第二章:衝突と苦悩。

・Memory01(まひる視点)



 夏休み真っ只中、私はアルバイトをしつつ、陽一とあっちこっちで食べ歩いていた。


 ことの発端は、陽一の家で勉強会していた時の事。お昼ご飯にピザの宅配を取ろうと言い出した陽一の発言から始まる。



「わーい!ピザ!食べてみたかったんだよね〜!」

「はぁ?何お前、ピザも食べた事ねぇの!?」



 事件だ!とばかりに声を荒げる陽一。そんなに驚く事なのかな。よく分からなくて首をかしげる。



「うーん……小学生くらいの時は食べてたような気がするんだけど……もう覚えてないなぁ」

「どういう事情があんだよソレ。いや、深入りする気は無い。重い話はしてくれるな。反応に困るからな!」



 陽一は右手を前に出して、話を続けさせないようにストップをかけて来た。

 別段重い話ではない。ただ単にウチは自炊が多かったから外食も宅配もほとんどしないそんな家庭だっただけだ。けど、聞かれたところでゆうひくんの今までの人生とは別の話だから逆に困るので今はむしろ聞かないでくれるのはありがたい。



「よし、決めた。この夏、お前が食べた事ねぇモン食べ歩こうぜ!」



 そんなまさかの提案に、ワクワクが止まらなくなったのは言うまでもない。



「わーい!そうする!!美味しいお店紹介してよ!」

「おうよ!任せろ!この陽一様に!」



 ゆうひくんの健康な体を手に入れたことで、私は今まで我慢していたことがどんどんできるようになって、食べられるようになって有頂天になっていた。


 実際、薬が効いていれば禁忌食も少しくらい食べたって平気らしいけど、怖くて手を付けられずにいた私からしたら今の食の自由度は底なし沼にハマるようなものだった。


 食べたい物を言えば、陽一がその料理ならこのお店が天下一品だぜ!と連れ歩いてくれた。



「俺の知ってる中では、ここのラーメンがマッッッジで旨いんだ!!麵といい、このスープといい、チャーシューといい最高以外の何ものでも無い!!さぁ食え!!」

「……っ!!!うまっ!!え!?ナニコレうまっ!!」

「だろ~!?」

「優勝!!」

「はい!優勝いただきました~!」



その時間はたまらなく楽しくて、美味しくて、心地よくて、今までの人生の中で一番幸せだった。


 陽一とはあれから良好な友人関係を築けているし、全てが順風満帆に思えていた。


 けれど、良い事はいつだって続かない。いや、むしろ私がぶち壊したのかもしれない。





 その日は、ゆうひくんのお母さんの実家へと里帰り旅行をしていた日だった。元々旅行を好んでする家庭じゃなかったのもあるけれど、持病の事もあり、余計に家から出るのが不安で億劫になっていた私は、なんの心配も無く出歩けられることにかなり心躍っていた。


 ゆうひくんのお母さんの実家は岩手県だった。北よりだから夏場は涼しいかと思えば、どうにもそうでもないらしい。雪が降る地域なのもあって、屋根が細長くとんがった家が多く並んでいて別世界に来た感じがした。初めて見る暖炉。水は井戸水らしく、夏場なのに水道の蛇口が汗をかいていて、出て来る水がひんやりと冷えていた。



「おいしい……!冷たい!」

「あなた、毎年来てるのに今更何言ってるの」



 変な子。と、冷めた視線がぐっさりと刺さる。だけど、感動したのだから仕方がない。


 にこにこと朗らかに笑うおばあちゃんは、ゆうひくんのお母さんとはあまり良く似ていないように思う。どちらかと言えば、おばあちゃんの隣で静かにお茶をすすっているおじいちゃんの方が、雰囲気も目元もゆうひくんのお母さんにそっくりだ。


 色々と話しかけてくれるけれど、訛りが強くて、良く聞き取れず曖昧な笑顔でしか返せず申し訳ない気持ちになった。


 ここに来て何より痛手だったのは、ネット環境が整っていなかった事。びっくりする事にこの家はまさかの圏外。ワイファイも無し。途中から家が全く見えなくなって、田んぼ、畑ばかりになって来たところからあやしいなとは思っていた。家に到着してから辺りを見回しても、隣近所らしい家が見当たらない。ここまで来ると文明の利器、スマホもただの四角い物体だ。


 そうして一週間、強制的にデジタルデトックスをすることとなった。畑で野菜を収穫し、おじいちゃんと川へ釣りに行き、ハンモックで森林浴を楽しみ、スイカを食べ、夜には驚くほどの澄んだ綺麗な星空を眺めた。何時間眺めていても飽きないくらいのキレイさに、蛍まで飛んで、まるでこの世とは思えない程の幻想世界に息を飲んだ。



(同じ日本なはずなのに……別世界だ……)



