・Memory04(ゆうひ視点)


 両親が帰った後、僕は吐き気を感じて慌てて手に握らせてもらっていたナースコールを押した。



「どうしました!?」

「吐き、気が……うおぇっ」

「顔を横に向けてください!!」



 急いで駆け付けて来てくれた看護師に吐き気を訴えようとしたら、せり上がって来た。


 言われるがまま横を向けば、薄いピンク色のガーグルベースンを看護師が口元へと寄せる。僕はそこへ嘔吐を数回繰り返した。


 看護師が鼻の管から胃に溜まっている内容物を吸い上げてくれる。それがまた気持ち悪い。


 しばらく吐くと落ち着いて来た。


 そうして僕は術後の回復という名の地獄のような日々を体験する事となる。


 まずはこの鼻に入った管。コイツがやっかいだ。まひるさんの体は嘔吐反射が激しく、少し喋ろうものならその刺激で吐き気を催す。


 この管は翌日の朝、外科の先生によって取り除かれたわけだが、その取り除くのも抜ける時が気持ちが悪かった。思いの外太いチューブで狼狽えた。


 術後翌日というにも関わらず、ベッドを直角と言っても過言じゃない程、上げられる。お腹切って縫ってあるのに大丈夫なのかと心配になった。


 しかし、それだけには留まらず、ベッドサイドに座るよう促された。



「術後のイレウスを防ぐ為にもどんどん起き上がって歩けるようになって行こう!」

「イレウスってなんですか?」

「腸閉塞の事。腸閉塞になったらまたあのツラ〜イ管を鼻から入れなきゃになるのよ」



 看護師の言葉にゾッとした。これは一刻も早く歩けるようにならなければならない。



「さぁ、頑張って!手すりに掴まって〜」



 看護師に言われるがまま、指示に従ってベッドサイドになんとか座る。一気に血流が回ってぐわんぐわんした。頭がぼーっとして上手く回らない。何より痛みがヤバイ。



(超絶激痛なんですけど!?しかも気持ち悪い……)



「大丈夫?……じゃ無さそうだね。よし、戻ろう!」



 浅い息を繰り返しながら僕は看護師の指示に再び従い、ベッドへと戻った。


 通常だと、術後翌日には歩いて病室に戻るらしい。けれど僕は、大きな手術だったからか、血圧が低いのもあってもう一泊ICUにお世話になる事となった。



(これ、本当に歩けるようになるの?)



 不安が押し寄せる。


 ICU二日目、痛みは硬膜外麻酔のおかげで随分楽に思う。鼻の管も無いし、吐き気も落ち着いた。


 そうして僕は、ICUから病棟へベッドで戻る事となった。なんでも血圧がかなり低いらしい。痛み止めを使うと、血圧がさらに下がるらしく、血圧を上げる薬を使用しているとの事。高血圧とかは良く騒がれているのを知っていたけれど、血圧が低い事で支障があるとは思いもしなかった。


 病棟に戻ったその日、血圧が低いからと離床の時間は無かった。



(大丈夫なんだろうか?)



 翌日、離床の時間が有ったけれど、昨日ずっと横たわっていたせいか、ベッドで上半身を上げるだけでも頭がクラクラした。



(これが低血圧!!!)



 今までだって低血圧にも関わらず普通に寝起き出来ていたのに、不思議な気持ちだ。


 術後イレウスの不安から、僕は頑張ってベッドサイドに身を寄せる。



「今日は立てそう?」



(鬼か何かだろうか?)



 そもそも腹を切っているのに、もう立ち上がって大丈夫なんだろうか。内臓が飛び出したりしないか内心ハラハラした。しかも、お腹から三本程太い管がぶら下がっている。ドレーンと言うらしく、お腹の中の内容物、体液を外に出してるらしい。



(こんなに色々ぶら下げた状態で立って、しかも歩くって……)



 苦行過ぎる。頭が痛くなった。けれど、イレウスになって鼻から管も嫌だ。



(翌日から歩く人が居るくらいだ……)



 看護師の言葉を信じて足に力を入れて立ち上がる。どっと血液が下へと流れ出すのを感じた。お腹の内容物も下へと溜まって行く感覚がする。ぶわっと毛穴が開いてじっとりとした汗が滲む。肩で浅く息を繰り返した。



「大丈夫ですか?クラクラしたりしませんか?」

「……大丈夫、です」

「もう座りますか?もう少し立っていられそうですか?」

「……もう少し、頑張ります」



 三分、立っていられただろうか。立つというそれだけの動作がこんなに大変な事だったなんて思いもしなかった。二本足で立って歩く人間って実はかなり凄いんじゃないかと思う。



「今日頑張った分、明日はもっと良くなってるから」



 看護師の言葉に励まされ、僕は次の日、右足一歩だけ歩く事が出来た。


 順調かと思っていた僕の術後離床。この次の日に背中の硬膜外麻酔が痛み、外れる事となり、麻酔でごまかしていた激痛を体感した。


 襲って来る激痛は、点滴から入れる痛み止めじゃ効いている感覚があまり無い。けれど、これをまた次に打てるのはなんと六時間後らしい。耐え難い痛みを浅く呼吸をしてただただ耐え忍ぶ。



(こんなんで離床訓練とか無理だろ!!)



 再び脳裏を過るイレウスへの恐怖に不安と焦りを覚える。痛み止めの解熱効果か、汗をどっさりかいて気持ちが悪かった。


 痛みに苦しむ僕を見兼ねて、二時間後に別の痛み止めを小さな注射器で点滴から投与される事となった。この注射器の痛み止めは、どうやら硬膜外麻酔で使われていた麻薬らしい。麻薬と聞いて、僕は尚さら恐くなった。



(この身体はどうなってしまうんだろう?)



 僕は、どうなってしまうんだろう?


 麻薬のおかげか、一時的に痛みが抑えられた。



(これなら少しは歩けるかもしれない……)



 その日の離床訓練では、その場で三回足踏みを頑張った。


 一刻も早く歩けるようになって、麻薬を終了させなければ。そう思うのに、麻薬は二、三時間で切れ痛みが激しくなる。次にあまり効果を感じない痛み止めが使えるまで後二時間もあった。


 我慢して、我慢して、時間が来た所でナースコールを押す。痛み止めをお願いして、それが届くまでにまた十分程の時間がかかる。しかも、血圧が低いのもあって、痛み止めを使う前には血圧を測らなければならない。



(早く痛み止めをくれよ!!!)



 叫びだしたくなるのをグッと堪えた。涙が滲んだ。


 けれど、残酷にもこの痛み止めが効いてる感覚があまり無い。麻薬が使えるまで二時間もある。


 僕はその日、ずっと時計ばかり見ては次の痛み止めの計算ばかりしていた。


 その夜も痛みで眠れず、時間が来るたびにナースコールを押しまくったのは言うまでもない。




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