第51話

 公園には家族連れやカップルが大量にいた。抜けるような青空を見上げ、目を細める。太陽が燦々と輝いていた。

 二人で公園のベンチに腰掛ける。

 初デートの時に座ったベンチだと遅れて気付いた。ここで私と美沙は言葉をぶつけ合い、傷つけあった。一ヶ月くらい前のことなのに遠い過去のように思えるから不思議だ。


「ここ、懐かしいですね……」


 美沙が遠い目をして言う。私と同じような感慨にふけっているのだろう。

 しばらくそうしてから、美沙が口を開いた。


「……沢村が現れた時は驚きました」


 微笑を浮かべる。


「中原の指示に従い待ち合わせ場所に行ったらおじさんに声を掛けられました。馴れ馴れしく下の名前で呼ばれて、ぞっとしましたよ。でも、指示には従わないといけないから我慢して話を合わせていたんです。そうしたら急に腕が伸びてきて……身を固くしていたら、沢村が横から現れて男に蹴りを放ったんです。唖然とするわたしの右手を握って『姫子さまが待ってる!』って引っ張られました」

「彼女には感謝してもしきれないわね」

「ですね」


 こちらを一瞥してから、小悪魔的な笑みを浮かべる。懐かしい表情だ。


「せんぱいの信者って敵に回すと厄介ですけど、味方にすると良くも悪くも頑固で過激だからいいですよね。やはり信者っていうのは教祖と似てくるものなんですかね」

「彼女は私のお願いが無くても美沙を助けていたと思うわ」


 美沙は、恥ずかしそうに頬を掻いた。そうですかね、と不安そうに呟く。


「今日、あの場にいたのは私のファンだけじゃなかった。そうでしょ?」

「はい……」


 さくら、千代田、もみじが来てくれた。他のクラスメイトも。


「私がしたことなんて人を募っただけよ。ほとんど何もしていないのと一緒。これまで美沙が積み上げていったものが彼女を退けたの」

「謙遜しないでくださいよ。せんぱいの力です」

「仮に私の力で達成されたことだったとしても、やはりそれはあなたの積み上げたものの一つと言えるわ」 

 

 怪訝そうな顔で見つめてくる。

 私は胸の中に空気を取り込んだ。それを吐き出すようにしながら言う。


「私は何があろうとあなたを助けたいと思った。なぜだかわかる?」

「なぜですか」

「それはあなたが、私との繋がりを保ち続けてくれたからよ。関係性があったからそう思えたの。あなたが積み上げてきたものの中に私との関係も含まれていた。そういうことよ」


 美沙は最初何を言われているのか理解できなかったらしい。首を傾げ、まじまじと見つめてきた。しかし、次第に内容が腑に落ちていったのだろう。顔を真っ赤にした。そっぽを向き、胸に手を当てながら喋る。


「……ぷにゅるりが好きなの、ファンの人やわたしの友達に知られちゃいましたね。大丈夫ですか?」


 話題を変えてきた。恥ずかしさに耐えられなかったのだろう。

 私は不敵に笑って答えた。


「ばれてよかったわ。これで堂々とできる。たくさん布教するつもりよ」

「メンタル強っ!」


 驚きの反応を見せる。それから苦笑して言った。


「でも、それでこそせんぱいって感じがしますね。転んでもただでは起きませんもんね」

「私は強いのよ」

「流石、ナル先輩」

「変なあだ名をつけないで」


 穏やかな空気が流れる。家族連れが目の前を通り過ぎて行った。

 私は改めて美沙を見つめた。言うべきことを口にする。


「告白の答えを、あなたは聞きたくないと言ったわね」


 この話題が出てくることは予期していたはずだ。しかし美沙は、呆気にとられた顔で口を閉ざした。深刻さを瞳に宿している。

 長い沈黙の後、美沙は口を開いた。 


「……そうですね。確かに言いました」


 顔を伏せて続ける。


「……正直、未だに答えは聞きたくないと思っています。わたし、せんぱいのことが好き過ぎるから、拒絶されてしまうことが怖いんですよ。不安で不安でたまらないんです。臆病でごめんなさい」

