第50話
「あなたの言う通りよ。私はこの美貌で、たくさんの恩恵を受けてきた。まさにこれもその一つね。私レベルの美人じゃなきゃ、こんなことはできなかったでしょうから」
中原が戦慄を顔に貼り付けながら私を見つめた。喉から声を絞り出すようにして言う。
「昨日の今日ですよ。こんな人数を集めて店を貸し切るなんて……」
「別に貸し切ってないわ。ただ、私のファンと美沙の友達が満席にしているだけ。そこの店員さんはたまたま昔からのファンだったみたいだけど」
ウェイトレスに目を向ける。頬を朱色に染めて微笑んでいた。
「……こんなのおかしい」
現実を受け入れられないのか首を振っている。
「ファイトクラブじゃないんだから……。ありえない、狂ってる」
「私のファン達が狂っていると言いたいの?」
体育会系っぽい男の子が拳を鳴らした。中原は顔を青くした。いえ、と小声で呟く。
「そういえば、あなた、東高校に通っているみたいね」
「えっ……」
窓際の席を指差す。中原はそちらに目を向け、みるみる顔を歪めていった。
「あなたの高校の同級生と先輩達よ。彼女達からあなたのことはいろいろと教えてもらっているわ」
「……」
「代わりに私も、あなたがしてきたことを伝えている。きっと、たくさんの級友たちが知ることになるでしょうね」
キッと睨みつけてくる。
「……こんなの卑怯じゃないですか。数の暴力で脅すなんて……」
「先に脅してきたのはあなたよ」
「恥ずかしくないんですか! 自分の信者を使って!」
「使えるものはすべて使って勝負することにしたのよ。自分の持てる武器で戦うのは当然でしょ」
私は中原に顔を寄せた。怯えを見せる彼女の耳元で囁く。
「美沙を傷つけたらあなたを殺すと言ったわね」
「……」
「でも、必ずしも私が手を下すとは言っていない」
顔を離していく。
中原は忙しなく視線を彷徨わせていた。私のために集まった数十人。その中には、狂信的と呼べる人間が含まれているかもしれない。彼女はきっと、それを危惧しているのだ。最悪の妄想が頭の中で膨らんでいるに違いない。
中原は視線を私に固定させた。親の仇を見るような表情を浮かべている。
「あなたは他人が怖いのね」
同情するように言った。
「だから人を裏切る。人は人をいずれ裏切るものだと思い込んでいるから、常に先手を打って、相手を裏切っていないと安心できないのよ。あなた、臆病者ね」
中原の表情からすべての余裕が消えた。眉を吊り上げ、肩を震わせている。
その時だった。
けたたましい電子音が鳴り響いた。
中原のスマホが鳴っているようだ。
顔に色が戻っていく。彼女は呼吸を整えるようにしてから、こちらに挑むような目を向けてきた。不敵な笑みを浮かべてから言う。
「どうやら私の勝ちみたいですね」
ざわ、と空気が震えた。
「どういうこと?」
私が訊くと、中原は勿体ぶった態度で口を動かした。
「甘いですね、渋谷先輩。一手及ばずと言ったところですか。私の勝ちです」
「どういうことよ」
強い口調で訊くと、中原は肩を竦めて言った。
「実は、もう一枚、カードを残していたんですよ」
手の内を簡単に明かすわけないでしょ、と嘲笑う。
「ここに来る前、美沙とやりとりをしていたんですよ」
嫌な感覚が昇ってくる。私は中原を睨みつけた。
「そこで渋谷先輩の秘密を握ったことを伝えました」
くすくすと笑う。私の顔を覗き込みながら続けた。
「そうしたら美沙、どういう反応を取ったと思いますか? 先輩を傷つけないでって私に懇願してきたんですよ。可哀想でしたね。だから交換条件を持ちかけました」
ファンの一人が、テーブルを叩いた。私はそれを制してから、何を言ったの、と訊いた。
「美沙に男を紹介してあげたんですよ。今頃、静かな場所に移動しているんじゃないかなぁ……。さっきの音は、男が美沙と会ったことを知らせる合図です」
唾を呑み込む。動揺していることを悟られたくなかった。しかし、中原は目敏く、すぐに気づいたようで、楽しそうに笑った。嗜虐心をあらわにする。
「ここから出て無事に家に帰れたら、美沙の居場所を教えてあげてもいいですよ」