 一人で眺めておくにはもったいない。けれど、私の腕ではこの美しい光景を写真に収めるのは難しい。



(陽一や城ケ崎にも見せたいな……)



 暇を持て余すと思っていたのに、思いのほかゆったりと流れるこの日常を気に入った。宝物のような不思議な時間はのんびりと過ぎ、戻って来た日常はとても賑やかで、すさまじい速さで流れて行った。


 まずは、圏外で止まっていた物が一気に流れ込んで来る。メッセージや着信がたくさん入っていて驚いた。陽一や城ケ崎からのメッセージに、ゆうひくんからの電話。とりあえずは目に見える内容から返信を返していっていたら、うっかりゆうひくんからの電話に折り返すのを忘れてしまっていた。


 思い出した時には日にちが結構経っていて、慌てて折返しの電話をかける。



「今まで何してたんだよ!」



 電話に出たと思ったら、ゆうひくんに突然そう怒鳴られてビックリして肩が跳ね上がった。


 思わず落としそうになったスマホをギリギリでキャッチして耳に当て直す。


 あの大人しいゆうひくんがこんなに声を荒げるなんて意外だ。



「……ごめん。ちょっと旅行に……。バイトもあってバタバタしてて……」

「は?旅行?そんな話聞いてない!」

「……ごめん」



 確かに伝えなかった私が悪い。


 最近は伝えるまでも無いかと思って連絡しなくなっていた事を静かに反省した。



「こっちは元に戻る方法を必死で探してるのに……!キミは遊びたい放題好き勝手出来ていいね!!こっちの状況、キミなら分かってるはずだろ?自分の体なんだから!」



 体の事を言われて、弾かれたように叫んでしまった。



「そんな事言ったって、戻らないんだから仕方ないじゃん!戻る方法探したんでしょ?見つかったの?」

「……っ!」



 まるで犯人を追い詰めるかのように、相手が反論する隙を与えずに早口でまくし立てた。



「ほら。見つかってないんでしょ?ゆうひくんが一生懸命探して見つかってないんだよ。戻るまで待つしかないじゃん。その間、何もせずに引きこもってろって言うの?迷惑かけないようにお小遣いだって自分で稼いでるのに?それでもダメなの?」



 言い出したら止まらなくなって、理不尽に責められたことが許せない気持ちになっていた。


 遊びたい放題好き勝手してたのは事実だ。でも、だからといってどうしようも無い事も事実だ。


 私の体になったのなら尚さら理解してくれるはずだとどこかで甘えていたんだ。



「だいたい!ゆうひくんはこの体いらないんじゃないの?だから身投げして捨てようとしてたんじゃないの?捨てるならちょうだいよ!!」

「……っ、まひるさんだって……こんな体、要らないんだろ!?僕と同じじゃないか!!」

「要らないなんて言ってない!!」

「でもまひるさんは僕の体で生きていきたいんでしょ!?生きていく準備だってしてるじゃないか!!僕の為みたいな事言って!!本当は返したくなくなったんじゃないの!?」

「……っ」



 ゆうひくんに痛いところを突かれた。


 正直、今ほど幸せな事なんて無い。


 不安要素だった体が健康ってそれだけのことで、こんなにも人生がどんどん切り開けて世界が鮮やかになっていく。


 友人関係も食事が普通に出来るだけでガラリと変わって、気兼ねなく誘ってもらえる。


 健康な体が欲しくないのか?なんて聞かれたら、いらないなんて言えるはずが無い。


 かと言って元の自分が嫌いなわけでもない。


 ただ、戻りようが無いのだ。



「元はと言えば、ゆうひくんが悪いんじゃん!あの日あんなとこにいなければ、こんなことになってないでしょ!?ゆうひくんだって、私の体になって分かってるクセに!!私がどれだけ食事を我慢して、色々諦めもして、それが今どれだけ幸せか!!それなのに、いつ戻るか分からないこんなちっぽけな少しの時間すらダメだって言うの!?」



 言うだけ言って、反論を聞きたくなくて、私はとっさに通話を切った。

 肩が上下する程荒く呼吸を繰り返す。


 自分がどれだけ今まで押し殺して生きていたのか思い知らされた。こんなにも理不尽な出来事をずっと我慢して生きていたんだ。


 私が欲しい唯一の健康体。それを簡単に手放そうとする彼を恨めしいと思った。

 そのクセ、私が自由にこの体を使う事が許せない彼がどうしようも無く憎く思えた。



(捨てようとしてたクセに!!)



 元に戻ったなら仕方ないと思っていた。いつかその日が来てしまうと私だって思っていた。


 だからこうして精一杯今を楽しみたいだけなのに、どうしてぶち壊しにするような事を言うのか理解出来なかった。



(いっそ、元の体になんか戻らなければいいのに……)



 私はこのまま、夜風ゆうひとして生きて生きたい。


 そんな気持ちが私の中で少しずつ強くなっていた。


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