「謝らないでよ。それと、不安になる必要なんてない」


 美沙は顔を上げた。驚きを顔に貼り付けている。

 私はこれまでのすべての出来事を思い出していた。美沙との出会い、傷つけ合ってからの仲直り、肉体的接触、デートのやり直し、中原の出現、美沙の告白、中原の撃退。

 そこで経験してきたことが、今の私を形作っている。美沙との出会いが私を変えた。間違いなく、いい方向に。

 答えは最初から決まっていた。


「美沙、私はあなたのことが好きよ」


 美沙が硬直して、え、と呟く。信じられない現象を目の当たりにしているようだった。


「誰よりも、あなたを愛してるわ」


 世界から音が消失する。

 心臓の動きが早くなった。もう美沙しか見えない。美沙の息遣いや細かい動きしか認識できなくなった。


「あなたと関わってから、私の中に何かを欲する気持ちが芽生えた。でもそれが何なのか、何と名付けていいものなのか、そもそもどこにあるものなのか、何一つわからなかった。でも、今それが何かはっきりしたわ」


 私は微笑んで言った。


「あなたという存在そのものだったのよ。私が欲していたのは美沙、あなただったの」


 目に見えていて手を伸ばせば掴めるものだったのだ。でも私は、それを抽象的なものだと考え、現実から目を逸らし続けてきた。

 答えはシンプルだった。でも、シンプルだからこそ、見つけるのが難しかったのだ。

 美沙は目を見開いた状態で、はは、と笑った。


「これ、夢ですか?」

「現実よ」

「おかしいな……」


 美沙の右目から涙が出てくる。やがて左からも涙が溢れ、頬を伝った。


「嬉しいのに涙が止まりません」

「泣いている顔も素敵よ」

「ここでほしい台詞、そういうんじゃなかったんですけどね……」


 泣きながら苦笑している。

 美沙に近づき、抱きしめた。小さくて柔らかい。温もりが感じられる。ずっとこうしていたいと思った。


「スキンシップよ」

「許可、取らないんですね」

「もう必要ない気がしたから」


 美沙が「すみません」と顔を上げる。まだ少し涙を流している。だが、さきほどよりは落ち着きを取り戻しているようだった。


「わたしの方から一つ、お願いがあるんですけど……」


 何、と訊く。

 美沙は真剣な表情で言った。


「夢の中でされたことを、現実でもしてほしいんです」


 私は小首を傾げた。それから目を細めて口を動かす。


「あなた、夢の中の私に何をさせていたの……?」

「ちょ、引かないでくださいよ!」


 いつもの調子で言ってから、照れくさそうに話す。


「キス……なんですけど……」

 

 まじまじと後輩を見つめる。紅潮していた。

 美沙は慌てた様子で言った。


「あっ、ごめんなさい。流石に早かったですよね。調子に乗りました。そもそも、まだ付き合ってないですもんね。何を言ってるんだろう、わたし。あはは……。忘れてください」

「付き合いましょう」

「……あっ……」


 目を見開く。それから小声で、はい、と呟いた。

 なんて可愛い子なんだろう。改めてそう思う。

 私は美沙を見つめたまま、顔を近づけていった。


「せんぱい……」


 口を塞ぐ。

 美沙の温もりが唇から感じられた。

 心の中に温かいものが流れ込んでくる。私はそれを受け入れた。心の奥の、冷たい部分が溶けていくような感じがする。

 唇を離す。

 名残惜しさを覚え、溜息が出そうになった。美沙も同じ思いでいるらしい。物欲しそうな顔をしていた。


「美沙、今度は私からのお願いも聞いてくれる?」


 少し溜めを作ってから言った。


「もう一度キスしたいんだけど」


 美沙は目を潤ませたまま、柔らかく微笑んだ。


「もちろん、いいですよ。わたしもそれ、お願いしようとしていたところだったんで」

「それは奇遇ね」

「はい。奇遇ですね」


 再び美沙に顔を近づけ、口づけをする。今度は先ほどより長いキスだった。

 これまで経験したことのない幸福感に包まれる。



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