第44話


 数十秒の呼び出し音の後、通話に出た。


「姫子よ」


 そう名乗ると、向こうから「へえ」と興味深そうな声が聞こえた。どうやら騒がしいところにいるようで、激しいBGMの音が聴こえる。ちょっと移動しますね、と中原は言った。しばらくしてから、


「はい、いいですよ。ご用件は何でしょう」

「ビラの件よ」


 え? ビラ? と不思議そうな声が聞こえる。

 私はあえて沈黙した。余計なことを言わせるためだ。

 しかし、中原はこちらの思惑には乗らず、「何ですか、ビラって?」と、あくまで知らぬ存ぜぬの姿勢を貫いた。


「あなたなら知っているでしょ」

「知りませんけど。えっと、急になんなんですか?」


 美沙が眉を顰める。本当は何か、中原に言いたいことがあるのだろう。気持ちはわかる。


「あの、すみません。よくわからないので切ってもいいですか。今、友達とクラブに来てるんですよ」


 これ以上の回りくどい手法は意味をなさないだろう。

 私はそう判断して、単刀直入に言った。


「美沙を誹謗中傷するビラが出てきたのよ。あなたの仕業ね」

「え? なんのことですか?」

「すでに調べはついている」


 畳みかけるように続けた。


「状況証拠、物的証拠が揃っている状態よ。いずれ、あなたのところに大人たちが事情を訊きにいくはずよ。しらばっくれていられるのは今の内だけ」

「……」

「今ここで嘘をつけばつくほど、さらに罪は重くなると自覚した方がいいわ。早めに自首すれば情状酌量の余地が生まれるでしょうけど、あなたみたいな人間には、罪を認めることなんてできないでしょうね」


 煽るように言うと、息を呑む音が聴こえた。

 不安に陥っているのかもしれない。

 もう一押しすれば、感情をあらわにするだろう。そして、真実を口にするはずだ。

 私が口を開き掛けた時、あはは、と声がした。

 美沙と顔を見合わせる。中原が笑っているのだ。


「なるほど。私から何か自白のようなものを引き出そうとしているんですね」


 バレている。

 私は舌打ちを漏らしそうになった。


「あなたがそう思いたい気持ちはわかるわ。でも、自白なんて不要よ。証拠はすでに掴んでいるんだから」


 中原はくすくすと笑った。


「まずいことをしましたね。これ、脅迫じゃないですか?」

「どこをどう聞けばそう聞こえるのかしらね」

「嘘で相手を貶め、自白を引き出そうとしている。立派な脅迫ですよ」

「あなたが潔白なら、私の言っていることは脅迫にならない」

「そうとは言い切れません。証拠を捏造されてしまった可能性があるわけですから。そもそも、真実だったとしても脅迫に違いありませんよ。ま、わたしはそんなビラのことなんて知りませんが」


 思わぬ方向から攻めてきた。

 おそらく私達が、こういう電話をすることを見越していたのだろう。


「そこに美沙もいますよね?」


 美沙が目を見開く。


「誹謗中傷されたなんて可哀想にね。辛かったよね。そうだ、今度、二人で食事をしない? たくさん悩みを聞くよ。キスした仲だもんね。懐かしいなぁ、放課後の教室だったよね。あの時の美沙、とても可愛かったなぁ。ぎゅっと目を閉じてさ、私のキスを心待ちにしているみたいな顔で、唇が触れた時」

「黙って」


 私は中原の言葉を止めた。美沙が手で胸を抑え、息を荒くしていたからだ。

 中原の吐息が聞こえる。


「一応言っておきますけど、今回の通話、私も録音させてもらっていますからね。渋谷先輩の嘘と脅迫もばっちり記録されています」

「脅迫なんてしていないわ」

「へえ。嘘の方は認めるんですね」

「そんなことは言っていないでしょ」


 中原は愉快そうに笑った。


「また通話しましょうね。渋谷先輩とのやりとり癖になりそうです」


 ではでは、と通話を切られる。

 重たい沈黙が部屋を覆った。

 美沙が溜息をこぼす。


「……裏目でしたね」


 認めたくはないが、美沙の言う通りかもしれない。

 あの女は、こちらの想像以上に厄介な存在なのかもしれない。

 


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