・Memory02(ゆうひ視点)



 食後に腹痛が起こり、トイレへと駆け込む回数がどんどんどんどん増えていく。口には口内炎が一つ、二つと出来て水すら受け付けない。体重がみるみる減っていき、一日一キロ順調に落ちていた。このまま行くと後三十五日もすれば僕は消滅するんじゃないかとすら思う。


 通院日まで後三日あった。


 食事が受け付けなくなり、体重も減り、それでも腹痛でトイレへ通わされる。体力も筋力もどんどん落ちていく一方だ。


 全然大丈夫じゃなかった。問題無いと決め込んだ自分は本当に何も分かっていなかった。まひるさんがどうしてあれほど慎重に生きていたのかを。

 

 口の中もお腹もジリジリと焼け焦げるように痛い。処方されていた頓服の痛み止めを飲んで、痛みを紛らわせている間に睡眠を取った。

 

 待ちに待った通院の日、僕は苦手だった医大へと急ぎ足で向かった。なぜか病院にさえ行けばなんとかしてもらえると思った。



「炎症反応の値が七もあるよ。そりゃあしんどいはずだ。エレンタールは飲めてるの?」



 主治医の先生の言葉に弱りきった僕はただただ首を横に振る。



「入院して、点滴に切り替えよう。脱水症状もあるし。それから……検査をしようか」



 もはや言われるがまま従うしか無かった。


 僕はそのまま緊急入院が決まり、両親が入院に必要な物を準備して持って来てくれた。


 入院して腕からの点滴が始まる事になったわけだけど、脱水症状もあるせいか中々血管が見つからず看護師さんが何人も交代した。なんとか血管を見付けてもらい点滴をしてもらえたけど、今度は血管痛に悩まされた。ジリジリと痛い。


 病院にさえ行けば、なんとかしてもらえるだなんて勘違いだった。そりゃそうだ。瞬時に良くなるはずがない。


 ただでさえしんどい中、新しい痛みも加わって少し後悔した。


 翌日、僕は鎖骨辺りの血管からCVという物を入れる事となった。腕の血管からじゃ入れられない高濃度の点滴を入れる為らしい。これが終われば腕からの点滴から開放されると聞いて安堵した。あの痛みのせいで昨夜はちっとも眠れなかった。


 その手術は部分麻酔で、まずその麻酔の針がそれなりに痛い。なんとかCVが取り付けられ、病室に戻ってきた僕はぐったりしていた。でも、腕の点滴から開放されたおかげで幾分楽になった気がする。


 入れたばかりの鎖骨の点滴は、縫い留められた部分が若干痛みはするものの、腕の血管痛に比べれば気にならない。それよりもCVが外れないようにと貼られているテープがどうにも痒くて仕方が無かった。



(痛みの次は痒みか……)



 耐え難いもののオンパレードで大きな溜め息しか出ない。


 しかし、これはまだ序の口だったのだと思い知らされる事となる。




 入院して三日目、僕は早速大腸カメラと胃カメラを受ける事となった。そこでまず躓いたのが検査前の下剤だ。ニリットルもの下剤を飲まなければならない。そしてこれがまたどうしようも無く美味しくない。一口飲む度に吐き気がせり上がってくる。


 僕はおえおえ言いながらも、ジリジリ下剤を押し込んでいく。が、しかし減らない。飲んだつもりなのに、まだ百しか飲めていない。前途多難だった。



「それ飲まないと検査出来ないよ」



 などと医者や看護師に口々に言われ尻を叩かれるけれど、入っていかない物はいかないのだ。


 トイレだって家に居た頃から一日十一回も通っている。下剤を飲んだら尚さらトイレへ通う回数が増えたわけで、消耗仕切っていた。


 なんとか五百まで飲んだ所で、諦められたのか看護師が検査着を持ってやって来た。



「朝雛さん呼ばれたみたいよ。これに着替えて行きましょう。……歩けますか?」



 ぐったりしきった僕を見て、看護師は心配そうに顔を歪める。



(歩けそうに見えますか?)



