第47話
美沙は見つからなかった。SNSのメッセージにも反応がなく、家の場所は生憎と聞いていないから八方ふさがりの状態だ。
明日は土曜だから学校で会えるのは三日後。このまま放置していい問題とは思えなかった。
自宅近くの公園ベンチに腰掛ける。外灯がついていた。子供たちが「また明日な~」「今度はゲーム持ってこいよ」と別れの挨拶を交わしている。
どうしたものか、と思案していたら、「お姉ちゃん?」と声を掛けられた。
杏子だ。部活帰りらしく鞄を背負っていた。私の隣に腰掛けてくる。
「上野先輩のことで悩んでるの?」
「なんでわかるのよ」
「お姉ちゃんが悩んでる時はいつもそうだから」
電灯に虫がたかっている。そこから視線を逸して、ブランコを見つめながら言った。
「ついさっき、美沙から告白されたわ」
「へえ……」
「何よ、そのムカつく反応は」
睨みつける。
ごめんね、と杏子は苦笑した。
「正直、一生進展しないまま終わると思っていたからびっくりしたんだ。それで反応を間違えちゃった」
「知ってたの?」
「まるわかりだよ。上野先輩、凄くわかりやすかったから」
「そう……」
「まさか告白するとはなぁ。上野先輩、頑張ったんだ」
「そんなに意外?」
「どっちも臆病だからね」
容赦のないことを言う。
「確かに美沙は臆病よね。私も、そうだけれど」
杏子は目を見開いた。
「びっくりするくらい素直だ……」
呟いてから嬉しそうに笑う。
「これ、喜んでいいことなんだよね?」
「どうかしら……」
正直、最悪のタイミングだ。
「今、トラブルを抱えているの」
胸の内を明かす。
当然、美沙の心の傷にも触れる内容だ。説明する前に、「アウトだと思ったら杏子の方から止めて」とお願いした。無茶ぶりだったかもしれない。
数十分かけて説明する。
すべての説明を終えてから、私は全身から力を抜き、息をついた。杏子は空を見上げていた。星が見え始めている。
「……正直、わたしから言えることは何もない気がする」
ごめんね、と謝られた。
「別にいいわ。話すことで気持ちの整理をつけたかっただけだから」
「それならよかった。ただ、一つだけ言わせて」
体を寄せてくる。顔に真剣みを覗かせてから、急に抱き着いてきた。
「妹のわたしがこんなことを言うのも変かもしれないけど、お姉ちゃんが本気で人を好きになってくれて嬉しいよ。凄く嬉しい……」
震えた声で言われた。
好きだとは言っていないと指摘しようとしたが、やめた。抱き着く力が強まったからだ。
「心配だったの。このままずっと、お姉ちゃんは一人きりなんじゃないかって……。お姉ちゃんはそれで納得してるみたいだったけど、やっぱり辛そうに見えたから」
「辛そう?」
意外な言葉に驚く。
「そう見えたよ。わたしが中学一年の時、最上級生のお姉ちゃんが表彰されて、わたし凄く鼻が高かった。でも、お姉ちゃんのクラスメイト達は、お姉ちゃんに直接声を掛けず、後ろから『すごいなぁ』って言うだけ。お姉ちゃんは一人で廊下を歩いていた。その時、凄く寂しそうに見えたんだ。その光景がずっと、わたしの中に残ってたの」
渋谷さんに話し掛けるのは恐れ多い、話し掛けてはいけない存在だ、とあの頃は言われていた。そういう空気が蔓延していたのだ。
「お姉ちゃんは、本当はずっと人と関わりたいと思っていたんじゃないかな。でも、それを認めるのは負けに思えるし癪に障るから、孤高を貫いているように見えたの」
「そんなことは……。あなた、泣いてるの?」
「泣いてない」
杏子は私と同じで意地っ張りなところがある。絶対に泣いていると認めないだろう。
体を離した。やはり目元が赤くなっている。
「お姉ちゃんは負けないよ。その中原っていう人には」
「なぜそう思うの?」
「だって、お姉ちゃんは負けず嫌いのナルシストだから」
「……」
あまり嬉しい言葉ではなかった。
杏子は続けて言った。
「クールでナルシストで上から目線。容姿端麗で文武両道。――そして、誰よりも努力家。しかも今は、自分より他人を優先することを覚えた」
杏子は立ち上がり、私を見降ろして満面の笑みを浮かべた。
「それって最強じゃん」
呆気にとられる。そんなふうに考えたことはなかった。
自分は美沙と会ったことで弱くなったと思っていた。
人間関係なんて作ろうとするのは弱い人間だけで、私のような強者には不要なものだと思って生きてきた。しかし今では、美沙との繋がりを求め、不安になったり辛くなったりしている。感情のコントロールが上手くできていないことが多い。それは私からすると、弱体化と言えた。
でも、杏子からすると、逆に見えるらしい。
胸に空気が通った気がした。体が軽くなる。
その時、スマホが鳴った。
美沙からの連絡を期待して画面を見る。しかし、今一番会話したくない相手からの着信だった。心が冷え切っていくのを感じる。
通話に出た。
「渋谷先輩、お疲れ様です」
相手は名乗らずに言った。
「明日の土曜の十三時、駅前のファミレスで会いましょう。話があるんです」
「あなたと話すことなんてないわ」
「写真」
中原ははっきりとした口調で言った。
「見せたい写真があるんですよ。来てくれますよね?」
肩を竦め、わかったわ、と告げる。
具体的な場所と条件を聞いてから通話を切った。杏子が険しい表情を浮かべていた。誰が相手なのか、察しがついたのだろう。
「大丈夫よ。杏子のおかげで進むべき方向が見えた気がするから」
「進むべき方向?」
私は不敵に笑って言った。
「私は絶世の美少女よ。そこらのアイドルやモデルなんか私と比べたら路傍の石ころのようなもの。そうでしょ?」
「急にめちゃくちゃ言い始めた……」
ドン引きされる。しかし、構わなかった。
「艶やかなロングの黒髪、くっきりとした目鼻立ち、陶器のように白い肌。街を歩けば、大抵の人間は私に目を向ける。美術品が目の前を歩いていたら誰だって驚き、関心を示し、その美しさに恍惚とする」
笑みを浮かべたまま続ける。
「そんな私が、あんな女に負けるはずがない」
怪訝そうだった杏子が、ふっと頬を緩めた。
「わたしの好きなお姉ちゃんだ」
嬉しそうに呟く。
明日がおそらく最終決戦となるだろう。
私はスマホを持ち上げ、さっそくある準備を始めた。
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