 ――クズだな。

 自分のことながら呆れてしまう。


 夏休みに入って一週間が経ったが一度も外へ出ていない。十七歳の若者が、ずっと家でゴロゴロしているのはどうかという思いはあるけど、取り立てて何もすることがないのだから仕方がない。


 そうした開き直りともいうべき結論に、あたりまえのように、いまの薫はたどり着く。たぶん頭のいいやつは、自分とは別の結論にたどり着くのだろう。そして自分とはまったく違う人生を送るのだ。もちろん、それは勝ち組としての人生なのは言うまでもない。


 ――ということは、俺は負け組ということか。


 そこまで考えた時、薫は思った。いまは、やる気が起こらないだけで、やろうと思えば、自分にもやれることはあるのだ、と。

 自分は決して引きこもりとかではない。学校にはちゃんと行っているし、彼女はいないけど、友達はそれなりにいる。成績は悪くはないが良くもない。ごく普通の高校生だ。

 だが、二年に進級してしばらくした頃から、何に対してもやる気を無くしていた。理由はわからない。とにかく、やる気が起こらない。適当に学校へ行って、適当に勉強して、適当に友達づきあいをして一日を終える。そんな日々を繰り返し、休みの日は、必ず家にいる。少し前は秋葉原に出向き、行きつけの店を巡回したりしたものだが、そんなこともしなくなった。いまは漫画を読んでいるかゲームをしているとき以外は、思考停止状態が続いている。


 そうか、これを改めれば、俺も勝ち組になれるのかもしれない――な、わけないか。

 薫は天井の木目に目を凝らしながら大きなあくびをして、ついでに大きなため息をついた。

 ――つまんねえな。テレビでも見るか。

 薫はリモコンを手に取るとテレビのスイッチを入れた。

 ――おっ、中央通りじゃん。

 ニュースのことよりも、秋葉原の街並みに目を奪われた。


 薫は起き上がると、画面に向かって座った。最後に秋葉原に行ったのは春休みだったかな。あれから四ヶ月ぐらいしか経っていないけど、妙に懐かしく思える。


「……国際窃盗団、ブルーパンサーのメンバーが逮捕されました」

 再度、ニュースが読み上げられた。

「ブルーパンサー……ねえ」

 画面が切り替わり、白人の若い女の子が映し出された。右上には「ロシア人少女お手柄」というテロップがある。

「マリア・イワノフさん、お手柄でした」

 アナウンサーがマイクを向ける。

「はい、ありがとうございます」

 ――気持ち悪いほど日本語が上手いな。まったく訛りがない。


 薫は、流暢な日本語で答える少女のことが気になりだした。

「マリアさんの活躍で、国際窃盗団、ブルーパンサーのメンバーが逮捕されましたが、怖くはありませんでしたか?」

「ぜんぜ……、い、いえ、とっ、とても怖かったです犯人は拳銃も持っていましたし」

「そうですよね。犯人を捕まえた時はどんな感じでしたか?」

「もう無我夢中で、よく覚えていないのですが、歩いていたら、警察官に追われている犯人が走ってきたので、思わず犯人の腕をとって投げ飛ばしちゃいました。子供の頃から柔道をしていたので、自然と体が動いてしまって」


 ――よく覚えているじゃねえか。


 薫はテレビ画面に向かってツッコミを入れてみた。

「犯人は、どんな様子でしたか?」

「ええと……、すごく怖くてよく覚えていないんですけど、犯人は全力で走っていたせいか、かなり息があがっていたようでした」


 ――よく覚えているじゃねえか。


 薫は再度、テレビに向かってツッコミを入れた。

「マリアさんの活躍で、犯人は逮捕されました」

「本当、よかったですー」


 ――なんでそこで語尾が伸びるんだよ。


 薫はツッコみながらも画面に見入っていた。

「そして、もう一人の犯人も、逃げている途中で警察官に向けて銃を構えた時、拳銃を落としてしまい、難なく逮捕されました」

「なんか、間抜けですね」

 マリアが笑顔で答えた。

「マリアさんはロシアから来たそうですが、日本語がお上手ですね」

「日本、大好きですから、日本語、一生懸命勉強しました」

「そうなんですか。日本へは観光で?」

「夏休みなので遊びに来ました」

「そうなんですか。日本をたくさん楽しんでいってくださいね」

「ありがとうございます。あ、最後にいいですか?」

「なんでしょう?」

 アナウンサーがマリアにマイクを向けた。


「萌え萌えきゅんきゅん」

にっこり笑いながら、手でハートマークを作っている。


 ――はあ?

 薫は思わず転げそうになった。

 アナウンサーも困惑しているように見える。

「萌え萌えビル三階にある萌え萌えカフェのマリアちゃんです。皆さん、遊びに来てくださいね」

「なんだ、こいつは」

 インタビューをしていたアナウンサーが、呆気にとられながらも作り笑いをしている。

「え、えーと。マリアさんの協力により、窃盗犯が逮捕されました……」


 ――萌え萌えカフェのマリアちゃん、か。くだらねえ。

 薫はテレビのスイッチを切ると、また横になった。


 気がつくとテレビの横にある時計の針は午後六時過ぎを指していた。また寝ていたようだ。人間って、することがないと眠たくなるのだろうか。そう思いたくなるほど、寝てばかりいる。そして目が覚めた時の気分は決まって憂鬱だ。


 こんなんではダメだと理解はしているけど、なぜかいつもこうしている。

なぜだろう――。


 突然、部屋のドアが開いた。見ると、妹の楓音が呆れた様子で立っている。

「なんだよ、入るならノックぐらいしろよな」

「まったく――。齢十七にして、早くも約束された未来を見せられているような光景ね。もちろん、悪い意味でね」

「うるせーな。何の用だよ」

「お父さんが呼んでる。すぐに来なさいだって」

「だから、なんの用だよ」

「知らない。行けばわかるでしょ」

 楓音はドアを開け放したままで行ってしまった。

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