第45話


 中原と通話してから三日が経った。ビラの件は未だ風化していない。それだけインパクトが大きかったということだろう。

 美沙と関りのある生徒達は、彼女を信じているようだが、そうでない生徒からは、たまに冷たい視線を向けられることもあるという。ビラに書かれていた内容を真に受けている生徒も多いのだ。


 最初は気丈に振舞っていた美沙も、次第に元気をなくしていった。さくら、千代田、その他クラスメイト達がサポートしているようだが限界はある。中原にまだ写真を握られているというのも、心理的負荷に繋がっているに違いない。


 放課後、美沙のところに足を運ぼうと廊下を歩いていたら、違うクラスの生徒六人に声を掛けられた。


「渋谷さん、ちょっと話したいことがあるんだけど」


 私は足を止めずに言った。


「用があるの」

「用って、上野美沙さんと会うこと?」


 足を止め、一人一人に視線をぶつけた。彼女達は一瞬、怯えを滲ませたが、そのうちの一人が険しい表情で言った。


「上野さんと関わるのはやめた方がいいのではありませんか?」


 じっと女を見つめる。興奮しているのか、頬を上気させていた。もはや何も言う気にはなれなかった。

 私が黙っているのを見て、何か都合のいい勘違いをしたらしい。生徒達が勢いづいて口を動かす。


「地元の田舎で援助交際をしていたと聞きました。非行少女として有名だったとか」

「ビラに書かれていたことは事実ですよ。写真という証拠もありますからね」

「そもそも、渋谷さんに近づいた方法も強引だった」

「あまり品のある行いではありませんでしたからね。あと、あの方、裕福な家庭で育っていないらしいです。だから援助交際でお金を稼いでいたとか……」


 リーダー格らしき女子が一歩足を踏み出す。大真面目な顔で口を開いた。


「渋谷さんは優しいからああいう人と接点を持ち続けなきゃいけないと思っているのかもしれない。でも、時には、突き放すことも必要なんじゃないかな。少なくとも、今の状況を招いたのは上野さん本人なんだから。これ以上関わってしまうと、渋谷さん、あなたの品位まで損なわれるよ」


 品位か。

 私は微笑み、なるほど、と呟いた。


「いいことを言うわね」


 リーダー各の女子が頬を緩める。気持ちが伝わったと思ったのだろう。

 私は、すっと表情を消して言った。


「あなた達に言いたいことは一つだけ。今すぐ消えて、もう二度と私の視界に入ってこないで」

「えっ……」


 ぐにゃりと顔を歪ませる。背後にいる女子達も、え、と目を見開いていた。言葉を正しく理解できなかったらしい。迷子の子供のような顔を浮かべていた。


「……あの、ごめん。わたし達は渋谷さんを想って言っているんだよ。確かにショックだったかもしれない。でも、もう少し冷静になった方がいいんじゃ、と忠告しているんだよ」

「私もあなた達のことを想って言っているのよ。時には冷たく突き放すことも必要、と言ったのはあなただったわね」

「何か誤解されている気がします。一度、落ち着かれた方が」

「落ち着いているわ。だから言っているの。今すぐ消えて。あなた達と話していると虫唾が走るのよ」


 一連のやりとりを聞いていた周囲の生徒達も、息を呑んでいる。

 どうでもよかった。こんな連中に好かれて気持ちよくなっていた当時の自分が恥ずかしくて仕方ない。

 再び足を動かした。背後から「わたし達は渋谷さんのことが好きなんだよ! だから忠告してる! わかってよ!」と嗚咽交じりの声が聞こえた。心底どうでもよかった。

 一度、トイレに立ち寄り、冷静さを取り戻してから階段踊り場で美沙と合流する。青ざめた顔をしていた。


「どうしたのよ」

「同じ学年の人達と、喧嘩したんですか……?」

「なんのこと?」

「SNSに動画がアップされていました」


 舌打ちが出る。撮られていたらしい。


「わたしのせいですよね」

「それは違うわ」

「せんぱい、人目を気にするタイプなのに……」

「あんな連中にどう思われても気にならないわ」


 美沙は誰もいない虚空を睨みつけた。肩を震わせながら言う。


「もう嫌なんですよ!」


 壁に背中をつけたまま、ずるずると床に腰を落としていった。そのまま体操座りをして顔を伏せる。

 私は美沙の隣に腰掛けた。


「自分だけだったらまだ我慢できてた気がします。昔はそうでしたから。でも今は、わたしの周囲の人達まで攻撃されている。さくらや千代田も援助交際しているんじゃないかって噂されていました」


 顔を上げる。目を赤くしていた。


「せんぱいに傷ついてほしくありません。だからもう……もう……」


 その先を言わせるわけにはいかなかった。


「スキンシップよ」

「え?」

「今日の分がまだ終わっていない」


 私は力強い声で言った。


「抱きしめてあげる。だからもっと顔を寄せなさい」

「せんぱい……」


 座ったまま抱きよせる。美沙は私の胸に顔を埋め、声を殺して泣いた。階段踊り場を通る生徒達がこちらを見て、ぎょっとした顔を浮かべた。足早に立ち去っていく。

 どう思われても構わなかった。

 頭を撫でながら、美沙が落ち着くのを辛抱強く待った。

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