・Memory09(ゆうひ視点)



「……電話、出なくてごめん」



 どこか居心地悪そうに地面へと視線を落としてそう言うまひるさんに、僕は積りに積もった罪悪感を言葉にした。



「……いや。むしろ謝るのは僕だ。……まひるさんの大変さ、何一つ分かって無かった」



 まだ僕には彼女に言えて無い後ろめたい事がある。

 震えそうになる手にぐっと力を込めた。



「まひるさん、ごめん。本当に、ごめんなさい」



 勢い良く頭を下げた。

 きっとまひるさんは驚いているはずだ。怖くて顔を見る事が出来ない。

 ゆっくりと深く呼吸を吐き出す。



「……手術を、受けた」

「……え?」

「ごめん。……まひるさんが体をあんなにも大切にしてたのに……。食欲に負けて……」



 沈黙がやけに長く感じた。

 息苦しい。気まずさ。


 自業自得な愚かさが恥ずかしくて後ろめたくて、逃げ出したかった。


 不意にコンクリートを踏みしめる音が響いたかと思えば、体が包まれて温かさを感じた。


 まひるさんに抱きしめられていると気付くのに少し時間がかかった。


 もっと激怒されると思っていたからだ。



「手術、受け終わったの?」

「……うん。ごめん……」

「……怖かったね」

「……うん」



 予想を反したまひるさんの行動に、僕は涙が出そうになって言葉に詰まった。


 独りぼっちで耐え凌いだあの時間がまるで走馬灯のように駆け巡る。



「……かなり痛かったでしょ」

「……うん」

「……逃げ出したくなったでしょ?」

「……うん」

「……逃げ出しようが無い現実がさらに恐ろしかったでしょ?」

「……うん」



 まひるさんの言葉に、僕はただただ相槌を打った。


 そうして僕は思い出す。


 あの日、二人がここで出会った日にまひるさんが言っていた言葉を。



『人生ゲームオーバーしたくなることあるよね』



 この、言葉の意味を。


 彼女は僕なんかよりずっと"死"と向き合っていたのだと。


 この橋から落ちても死ねないと彼女は言っていた。


 それはつまり……彼女もまた、僕と同じ事を考えていた。いや、既に実行して結果駄目だったからそう口にしたのかもしれない。


 まひるさんが、とんとんと僕の背を宥めるように叩く。それはきっと、僕が泣いていたからだ。



「よく、頑張ったね。お疲れ様」

「……っ」



 そんな優しい言葉をかけてもらう資格なんて僕には微塵も無いのに。



「元に、戻りたい」

「……うん」



 僕の言葉にまひるさんは小さく頷いてくれた。



「元に戻りたいんだ!!僕には無理だ!ただでさえ健康体でも生きるのが苦しかったのに……っ。この体で、生きるなんてもっと無理だ!!」



 まひるさんの背中にしがみつくように手を回した。


 涙で視界が滲む。



「あ、あんな、検査ばっかり……。もう、無理だよ。もう嫌だ……。十年置きに手術の可能性があるとか馬鹿なんじゃないの!?頼むから、お願いだから、元の体に戻してほしい」



 そんな事、まひるさんに出来るわけが無いと分かっていながら僕は情けなく彼女に縋りついた。


 まひるさんは何も言わずに僕の背中をとんとんと撫でてくれた。


 僕の一連の言葉で、まひるさんなら今僕がどんな局面にいるのか察しがついているだろう。



「元の体に……戻れないなら……。このまま僕が、まひるさんとして生きていかなきゃいけないのなら……。生きる事を諦めても……いいかな?」



 まひるさんに預けたままの僕の体が、ぶるぶると震える。


 そう、これが……、僕が決めた一つの……一大決心だ。



「だって。そもそもその予定だったわけだし?僕がまひるさんの体のまま死んじゃえば、まひるさんは僕の体で、夜風ゆうひとして生きていける」

「ゆうひくん?」

「だって戻る体が無いわけだからさ。もう、戻る事を考えなくって良くなるよ」

「わっ!?」



 僕は力いっぱいまひるさんを突き飛ばした。予想外の僕の行動に、まひるさんは油断していたのか勢い良く尻もちをついた。


 目を見開いて僕を見上げる。


 そもそも、彼女の体をこんなにボロボロにしておいて自分だけ健康な体に戻ろうなんておこがましいにも程がある。


 これは、僕が自分の人生を投げ出した罰だ。僕が償うべき罪で、彼女は今まで頑張って来たからご褒美に健康な体を与えられた。そう、それだけの事。



「まひるさん。今までありがとう。まひるさんのおかげで、少しだけ努力する楽しさを知れたんだ」



 僕はそう言いながら手すりに足をかける。



「ゆうひくん……!!」

「まひるさんはここからじゃ死ねないっ言ってたけど……弱ったキミの体ならどうだろうね?」



 一昨日の台風の影響で石橋の下は水かさが増していた。僕が飛び降りようとした日とは比べ物にならない程に流れが激しい。



「僕の代わりに生きて。夜風ゆうひをキミにあげるよ。どうか幸せに」



 今までキミを傷付けたすべてが消えるわけじゃ無い。それでも、僕の身勝手さを許してほしかった。これが、せめてものキミへの罪滅ぼしになればいい。



「ゆうひくん!待って……!!」



 背中にまひるさんの張り上げた声が聞こえた。


 最後に見た夕日は、酷く美しく僕の視界を彩った。

 もし、神サマなんてモノがこの世に存在するのならば、頼むよ。


 どうかまひるさんに、僕の人生分の幸せを全部与えてください。


 彼女はとても強く、行動力のある人です。生きるべき人です。幸せであるべき人です。どんな人生も明るく過ごそうと努力出来る人だから、これ以上苦しめないでください。


 彼女の人生の苦しみは全部僕が背負っていくから。


 どうか。この願いだけでも叶えてほしい。


 僕は、心の中でそう強く願った。



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