最終話
「美沙」
名前を呼ぶとこちらに顔を向け、ぱぁっと表情を輝かせた。
髪型はサイドテールで以前と同じだが、数ヶ月前と比べて髪の長さは短くなっている。身長は少しだけ伸びていた。
一年の頃と変わらない部分もある。制服を着崩していてスカートの丈は短かった。相変わらずギャルっぽい。仲良くなれないタイプだと決めつけていたが、そうならなかったことが嬉しくてたまらなくなる。
「せんぱい、待ちくたびましたよ~」
頬を膨らませながら文句を言ってくる。
「なんで遅かったんですか?」
「もみじと会ってたのよ」
正直にそう告げると美沙は動きを止め、目を見開いた。えっ、と呟き、眉を顰める。
「な、なんでもみじと……? え、浮気? わたし浮気されちゃってる? やば……」
睨みつけてくる。
「浮気かこのやろう」
「なんでそうなるのよ……」
もちろん冗談で言っているのだろうが、美沙は不安になりやすいタイプだ。すぐに否定してやらないと、後からたくさん愚痴を聞かされることになるだろう。基本的にこの後輩は面倒くさいのだ。
そういうところが可愛いのだけど。
「もみじと二人きりで会ったわけじゃないわ。さくらさん、千代田さん、沢村さんも一緒だった」
「ああ……。さくらがまた、恋をしたって件ですか」
「あの子、恋してばかりよね」
「今年に入って五人目ですよ。もみじと違って複数同時攻略みたいなことをしないだけマシですが」
「もみじは最近、一人の男性とだけ付き合っているそうよ。試しにそうしているみたい」
私をまじまじと見つめてくる。それから、へー、ふーん、と冷めた顔で呟いた。
「何よその目は」
「いえ、別に。もみじの話になると、妙に詳しい情報が出てくるなぁと感心していたんですよ。偏りのある情報通ですね」
「嫉妬しないでよ」
「し、してません!」
顔を真っ赤にする。
私は美沙に詰め寄り、頬を撫でた。んっ、と色っぽい声が漏れる。
「私が好きなのは美沙だけよ。だから安心して」
「……マリンちゃんのことも好きですよね?」
「種類が違うでしょ」
ですね、と苦笑する。私に頬を撫でられながら続けた。
「マリンちゃんに興味をなくした姫子せんぱいなんて想像つかないです。好きなままでいてくださいね」
「あなたに言われなくても、私のマリンちゃん愛は不滅よ」
瞳を覗き込みながら続ける。
「もちろん、あなたのこともずっと好きなままでい続けるわ」
「……恥ずかしい台詞ですね」
「言わないでほしい?」
「いえ、もっと言ってほしいです」
「ずっと好きよ」
一年生の集団が、こちらを見て騒いでいる。ちょっと目立ちすぎたかもしれない。そちらに視線を向け、あ、と声が漏れそうになった。見知った顔があったからだ。
杏子だった。
今年の春から妹もこの高校に通っている。一年生代表に選ばれ、朝礼でスピーチを行っていた。
そういえば、杏子と学校で直接顔を合わせるのは初めてか。
杏子は私と視線を交差させ、真顔を崩した。頬を緩めて口を動かす。この距離からでは何を言っているのか聞こえなかった。ひょっとしたら口を動かしているだけで声なんて発していないのかもしれない。
おめでとう――そう言っていることだけは伝わった。
なぜわかったか?
