第49話


 中原は気を取り直すようにして言った。


「いろいろと渋谷先輩の噂は耳にしていますよ。ファンがたくさんいて人気者みたいですね。ファンサイトまであると知った時は流石に驚きました。まさしく完璧な存在ですね」


 でも、と人差し指を顎に当て首を傾げる。


「なぜ百合漫画が好きなことは隠しているんですか?」


 ぷにゅろりでしたっけ? と呟く。わざと名前を間違えて口にしたのだろう。

 嗜虐の色を覗かせながら言う。


「どうやら学校で、そういう話は一切されていないようですね。どうして隠しているんですか?」


 いろいろと調べてきているようだ。内通者から訊いたのだろう。

 舌打ちが漏れそうになる。すべてを知られているのではないか、と不安な気持ちがせり出しそうになる。だが、ぐっと踏ん張り、冷めた表情を保った。メンタルでこの女に負けるわけにはいかない。


「あなたに言う必要はないわ」

「確かにそうですね。ま、知られたくない秘密の一つや二つ、誰にでもあるものですからね」

「ひょっとして脅しているつもり?」


 中原は目を瞬いた。


「そんなつもりはありませんよ。ただ雑談をしているだけじゃないですか。被害妄想が過ぎますよ」


 言いながらテーブルの上にメモを置いた。文字が書かれていたので覗き込む。


 ――美沙を裏切って私側についてください。オッケーならテーブルを指先でトントンしてもらえます?


 証拠が残ることを警戒しているのだろう。

 私は黙って水の入ったコップを持ち上げた。中原が首を傾げ、まじまじと見つめてくる。

 コップの中身を、中原の手と紙にぶちまけた。


「なっ……」


 一瞬、中原の顔に激情のようなものが走った。しかし、すぐに無表情となり、私を見つめた。


「強気ですね。こっちには何枚もカードがあることをお忘れですか?」


 水をふき取りながら言う。

 何の事? と惚けて見せた。


「さきほどの質問の続きですが」

 

 中原は勿体ぶるようにして言った。


「お色気要素たっぷりの百合漫画好きだとばれるのが、そんなに嫌なんですか? 完璧な美少女からすると、やはり人生の汚点になりうるものなんですかね? 教えてください」


 嘲りを顔に貼り付けながら訊いてくる。

 胸に手を当て、呼吸を整える。

 これはいい機会だ。

 私は真顔で言った。


「ぷにゅるりのマリンちゃんは女神よ」


 沈黙が流れる。

 中原は目をぱちくりさせた。え、と訊き返してくる。


「私はマリンちゃんが好き。好きすぎてマリンちゃん専用アカウントを作ったくらいよ。それと可愛すぎてフィギュアを三体所持しているわ。同人誌もたくさん買った。アニメも超楽しみにしている」


 意外な返答だったからだろう。きょとんとしている。

 

「あのー……なんですか急に? オタ宣言? 壊れちゃったんですか?」

「好きなものは好きだとはっきり言うべきだと思ったのよ。じゃないと――」


 美沙に何も言えなかった時のことを思い出す。


「私の手から離れていく気がするから」

「へえ」


 脅しには使えない情報だったと察したのだろう。中原は切り替えるようにして言った。


「なら別のカードを使用しましょうか。最後の一枚なんですけどね」


 自分の優位性は何一つ崩れていない。それを確かめるように、余裕たっぷりの顔で言った。  

 私は淡々と口を動かした。


「それは困るわ」

「そうでしょうとも」

「でも、あなたがカードを切らなければ何の問題もないわね」


 中原は眉根を寄せた。


「……どういうことですか?」


 警戒心を剥き出しにしながら訊いてくる。


「言葉通りの意味よ。いくら凶悪なカードを持っていたとしても、プレイヤーがカードを切らなかったら、何の脅威にもなりえない。そうでしょ?」

「説得でもするつもりですか」


 無駄なことを、と呟き、鼻で笑う。心底見下したような目を向けられた。

 彼女の持っているカードの枚数――それを確かめたかったのだ。彼女は最後のカードと言っていた。

 ならば、今がベストなタイミングだろう。

 私は手を挙げた。

 数秒後、近くの団体客が席を立った。私達のもとに近づいてくる。テーブルのすぐ脇に佇み、中原を黙って見下ろした。


「え……?」


 中原は困惑の色を浮かべた。

 また別のテーブル席から集団が近づいてきた。同じように私達の横に佇む。

 男四人、女五人が黙ったまま中原を睨みつけている。皆、タイプの違う人間だった。ヤンキーっぽい子、地雷系ファッションに身を包んだ成人女性、眼鏡を掛けたインテリっぽい大学生、土方仕事からそのまま来たような男性。彼ら彼女らは、皆一様に、敵意を剥き出しにしていた。


「私のファン達よ」

「は?」


 中原の顔に動揺が走った。そこでようやく自分の陥っている状況を把握したらしい。ペースに呑まれるものかと、また余裕の表情を浮かべた。


「これってルール違反じゃないですか? っていうか、何をするつもりですか? 怖いんですけど……。あ、そこのお姉さん」


 店員さん、と声を掛ける。

 ウィトレスが近づいて来た。さきほど私に見惚れていた人だ。


「警察を呼んでほしいんですよ。なんだか、囲まれちゃっているみたいで」


 店員は動かなかった。ただじっと中原を見つめている。心底軽蔑するような表情を浮かべていた。

 そこでようやく、事態の異様さに気づいたらしい。顔全体が強張り始めた。


「昨日、あなたから連絡があった後のことよ」


 私は淡々と言った。中原が唖然とした顔をこちらに向ける。


「百人以上が利用している私のファンコミュニティサイトを運営している人にメールをしたの。そこで事情を説明したわ。そうしたら、会員限定のチャットに案内してもらえた。そこの人達、皆いい人で、私の話を親身になって聞いてくれたわ。協力できる人は協力すると言ってくれた」


 また別のテーブル席から複数人が立ち上がる。さくら、千代田、もみじの顔があった。いつの日か、聞き込みに協力してくれた二人組もいる。


「私のファンだけじゃない。美沙の友達もいるわ」


 店内にいた五十人ほどの人間が全員立ち上がる。


「なにこれ……」


 中原は、信じがたいものを見るような顔で呻いた。

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