・Memory04(ゆうひ視点)



「それにしても、よくここに登ろうと思ったよね。かなり勇気いると思うんだけど……」

「……大丈夫?」



 石橋の手すりに両足を乗っけたまひるさんはガクガク震えていて、僕の頭をガッチリ掴んでいる。


 人生初めてのハグがコレって、どうなんだろう。と微妙な心境である。


 しかも、自分から抱きつかれているわけだ。なんとも言葉にし難い。



「大丈夫じゃない!決して大丈夫じゃないよ!!だってこの体、人のだし!何かあったら責任持てないもんっ!!」



(震えてる理由はそこなんだ?)



 あまりに予想外な返答に、思わず声を押さえて笑ってしまった。体が震えるような笑いはいつぶりだろう。



「ちょっと!笑ってるでしょ!?声出さなくてもなんとなく分かるんだからね!?」

「……ご、ごめん……くふっ…くくっ……」



 まひるさんの体が少しだけ離れた。至近距離で自分の顔からマジマジと見つめられ、仰け反りたくなった。



「……近過ぎ」

「だって、初めて笑ったからさ。どんな顔してるのかな〜って思ったら……私の顔だった」

「そりゃそうだ」



 思わず口からツッコミが飛び出した。慌てて口を閉じる。



「なんだ!ツッコミとか入れられるんじゃない!」

「……今のは、その、つい」

「いいじゃん!大歓迎だよ〜」



 友達の居なかった僕は、脳内会話が習慣になっていたせいか旬時に言葉を口にするのがとにかく苦手だ。

 けれど、まさか先程つい出て来た言葉をこうも肯定されるとは思わなかった。



(受け入れてもらえた)



 なんだか心の奥が妙にあったかく、空いた穴が塞がっていくような感覚がする。

 ずっと長い間空いたままだった居場所の無い虚しさの穴が、満たされていく感覚。不思議な安心感があった。



「……よ〜しっ。気合いを入れて立ち上がるから、そこに居てね」

「……うん。あ」

「えっ!?うわわっ!?ちょっと!!あ、とか言わないでよ!びっくりして落っこちるかと思ったでしょ!!何!?」



 再びまひるさんに抱きつかれ、僕は首が締まるような圧迫感の中、指摘した。



「……立つ向き、逆。川の方向いて立ってた」

「……あ」



 まひるさんはそっと離れると、静かに手すりから降りた。そして、川の方を向いて再度試みる。



「……ねぇ。掴まるとこ無いのによく立てたね。ゆうひくん」

「……飛び降りる気だったからね。まさか後ろに倒れるとは思わなかったけど」



 背中越しからでもゴクリと生唾を飲み込んだのが見て取れた。



「……後ろから僕が支えるから」

「絶対だよ!?川に落としたら許さないからね!?」

「……ここから落ちても死なないんでしょ?」



 そう、まひるさんがこの場所で呼び止めた言葉を僕は脳裏で思い出していた。


 あの言葉が無ければ、川へと真っ逆さまだったはずだ。



「言った!言ったけど……。痛いものは痛い!って言うか!あなたの体だからね!?わかってる!?」

「うん。……だから尚更、気にしなくて大丈夫だよ。何かあっても、元々は飛び込む予定だったわけだし」

「……」



(逆効果だったかな?)



 本来飛び込む予定だったのだ。それさえ伝えれば大丈夫になると、なぜだかその時は思っていた。


 そっか!そうだよね!元々飛び込む予定だったもんね!じゃあいっか!そうなる事を勝手に想像していた。けれど彼女は黙り込んでしまった。


 僕が気を遣わせてしまう事を予想出来なかったのは、単純に他人との会話不足が原因だ。



「人生ゲームオーバーしたくなることあるよね」

「え?」



 まひるさんの発言が理解出来なくて思わず聞き返す。


 けれど、応答はないまま彼女は手すりに足をかけて立ち上がった。



「いっくよ〜!」

「えっ!あ、ちょっと待って!!」



 バッと両手を広げて背中から倒れ込んで来る。ビックリして思わず後ろへ後退れば、それがまた丁度良い感じに顔面に後頭部が激突した。ゴツンと鈍い音が響き渡った。



「痛いっ!!!」



 叫んだ僕とは裏腹に、ぐっ、とくぐもった声と共にまひるさんは意識を手放したようだ。



「っ……まひるさん?まひるさん!えっ、……どうしよう!?」



 頭が真っ白だ。呆然とただただ意識を失って転がっている彼女を見つめる事しか出来ない。



(……医大生の癖に。何をしてるんだ僕は)



