第48話


 土曜のファミレスは人で混雑していた。

 さきほどからウェイトレスが、ぼーっとした顔で私の顔を見つめている。たぶん見惚れているのだろう。咳払いをして仕事のことを思い出させてやると、ウェイトレスは表情を引き締め、慌てた様子で厨房に引っ込んでいった。


「この数分でファンを作ってしまうとは流石ですね」


 目の前の女が愉快そうに笑った。

 黒を基調とした衣服に身を包んでいる。相変わらずファッションセンスはずば抜けて高かった。


「というか、本当に一人で来たんですね」


 感心したように言い、黒々とした目で私の全身を舐め回すようにする。


「約束は守るわ」

「律儀ですね。うるわしい先輩後輩愛ってやつですか。泣けますね」


 中原はペットを愛でる飼い主のような顔で言った。


「写真を見せる前に、ちょっと雑談しませんか?」

「結構よ」

「つれないことを言わないでくださいよ。渋谷先輩みたいな人と会話できる機会なんて、私のような凡人には、そうあるものじゃないんですから。少しだけ付き合ってもらいますね」


 中原はテーブルの隅に置かれた紙ナプキンの束から一枚だけ抜き取ると、それを手元で弄りまわした。


「私は別に、悪意を持ってこの場に座っているわけじゃありません。むしろ善意の気持ちから渋谷先輩を呼んだんですよ。チャンスを与えたかったからです。私、こう見えて優しいって評判なんですよ? 意外でしょ?」

「チャンスって何」

「渋谷先輩は、私と美沙のことから手を引いた方がいいと思うんですよね。関係ない第三者なわけですから」

 

 関係ない第三者、というところを強調して言う。

 私は冷めた目で女を見つめた。


「関係ない第三者はあなたのことでしょ」

「美沙はきっと、また自分を責めることになると思います。優しい子ですからね。今ならまだ間に合いますよ?」


 入り口の方に顔を向ける。それから、こちらに意味深な視線を送った。今ここで帰ればお前は標的にしない。そう暗に言っているのだ。


「悪いけど、帰るつもりはないわ」

「そうですか。まぁ、そう言うだろうとは思ってましたけどね」

「いいから写真を見せて。私を呼んだ理由はそれでしょ」

「後悔しないでくださいね」


 スマホの画面をこちらに向ける。

 そこには意外なものが写っていた。

 息を呑む。

 私がぷにゅるりの同人誌を持ち上げ、笑顔を浮かべている写真だった。アニメショップで盗撮されていたのだろう。


「特殊な趣味をお持ちのようですね」


 スマホを手元に引き寄せて微笑む。

 ここにきて意外なカードを切ってきた。

 中原の本質が見えた気がする。彼女は予想を裏切り相手の動揺を誘うことで、常に上に立とうとしてくるのだ。


「美沙の裸の写真だと思っていましたか? 期待させちゃってすみませんね」


 申し訳なさそうに言う。


「……裸の写真を持っていると認めるのね」

「え、持ってないですよ。言葉の綾じゃないですか」


 けらけらと笑う。コーラの入ったコップに口をつけてから、挑発的な目で見つめてきた。


「どうせまた録音してるんですよね。まぁ私もしてますけど」


 スマホをテーブルの上に置き、にやにやとする。録音アプリが起動していた。


「渋谷先輩ってこれまでの人生、勝ちまくりだったんでしょうね」


 突然話題を変えてきた。

 それはなぜか、と勿体つけながら続ける。


「答えは簡単。美人だからです」


 口の端を歪め、私の瞳を覗き込んでくる。


「美人やイケメンはそれだけでかなりアドバンテージです。美人である恩恵を、渋谷先輩はこれまでの人生でたくさん享受してきたんでしょ?」


 私は何も答えなかった。

 中原はこちらの反応に満足したようで、深く頷いた。


「大抵の人間は美女やイケメンの方が自分より上だと感じて卑屈になりますからねぇ。頼んでもいないのに、多くの人間がかしずいてきたでしょ? 皆、コンプレックスを刺激され、それを認めるのが恥ずかしいから屈服しちゃうんですよね。羨望みたいな感情を向ける人間もいるみたいですが、それはコンプレックスの裏返しみたいなもので、純粋な好意からは程遠いものでしょう。人間は自分が手に入らないものに憧れを抱く生き物ですからね。たぶん美沙も、渋谷先輩にそういう感情を持っているんじゃないかな」

「その似非心理学、独学で習得したの?」

「渋谷先輩の気持ちはわかりますよ。その顔で生まれてから、人生ずっとイージーモードだったんでしょう? 雑魚を見下すのはさぞ気持ちよかったでしょうね。わたしや美沙やその他大勢の人間のことを見下しながら生きてきて、実際のところ、どんな気分でした? あ、答えは言わなくていいですよ。わかってますから」


 とはいえ、と中原は微笑んだ。


「容姿がいいだけの人間を、自分より上の存在だと思えない人間も中にはいるんですよ」


 中原自身のことを言っているのだろう。


「そういう連中は、むしろ容姿がいい人間ほど甘やかされていて脆いと考えています。人生イージーモードだと思っている美男美女をくしゃくしゃに歪ませるのが楽しい――どうやら、そう思っている人も多いみたいです。その手の輩に目をつけられないよう、渋谷先輩も気をつけてくださいね」

 

 手元のナプキンを潰すようにしながら言った。

 

「録音されてるわよ」

「いいんですよ別に。私、性格のよさで売っていないですから」


 再びこちらの目を覗き込んでくる。


「私、気になるんですよね。渋谷先輩みたいな本物の美人が、何を考えてこの場にいるのか。ブスが調子に乗るなよ、とか考えているんですか? どうですか?」


 私は鼻で笑った。


「どうもこうもないわ。ただ、あなたに脅されたから仕方なく来ただけよ」

「へぇ……」


 動揺を引き出せなかったからだろう。中原は、つまらない玩具を前にした子供のような顔をした。

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