 否



「……無理です」



 ポッキリ心が折れるようだった。


 なんだか全てがもう無理だった。


 着替えを済ませて、車椅子に乗せられガタゴトと検査室へと運ばれる。


 これで山場を抜けたかと思えば、甘かった。今度は胃カメラの為の胃の泡を消す飲み物を渡される。



(これ以上まだ何か飲めと言うのか……)



 絶望の中、呆然としていると、いつの間にか涙が溢れていた。


 検査室の看護師が心配してティッシュをケースごと持って来て背中を擦ってくれる。



「たくさん下剤も飲んで疲れたよね……。飲め無さそう?」



 下剤、五百しか飲めませんでした。とは言えない。


 看護師の優しい言葉に僕は静かに頷いた。ティッシュを貰って鼻水をかむ。



「ちょっと先生に相談して来るね」



 そう行って看護師は出ていくと、医者と共に戻って来た。



「これ飲めないと綺麗に胃を見れないけどそれでもいい?」

「……いいです」



 だって、飲めそうにない。



「じゃあ無しで」



 予想以上にさらりと無しにしてもらえて心の底から安堵した。


 次にスプレーを持って来た看護師が申し訳なさそうに眉根を寄せて僕に尋ねる。



「出来れば喉の麻酔のスプレーをしたいんだけど、ハッカみたいな味は無理かなぁ?これしといた方が後が楽だよ」



 胃カメラを入れるのに麻酔をするのだろう。僕は一瞬躊躇った。



(……ハッカ味……か……)



 ハッカ味がいまいちピンと来ていないけど、スースーするイメージがある。


 試すだけ試そう。しない事で逆に痛い思いはしたくない。



「……頑張ります」

「じゃあ、口を開けてー。スプレーするのでごっくんって飲み込んでね。これを二回します」



(一回目で躓きそう……)



 弱音が頭を過るけど、頑張ると口にしたからにはとりあえず口を開けるしかない。


 シュッシュ、シュッシュと口を開けてる間に今だ!と言わんばかりにたくさんスプレーをかけられた。ゴクンと飲み込めば、苦さに咽る。



「ゲホッ、ごほっ、うえっ」

「後一回頑張って!これでおしまいだから!」



 鳥肌を立てながら吐きそうになるのを必死で堪えて、口をもう一度開けた。


 シュッシュとかけらた麻酔をなんとか飲み込み、涙目になった目元を手の甲で拭った。



(今度こそやっと終わった……)



 心身共に疲れ切っていた。疲労困憊。まさにそんな感じだ。


 寝返りを打ったら落ちそうなベッドに横たわるよう指示され、僕はぐったり横になった。


 喉が麻痺して来て、唾液が飲み込めなくなる。



「横向いて〜。唾液は飲まずに出しちゃってね」



(え。まさかの垂れ流しですか……マジか……)



 まだそんな事を考える余裕があるのかと思わず苦笑した。



「口を開けたままになるよう固定しますね〜」



 そうして今度は穴の空いたマウスピースみたいな物を口に装着される。この穴から胃カメラを入れて行くのだろう。



「それじゃあ、眠くなる薬を点滴から入れていきますね」



 看護師の言葉に心から安堵した。これでやっと楽になれる。


 耳の奥か、脳の中か、ジリジリジワジワと機械音のような音が忙しなく鳴り響き始め、それが次第に大きくなっていくのを感じているとフッと意識が落ちた。


 いっそこのまま目が冷めなければいいと真剣に思った。


 胃カメラも大腸カメラも、眠っている間につつがなく終わったようだ。


 ベッドまでどうやって戻ってきたのかさっぱり思い出せない。


 気になるのは喉が変に痛むのと下腹部が妙に張って痛む事だ。


 検査がこれ程までしんどいものだとは思いもしなかった。


 そうしてこの日の夜も安眠する暇を与えてはくれず、何度もトイレへと通わされたのは言うまでもない。




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