それは、姉妹だからとしか答えようがない。姉妹とはそういうものなのだ。
▼
二人でいつもの空き教室に移動する。カーテンが締め切られているので薄暗い。カーテンを開け、椅子に腰掛ける。
ここに来ると、初めて本音をぶつけ合った日のことが思い出される。あそこで私が美沙を引き留めていなかったら、今のような関係性は構築されなかっただろう。それを思うと、恐ろしい気持ちになった。今となっては、美沙との繋がりのない日々なんて想像もつかない。
美沙は楽しそうにクラスで起きたことを話した。知らない生徒の名前が出てくる。昔の私であれば、一切興味を持てなかっただろう。相槌すら打たなかったかもしれない。
話が一区切りついたところで、美沙は自分の膝の上に鞄を置いた。
「実はせんぱいに渡したいものがあるですよ」
「借金の連帯保証書?」
「せんぱいのそういうボケ、わたしは好きですよ。でもタイミングは考えましょうね」
怒られてしまった。
美沙は咳ばらいをしてから言った。
「はやてマンの絵です」
「は?」
顔が強張る。
「ちょ、ちょっと待って。どういうこと? 私、まだ要望を出してなかったわよね」
ジトッとした目で睨まれる。
「せんぱい、絵を描かせる約束を交わしてから七ヶ月以上経ってるんですよ? 流石に優柔不断すぎです。怠すぎます」
「だ、だって……マリンちゃんの可愛さを最大限に活かせる組み合わせを探そうと思ったら時間がいくらあっても足りないんだもの。定番のバニーガール上目遣いも捨てがたいし、あえて園児の恰好をさせるという背徳感を狙うのも捨てがたかった。可能性は無限にあったのよ。というか今あげたものだって、すでに他の絵師に描かれている。だから私だけのマリンちゃんではないような気がするのよね。さらに言うとはやてマンの画風も考慮すべきだし、マリンちゃんの性格も――」
「ストップです!」
強制的に止められてしまった。
まだ全然話し足りていないのに……。
不満をありありと浮かべながら後輩を睨みつける。そんな目をしても無駄ですよ、と一刀両断されてしまった。
「せんぱいを待っていたら死ぬまで絵を渡せそうになかったので、わたしがシチュを決めて姉に描かせました。あ、感謝の言葉は不要ですからね。お気持ちだけで結構ですから」
「横暴、かかあ天下……」
ぼそっと呟く。
「何ですか? よく聞こえなかったのではっきり言ってください」
「……な、なんでもないわ」
睨まれ、声が掠れる。
この状態になった美沙を止めるのは不可能だった。経験上わかっている。妻が選んだインテリアに文句をつけられない世の旦那たちの気持ちが痛いほどわかった。
「判断するのは見てからでも遅くないですよね?」
美沙が強気な姿勢で言い、私は不満を抑え込んで了承した。正直、あまり期待は持てない。だが、喜んだふりだけはしておこうと心に決める。
美沙は鞄を漁った。なかなか見つけられず手間取っているようだった。忘れてきたのではないか。そんなことを考えていると、美沙の顔色が変わった。満面の笑みを浮かべて色紙を取り出す。
じゃじゃーん、とこちらに絵を向けてきた。
「あっ……」
私は息を呑んだ。まじまじと絵を見つめる。それから美沙に視線を移した。悪戯に成功した子供のような表情を浮かべている。
「あなた、これ……」
「最高の絵でしょ?」
「……そ、うね……」
声が震えた。
「最高の、絵だわ……」
目から涙が溢れそうになる。それを堪えるため、ぐっと表情に力を入れ、絵を見つめ続けた。美沙はそれを、微笑ましそうに眺めている。
場所は見覚えのある同人誌即売会。マリンちゃんがメイデンに同人誌を手渡しているというシチュエーションだった。
私達にとっての始まりの場所。
私達にしかわからない、始まりの場面だった。
私は、私自身のことがとても好きだ。容姿が優れているからというのもある。しかし何より、私は私がこれまで積み重ねてきたものを、すべて肯定したいと思うから、自分を好きでい続けようと考えているのだ。それは方針なんていうふわっとした言葉で片づけられるものではなかった。魂の在り方の問題だった。
しかしいずれ、自分を嫌いになってしまう時が訪れるかもしれない。理由は想像もつかないが、人生にはいろいろなハプニングがつきものだ。外圧に負け、自己嫌悪の沼に嵌り込み、もがき苦しんでなかなか抜け出せず、生き地獄を味わうなんてことが、私にも起こりうるかもしれない。
でも、私はきっと乗り越えられる。仮にそうなっても、また復活できるだろう。
この絵さえあれば、また自分を愛せるはずだ。そう確信できた。
そして……。
「美沙」
かつて嫌いだった後輩の名前を呼ぶ。
「大好きよ!」
この感情を、私は絶対に、何があろうと否定しない。
してやるものかと胸に誓う。
これからもまた、私は、私の好きなものを肯定しながら生きていくだろう。私はそういう生き方しか知らないから――。
でも、それでいい。
精一杯、胸を張れる人生を送っていくつもりだ。
最高に愛しい、この後輩と共に。
クールな私の嫌いな後輩 円藤飛鳥 @endou0
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