さくらが「美沙っち、美沙っち……」と呟きながらスマホを操作しいてる。連絡を取ろうとしているのだ。
「無駄ですよ。男性と会っている最中は、スマホを切っておくように言っておきましたからね」
「録音されているのよ。ここにいる全員が証人」
「わかってますよ。馬鹿じゃないんだから」
心底軽蔑するような声で言う。
「東京での生活は終わりです。たくさんの人を敵に回したっぽいですからね。まさか、渋谷先輩がここまでの人気者だとは知りませんでしたよ。完全に予想外でした。おまけに自分の弱さを全て曝け出せるような強さを持っているとは……。御見それしました」
「御託はいいわ。美沙の居場所を教えて」
「頼み方ってものがあると思うんですよねー」
ふんぞり返りながら言う。死なばもろとも、と顔に書いてあるようだった。
中原はまだゲームを楽しむつもりでいるようだ。
「渋谷先輩、土下座してくださいよ。今、ここで。そうしたら、私が家についてから、美沙の居場所を教えてあげます」
怒号が響く。話を聞いていた連中も我慢の限界を迎えたのだろう。今にも殴りかかりそう子もいた。
「どう思われてもいいですよ。私は、二人が傷つくところを見れればもうそれでいいんです。多くは望みません」
「……土下座だけでいいのね?」
私は椅子から立ち上がった。周囲の人間が目を白黒させている。
美沙の傷を最小限で済ませることができるなら、土下座なんて安いものだ。
膝を曲げていく。中原が鼻の穴を広げた。興奮しているのだ。
床に膝がついた瞬間だった。
「せんぱい!」
聞き慣れた声が聞こえた。
入口の方に顔を向け、目を見開く。
ぱっちりとした瞳、手入れの行き届いたサイドテール、可愛らしい小顔。
上野美沙が入口に立っていた。すぐ背後には沢村もいる。
「ひ、姫子さま! 約束は守りました!」
上擦った声が店内に響く。
美沙を助けてほしい。そうお願いしていたことを思い出す。
私は安堵のあまり、その場に崩れ落ちそうになった。しかし、それより先に、中原に顔を向けた。
悪夢を見ているような虚ろな表情で呆然としている。やがて顔を真っ赤にすると、手元のコップを持ち上げ、床に叩きつけた。ぱりん、と音がする。
「クソ! なんで、なんでだ! クソがぁ……!」
歪めた表情で声を絞り出してから、肩を落とす。何も言わなくなった。
終わりだ。
私は立ち上がり、中原に告げた。
「私は、あなたに土下座なんて要求しないわ」
「……っ」
項垂れ、何も言い返してこない。しかし、握られた拳が小刻みに震えていた。耳が真っ赤になっているのが見て取れる。
「写真だけデリートしてくれればそれでいい。そのために、これからあなたの家に何人かがお邪魔すると思う。それが終わったら、あなたとの縁は完全に切れるわ」
中原が顔を上げる。色をなくしていた。瞳を覗き込むと、怯えの感情が見えた。黒目の部分が激しく揺れている。
「安心して。私はあなたのことをどうでもいいと思っているから。その辺に落ちている生ごみみたいなものよ。踏んだりしたら不快だけど、それだけのことでしかない。すぐに忘れるわ」
ただし、と付け加える。
「またあなたが私たちの前に現れたら――」
周囲に視線を向ける。皆、頼もしい反応を返してくれた。中には、「姫子さまのためなら牢に入る覚悟もありますわぁ!」と上ずった声で言う女もいた。目が本気だ。
中原は視線を彷徨わせ、ブルブルと震えた。自分の体を抱くようにしている。
「あ、あの……」
目の端に涙を溜め、媚びたような笑みを浮かべた。
「何?」
「あ、安心してほしいです……」
美沙の方を向き、恥ずかしそうに顔を伏せる。囁くような声で続けた。
「もう二度と顔を見せないっすから……。だから、勘弁してほしいっす……」
そこにはさきほどまでの、人をコントロールすることに愉悦を覚えている勝気な少女はいなかった。ただただ、目の前の恥ずかしくて恐ろしいことから逃避したいと考えている、弱くてみじめで、ちっぽけな存在が怯えながら座っているだけだった。
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