私と後輩の未来
第52話
渋谷さんって格好いいよね、と聞こえた。黒板を見つめたまま、耳に意識を集中させる。どうやら複数人で私の話をしているらしい。
「この間、大手芸能事務所からスカウトがあったって話だよ」
「え、本当ですか?」
「うん。スーツ姿の人が、渋谷さんに頭を下げて頼み込んでいるところに遭遇した子がいたの。渋谷さん、あっさり断ってたらしいけど」
「期末テストも学年一位なんでしょ?」
「頭もいいんですね」
「おまけにバスケ部の助っ人をした時、誰よりも点を稼いだって話です」
「美人で文武両道とか凄すぎ」
「影で努力もされているんでしょうね」
声が大きいので彼女達の会話は丸聞こえだった。教室中に響いている。
私は首を傾げ、なぜ彼女たちはこの場にいる人間の噂話を大声でしてしまうのだろうか、と考える。本人に筒抜けでいいのか。
しかし、悪い気はしなかった。鞄に荷物を詰め、立ち上がろうとした時だ。
「渋谷さんって、ああ見えてアニメも好きなんですよね」
私は動きを止め、再び耳をそばだてた。
「ぷにゅるりという作品でしたっけ?」
「今期やってるやつだよね」
少しの沈黙の後、声が続いた。
「可愛らしい絵柄の作品でしたよね。正直、渋谷さんのイメージと合わない気がします」
「確かに」
「イメージと違うね」
願望の押し付けには慣れている。
黙って腰を浮かす。そのまま立ち去ろうとしたところで、
「でも、ギャップがあっていいよね!」
肯定的な意見が聴こえてきた。
「あ、わかる。親しみやすさがうまれて前より話しかけやすくなったよね」
「この間、目を輝かせてマリンちゃんというキャラクターのよさを語っていましたよ。意外でした」
「可愛かったなぁ。ああいう一面もあるんだって、もっと好きになれた」
「わたしなんて熱意に負けて原作漫画を買ってしまいましたよ……。面白かったですが」
口角を持ち上げる。
彼女達に声を掛け、再びマリンちゃんのよさを語りたくなった。
しかし、それはできない。後輩と待ち合わせをしているからだ。急がなければ。
別れの挨拶を交わしてから廊下に出る。階段の方に向かおうとしたところで足が止まった。
意外な組み合わせが視界に入ったからだ。
さくらが私に気づき、「あ、渋谷先輩だ〜!」と柔和な笑みを浮かべる。千代田、もみじ、沢村もこちらを見た。
四人に近づいて声を掛ける。
「どうしたの? 三年に何か用かしら?」
「姫子さま、今日もお美しくて素敵です!」
一早く反応してくれたのは沢村だ。頬を朱色に染め、目をきらきらさせている。相変わらず私のことが好きで好きで堪らないらしい。返答をもらえなかったが、ありがとう、と苦笑しながら答えておく。
千代田が何事もなかったような顔で口を開いた。
「さくらが三年の先輩に告白するそうなんです。だから見守りに来ました」
えへへ、とさくらが微笑む。
なるほど、そういうことか。しかし、もみじと沢村まで同行している理由は謎のままだ。
私の疑問に答えるように、さくらが唇を動かした。
「告白する相手がサワムーのお姉ちゃんなんですよ~。だから呼び出してもらおうと思って~」
サワムーとは何だ、と考え、沢村のあだ名か、と遅れて気づく。
名前を出された張本人は、露骨にイヤそうな顔を浮かべた。彼女の長かった前髪は、今では短く切り揃えられている。
「お姉ちゃんを紹介するの、普通に嫌なんだけど……」
「え~、別にいいじゃん! さくら、これからサワムーの家族になるんだよ? もっと仲良くしようよ!」
「なんで結婚前提なの……?」
「お姉ちゃんはつれないなぁ~。妹ともっと仲良くしてよ~」
「しかも私が姉なのね……。っていうか顔を近づけないで! きしょい!」
「スキンシップだよー」
「姫子さまの前で純潔を奪われるのはイヤー!」
同じクラスになり、多少は仲良くなれたらしい。教室で暴れた時のような剣のある雰囲気はなくなっていた。
「わたしは興味本位でついて来ているだけです」
二人のじゃれ合いを眺めながら、もみじが真顔で言った。怪我はすでに完治しているらしいが、ピンクの眼帯をつけている。ファッションとして取り入れることにしたらしい。
「渋谷先輩はこれから美沙と会われるんですよね」
もみじがこちらに顔を向け、小首を傾げながら訊いてくる。
「そうね」
「今日の美沙、いつもよりもハイテンションでしたよ」
「ハイテンション……?」
「鼻歌をうたいながらスキップしてました」
それはかなり浮かれているな……。
「毎日を楽しめていそうです」
頬を緩めて言った。
この場にいる四人のおかげで、美沙の悪評は払拭された。感謝してもしきれない。
ビラを晒した内通者は、中原が口を割ったことで判明している。しかし、美沙はその子を糾弾しなかった。同じように弱みを握られていたからだ。美沙はその子を許し、心の傷に寄り添った。今では友達関係を築いている。
すべてが元通りというわけにはいかない。でも、私達は穏やかな日常を取り戻しつつあった。
私は四人に別れを告げ、足を動かした。窓の外に目を向けると、桜の木が視界に入った。ピンクの花びらが風に流され、窓の隙間から中に入り込んでくる。私はそれを掴み、少しだけ逡巡してから、ポケットの中に入れた。
階段踊り場に到着すると、恋人が先に立って待っていた。
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