第33話

 スキンシップを終え、空き教室から出る頃には四時を回っていた。二人並んで廊下を歩いていく。

 たまに視線を向けられるが、以前より噂されている感じは減っていた。


「あっ」


 美沙が廊下の真ん中あたりで突然声を上げて立ち止まった。こちらを向き、必死の形相で私の腕に自分の腕を絡ませてくる。少しどきりとするが、平静を装って口を開いた。


「何よ、珍しく大胆ね」

「大胆とかそういうんじゃないですから」


 こちらの様子を伺い、小声で言った。


「あの、姫子せんぱい。お願いがあるんですけど」

「お金なら貸さないわよ」


 は? と目を見開く。


「いや、借りたことないですし。普段からわたしをどういう目で見てるんですか?」

「冗談よ。要件を言って」

「わたしの腕を振り払ってほしいんです」


 後輩を見つめる。

 大真面目な顔をしていた。


「しがみついてきた変態を振り払うような感じでお願いします。強めにやってください」

「……」

「そのあと、『あなたはただの後輩よ。調子に乗らないで』と冷めた顔をして言ってください。ゴミ虫を見るような目だと尚いいですね」

「いきなり性癖を披露してどうしたの?」

「だーかーらー、そういうやつじゃないんですって」


 切羽詰まった顔をしている。何か特別な事情があるのだろう。


「最近、ストーカー被害に遭ってるんですよ」


 美沙は声を潜め、暗い表情で言った。


「どこかで聞いたことのある話ね。初めてデートした時だったかしら?」

「混ぜっ返さないでくださいよ……。あの時の嘘は、本当、申し訳ないと思ってるんですから」


 一年二組に沢村という生徒がいて、その子から嫌がらせを受けているという。


「姫子せんぱいと仲の良いわたしが気に食わないみたいなんです。四六時中、監視してくるんですよ。時には暴言も吐かれます。ここ最近、それが激化していて……」

「厄介ね」

「他人事みたいですね。せんぱいのファンなんですから、何とかしてほしいです」

「沢村さんのことはわかった。でも、それと腕を振り払って罵倒することに何の関係があるの?」

「後ろにいるんですよ」


 振り返りそうになったが、「駄目です」と注意され、ぐっと堪えた。


「あの子、わたしが姫子せんぱいに強引に引っ付ているのはギリ許容できるみたいなんですよ。でも、せんぱいの方からわたしに好意を示してベタベタするのは、絶対に許せないと思っているみたいで」

「私の勝手でしょ」

「その通りなんですが、理屈で納得するような性格をしていないんですよ。そこで、せんぱいが可愛い後輩ちゃんを鬱陶しがっている姿を見せれば、多少、嫌がらせは減るんじゃないかと」


 美沙は、ほとほと困り果てているようだった。

 いいわ、と了承する。ぱっと顔を輝かせた。


「流石せんぱい、頼れるぅ! いつものヒールっぷりを見せてやってください!」

「いつもの……?」


 少し引っかかるが、美沙のため、たまには一肌脱ごうと思った。

 さっそく行動に移す。

 腕を振り払った。

 美沙がよろめく。思わず「大丈夫?」と声を掛けそうになった。しかし、それでは行動の意味がなくなってしまう。口を堅く閉ざして美沙を見つめる。

 えっ、という顔をしていた。

 私まで「えっ」となる。

 なぜ傷ついた顔をするのか。これは演技だ。

 廊下にいた生徒達が、何事かと私達を見てくる。

 おそらく沢村も見ているはずだ。

 口を開く。


「あなたはただの――」


 途中で言葉を止めた。ただの、と口の中で繰り返す。いつまで経っても続きの言葉は出てこなかった。

 どうしたんですか、と美沙がアイコンタクトを送ってくる。

 私は溜息をついた。それから、美沙を真っ直ぐ見つめて言った。


「あなたはただの後輩なんかじゃないわ。大切な存在よ。とてもとても、大切な存在。だから、二度と私に変なことを言わせないで」

 

 一瞬、場が静まり返った。

 次の瞬間、どよめきが起きた。


「今の聞きました?」「聞いた聞いた。やばかった」「プロポーズ?」「似たようなものでしょ」「友達に報告しないと!」


 関係ない生徒達が盛り上がっている。

 美沙は最初、きょとんとしていた。言葉の意味が理解できなかったらしい。しばらく経ち、みるみる赤面した。人はここまで赤くなるものなのか、と妙な感心をしてしまう。

 振り返ると、四メートルほど離れたところで黒髪の少女が佇んでいた。前髪を垂らしているので表情は伺えなかった。ただ、握り拳が震えているのは見て取れた。


「行きましょう」


 前を向き、改めて歩を進める。美沙が遅れてついてきた。黙ったまま歩き続ける。

 昇降口に差し掛かったところで、


「どういうつもりですか?」


 鋭い声が飛んだ。

 美沙がこちらを睨みつけていた。


「ああいうの、やめてほしいんですけど」

「またルールに加える?」


 美沙は押し黙った。顔を逸らして溜息をつく。

 不安げな瞳で見つめてきた。


「せんぱいは、わたしをどうしたいんですか? わたしに何を求めてるんですか?」

「前にも言ったでしょ。友達の関係を継続したいのよ」

「ほしいものがあると言ってましたよね。そういえば、まだ具体的に何を欲しているか訊いてませんでした。今、教えてください」

「それは……」


 言葉に詰まってしまう。

 自分が求めているものは何なのか。何を手にしようとしているのか。それを知るため、美沙と関係を続けているのだ。しかしまだ答えは出ていない。返答しようがなかった。


「……もう、いいです」


 美沙はそっぽを向いた。冷めた声で続ける。


「せんぱいは、わたしを玩具に見立てて遊んでるんですね」

「待って。なぜそうなるのよ……」


 声が掠れる。自分らしくない、と思った。


「だってそうじゃないですか。わたしは女性を性的に見てしまうと、はっきり告げましたよね。それを聞いていながら、過激なスキンシップを取ろうとしてくる。しかも皆の前で『大切な後輩』なんて言う。わたしを誤解させて楽しんでいるとしか思えません」

「そんなことないわ」

「絵もまだ、どういうものがほしいか要求してきてませんよね。長く楽しむためですか? わたしが目を白黒させているさまを、眺めて嘲笑っていたいからですか?」

「違うわ。さっきから何を言っているのよ。そんなわけないでしょ」

「もういいですって!」


 美沙は突き放すように言った。


「……先に帰ります。お疲れさまでした」


 硬い表情で下駄箱の方に向かう。私は美沙の背中が見えなくなるまで、その場に立ち尽くした。

 なぜこうなるのか……。

 スマホの中に収められた写真を見た。さきほど撮ったばかりの美沙とのツーショットだ。

 胸を抑える。

 苦しい、と感じた。

 

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