第46話


 美沙を連れて空き教室に移動する。ここなら周囲の視線に晒されることはない。ひとまず息をつける。

 美沙は目を赤くしていた。だいぶ落ち着いてはいるようだ。しかし依然として、不安定な状態であることに変わりはない。

 人を慰め、寄り添うという経験を、私はしてこなかった。不安な気持ちになる。 

 だが、私以上に不安な気持ちになっているのは美沙だ。せめて話を聞き、傍にいようと思った。今の自分には、それくらいのことしかできない。その事実がもどかしかった。

 美沙は吐息をつき、ゆったりとした動作で窓際に足を運んだ。校庭では陸上部が走り込みをしていた。


「せんぱいに話したいことがあります」


 こちらに顔を向ける。夕日が顔に差していた。


「今回の件で改めて痛感しました。わたしはとことん、恋愛をしてはいけない人間なんだってことを――」

「そんなことはないでしょ」

「いえ、そうなんですよ」


 微笑む。


「中原を好きになったのは、いじめから救ってくれたからでした。それ以外、特に理由はなかったんです。もみじと付き合ったのも、中原との傷が癒えてなかったからです。わたしは、人を簡単に好きになる。安易に好きになる。だから重みがないんです」

「そんな人間はごまんといる。そもそも、私はあなたに重みがないなんて思わない」

「昨日、わたしのことを『尻がる女』ってクラスメイトの一人が言っているのを聞いちゃいました」


 私は顔を顰めた。


「その女はクソよ」

「彼女は事実を言っただけですよ。わたしは人をすぐ好きになるから、尻がると言われても仕方ありません。しかも、恋愛関係を結べても、自らの手で台無しにしてしまう。いつもそうです」

「中原の件はあなたに落ち度はないでしょ」

「そうかもしれません。でも、そもそもわたしがいじめられてなければよかったんですよ。いじめられてなかったら中原にちょっかいを掛けられることもありませんでした」

「そんなの詭弁だわ」

「わたしがいじめられていたのは、ぺらぺらで薄っぺらい、自分本位な人間だからです。そんな人間はいじめられて当然だし、裏切られて当然なんですよ。全部、自分が招いた結果です。わたしのような人間は、周囲を不幸にしてしまいます」


 自己卑下するのはやめなさい、と叱責したくなる。だが、責めるようなことは言えなかった。言いたくなかった。

 美沙は弱々しい笑みを浮かべて言った。


「わたし、姫子せんぱいのことが好きです」

「……」


 息が詰まった。声が出なくなる。


「姫子せんぱいとくっついたり、デートしたり、くだらない会話をしたり……そのたびに好きって気持ちが抑えられなくなっていきました」


 私は喉を震わして言った。


「美沙は、秋葉もみじが好きだと……」

「もう吹っ切れてますよ。ほんと、せんぱいって鈍感ですよね。フツー気づきますよ」

「……私に人の感情の機微を察するなんて無理よ」


 顔を背ける。まともに美沙の顔を見られなかった。心臓が激しく脈打っている。全身の血が沸騰しそうだった。


「あーあ、言っちゃった……。言わないつもりだったのに……」


 美沙が苦笑する。すべてを諦めたような顔をしていた。


「美沙、私は――」

「言わないでください」


 首を振る。それから、ごめんなさい、と呟いた。


「告白してなんですけど、答えは聞きたくないです。どんな答えでも、今のわたしには、受け止められそうにありませんから」

「どうして?」

「余裕がないし怖いからですよ。決まっているじゃないですか。それにわたしは、さきほども言いましたけど、恋愛してはいけない人間なんです」

「ずるいわ、そんなの……」

「わたしはこういう人間ですよ。知っていたでしょ?」


 美沙は鞄を背負い直した。それから泣きそうな顔で微笑み、「さよなら、せんぱい」と口にする。出て行ってしまった。

 壁時計の針の音だけが、鼓膜を揺さぶる。


「……言わせなさいよ」


 ふつふつと怒りがわいてくる。

 美沙に対しての怒りではなかった。中原に対しての怒りでもない。

 私は、私自身に怒っているのだ。

 なぜ、無理矢理にでも答えを言わなかったのか。引き留めようとしなかったのか。

 本当に脅えていたのは美沙じゃない。私だ。どうしようもない臆病者は私だった。

 足に力を入れる。扉を目指して歩き、廊下に出た。

 美沙の姿はなかった。

 美沙を求めて廊下を駆けだす。階段を降りて昇降口まで急いだ。皆、ぎょっとした顔で私を見送った。必死の形相で廊下を走っている姿が珍しかったのだろう。

 昇降口に行き、美沙の上履きを確認する。

 なかった。

 溜息をついて振り返る。

 長い黒髪の一年生が立っていた。前髪が垂れていて表情は伺えない。

 沢村だ。 

 彼女に詰め寄った。


「沢村さん、美沙を見ていない?」

「え、あ……。さっき帰っていきました。かなり急いでいたみたいです……」

「そう」


 沢村が、あわあわとした様子で言う。


「あ、あの、その……。美沙さんのいそうな場所に心当たりがあります」

「本当?」

「え、ええ。美沙さんのことならだいたいのことは知っていますから。一時期、尾行していたので。ま、まぁ、いる可能性はかなり低いですが……」


 まずい発言だが聞き流す。私は、沢村に「美沙を見つけたら連絡をちょうだい」と言った。連絡先を交換する。沢村は動揺した様子でスマホを仕舞いながら、


「当たり前ですけど、最近の美沙さん、と、とても辛そうでした。だから、姫子さまが傍にいてあげてください」


 私は驚いて沢村の顔を凝視した。本心から言っているように見える。

 あの一件で、彼女は変われたのだ。


「沢村さん、美沙がピンチになっていたら助けてあげて」

「……わ、わかりました!」


 私は靴に履き替え外に出た。

 

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