 あまりの情けなさに叱咤しつつ、震える手でポケットを乱暴に弄った。


 直ぐに硬い物に指先が触れて、それをポケットから引っ張り出す。


 文明の利器、スマートフォンだ。電源ボタンを押したはいいが、暗証番号が分からない。そう、これは僕のスマホでは無いからだ。


 僕はふと、指紋でロックを解除出来る事を思い出した。

そして急いで救急車を呼ぼうとした。のだが、目の前の体がむくりと図体を起こす。



「いったーいっ!!!もう、凄く痛い!!!しかも替わってない!!」



 目に涙を溜めた彼女が大きな声でそう叫ぶ。僕はビックリして肩が跳ね上がった。

 ガックシとあからさまに項垂れる彼女を眺め、スマホを握りしめたままの僕は停止した。



(……はぁ。通話ボタン、押さなくて良かった)



 心の底から安堵したのは言うまでも無い。


 今頃になってぶつけた顔面がジワジワと痛みだした。



「……心臓、止まるかと思った」



 膝を引き寄せ、顔を埋めて吐き出すようにそう言葉が溢れる。


 僕が飛び降りようとした時、意識を失って目覚めない僕に、彼女も同じように慌てふためいたのだろうか。心臓がギュッと握り潰されそうな程、不安だったのだろうか。



「死んだかと思っちゃった?」

「……そこまでは。……でも、このまま意識が戻らなかったらどうしようかと思った」

「警察とかに事情聴取されるもんね〜」



 二人でその現状を想像して、答えに困る事だけは確かだと頷き合った。



「さて、結論ダメだったわけだけど……。さすがにそろそろ私の体は医大に行ってもらわないとヤバイかな」



 まひるさんの言葉に、ドクンと一際大きく心臓が跳ね上がった。鳩尾辺りがギュッと固くなって、嫌な気持ちが沸き起こるのが自分でも分かる。



「……い、医大生、なの?」



 そう問う声は、唇ごと震えていた。



「ううん。そんな頭、持ち合わせてないよ。私は患者側」



 あっけらかんと彼女はそう答える。それはそれでどういう言葉をを口にすればいいのか分からず視線が彷徨った。



「私、クローン病なの」

「……クローン?」



(え?それってあの、牛とかそっくりそのまま増やす的なクローン?) 



 脳内で彼女の言葉を理解しようと何度も反芻しては思考する。



「因みに牛とかのクローンじゃないからね?」

「……違うんだ」

「やっぱり!みんな良く言うんだもん!私も初め聞いたとき同じ事思ったし!え、実は私、二人居るの!?とか!!」



(ですよね)



 と、声に出さずに相槌を打つ。


 彼女はクローン病とは何なのかをザックリと説明してくれた。


 クローン病とは口から肛門までの消化管に炎症をきたす病気らしい。主に小腸と大腸に炎症を起こしやすいようだ。原因は分かっておらず、特定疾患の難病と指定されている。



「……つまり、治んないの?」

「お医者さんはそう言ってた。現代医学では。一応、最近は薬も増えて長期間病状維持できるようにはなってきたんだよ」



 恐らく顔に不安が出ていたのだろう、まひるさんは安心させるように言葉を付け足した。



「とりあえず血液検査を十一時までに受けなきゃだからさ〜。ゆうひくんの体の予定が無ければ付き添えるけど……どんな感じ?」



 お伺いを立てるように顔を覗き込まれて、僕は視線を逸らす。


 予定があると言えばある、無いと言えば無い。実際、あったけど逃げ出して来た、が正しい。



「……一緒に付き添ってもらえると助かる、かな」



 人に何かを頼むのは苦手だ。断るのに勇気がいることを知っているからだ。けれど、今回は向こうから声をかけてもらえてるわけだから安心して頼る事が出来た。 


 それに、今回ばかりはそうも言っていられない。情報が無ければ僕はまひるさんを演じるのは困難だ。正直、情報があってもまひるさんを演じるのは僕には難しいように思う。


 そうして、一旦僕達は医大へと向かった。



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