私が後輩のためにできること

第42話 


 週が明け、いつものように教室の扉を開くと、たくさんの視線が私にまとわりついた。まるで遭遇してはいけない人とばったり会った時のような微妙な空気が漂う。

 私は内心で首を傾げながら自分の席に腰掛けた。ひそひそと聞こえてくる囁き声を無視しながら手を動かす。淡々と荷物を机の中に入れていくと、ふいに土曜のことが思い出された。

 あの後、中原との会話内容を伝えたら、美沙は大きく目を見開き、「そんなことがあったんですね……」と神妙な顔をした。

 どうやら中原がそういう性格をしていたと知らなかったらしい。ショックを受けていた。


「わたしって、つくづく人を見る目がないですね……。付き合っていたのに何もわかっていませんでした……」


 肩を落として溜息をつく。私は美沙の小さな肩を撫でた。ルール違反ですよ、とは言われなかった。

 中原がこれから何か仕掛けてくる可能性は大いにある。警戒を怠らないようにしなければならない。


「あの、渋谷さん」


 クラスメイト数名が、私のすぐ横にやってきて声をあげた。皆、不安の色を顔に貼り付けている。

 何、と訊くと、安藤という子が口を開いた。


「例のことはお聞きになりましたか?」


 例のこと……?


「いえ、知らないわ」


 やはりという顔をする。全員で顔を見合わせていた。言いづらそうにしている。このまま傍にいられるのは迷惑なので、「何があったの?」と訊く。

 安藤は声を潜めて言った。


「上野美沙さんのことです」

「美沙?」


 どきりとする。嫌な予感を覚えた。

 しかし、訊かないわけにはいかない。続きを促すと、安藤は顔を引きつらせて言った。


「上野さんが援助交際しているってビラが一年教室の黒板に貼られていたみたいなんです」

「え……」


 思考が停止まる。言葉の意味を理解できなかった。


「ビラは先生たちが回収しています。上野さんは生徒指導室に呼ばれて聞き取り調査をされているみたいです」

「待って」


 呼吸を整えながら言う。


「なぜ呼び出されているの?」

「下着姿の写真がビラに貼りつけられていたというのが問題になっているみたいで……。合成でなければ、美沙さん本人で間違いないという話です」


 言葉を失う。 

 椅子から立ち上がった。いてもたってもいられなかった。


「あの……渋谷さん?」

「教えてくれてありがとう。行くわ」


 教室を飛び出して階段を降りていく。たくさんの視線が私にまとわりついた。皆、ビラのことを知っているのだろう。全身が不快感に包まれる。しかし、今一番辛いのは美沙のはずだ。

 一階の廊下まで行き、生徒指導室を視界に捉える。歩調を早めようとしたところで、扉が開いた。美沙が出てくる。こちらを見て泣きそうな表情を浮かべた。

 胸が潰れそうになる。

 美沙の前まで行き、足を止めた。

 見つめ合いながら言う。


「美沙……」


 言葉が止まってしまう。大丈夫? とは訊けなかった。

 美沙は青白い顔のまま微笑んだ。


「まさか、いきなりこういうことを仕掛けてくるとは思いませんでしたね。手が早すぎてびっくりです」

「中原の仕業だと教師には言った?」

「いえ、まだ言ってません」

「なぜ?」

「……下着の写真だけじゃなくて、裸の写真も所持されているので」


 頭痛がする。眩暈を覚えた。


「美沙、なぜそれを……」


 なぜそれをもっと早く言ってくれなかったのよ。そう責め立てようとして、私は口を噤んだ。そんなことをしても何の意味もないからだ。そもそも、中原が美沙のセクシーな写真を所持していることを、私は前から知っていたはずだ。なのに、こういう事態になるまで、まったく対策を立ててこなかった。


「……ごめんなさい」


 無力感に打ちひしがれながら言う。美沙の顔をまともに見れなかった。


「せんぱいが謝るなんて珍しいですね」

「……私のせいよ。中原を焚きつけたのは私だから……」

「せんぱいのせいじゃありません。あいつはたぶん、せんぱいがいなくても同じことをしていました。あのデパートで声を掛けたのも、たぶん計画的だったんですよ。わたしの進学先を知っている時点でおかしいわけですからね」

「彼女が学校に侵入してやったのかしら……」

「いえ、それはないんじゃないですか。ここはお嬢様学校で警備が厳重です。たぶん内通者の犯行ですよ。あれから一日でこれをやってのけたわけですから、前もって綿密な計画を立てていたのは間違いないでしょうね」


 冷静に言う。その冷静さが、何かの前兆のように感じられ、不安を覚えた。


「せんぱい、なに似合わない表情をしているんですか」

「自分がどういう顔をしているかわからない」

「泣きそうになってますよ」


 頬に触れてくる。美沙の温もりを感じて涙が出そうになった。


「せんぱいのこういう顔が見れたのは、不幸中の幸いでした。美人はどんな表情をしても様になりますね。可愛いです」

「なに馬鹿なことを言っているの?」

「安心してください。わたし、こういうのには慣れてますんで。もう経験済みですから」


 強がりを言って笑った。私の不安を和らげようとしていることが伝わり、また泣きそうになる。


「せんぱいにそんな顔をされたら、わたしまで悲しくなってしまいます。いつもみたいにふてぶてしく笑っていてください。それが一番、わたしにとっては嬉しいことですから」


 私は顔を背けてから息を吐き出した。

 確かに美沙の言う通りだ。こんなのは私らしくない。これでは中原の思うつぼだ。


「美沙」


 声を掛け、いつものクールな表情で言った。


「私はあなたと戦うわ。何があろうと絶対に負けない」


 美沙は安心しきった表情で頷いた。

 


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