第14話


 三時間目は体育だった。

 着替えてから体育館に足を運ぶと、二年生の集団と鉢合わせた。どうやら今日はコートを分け合って使うらしい。

 上級生の方に視線を向けると、姫子せんぱいが立っていた。髪をポニーテールにしている。うなじがちらちらと見え、いつも以上にセクシーに感じられた。他の生徒と絡まず、一人きりで佇んでいる。グループ活動の時以外は、周囲とあまり関わらないことにしているらしい。本人曰く、「面倒くさいから」とのこと。

 一年コートではバスケが行われ、二年コートではバレーが行われることになった。

 体育館の隅に座り、試合の始まりを眺める。すると、見知った顔が近づいてきた。


「あー、美沙っちがサボってる~」


 さくらが間の抜けた声を出しながら、よっこらしょー、と隣に腰掛けてくる。

 ウェーブの掛かった髪に、くりっとした目が特徴的なクラスメイトだ。ジャージの袖が長くて手が隠れている。そういえば、制服でもそうだったか。

 えへへ、と笑い掛けてくる。


「渋谷先輩、いるね~」

「うん、いるね」


 わざと素っ気なく答える。


「嬉しい? ね、嬉しい?」


 ぐいぐいと顔をよせてくるので、片手で彼女の頬を挟み、むにゅむにゅした。

 やーめーろーしー、とさくらが言う。


「ぼうりょく反対~」

「姫子せんぱいのことはもういいでしょ」


 一緒に授業をサボったことで、昨日さんざん質問攻めに遭ったのだ。あれはなかなかのしんどさだった。変な勘繰りをされたくなかったから、「ちょっと喧嘩して、そのあと仲直りしただけ」と真実を語ったのだが、それがまずかった。痴話喧嘩だったのか、とさらに話題を呼び、憶測を深めてしまった。

 わたしはこの数週間、姫子せんぱいと付き合っているような素振りを見せ続けた。そのくせ、周囲からどういう関係なのかと訊かれても、頑なに答えなかった。答えない方が、勝手に妄想してくれるだろうと期待したからだ。

 しかし、「姫子せんぱいの厚意に甘え、無理矢理くっついていただけでしょ」と思っていた生徒の方が多数派だったらしい。そういう生徒達も、昨日の一件で考えを改めたみたいだ。

 渋谷姫子と上野美沙はガチである。

 そういう噂が広まっていた。

 否定すべき話だった。なぜなら、真実とは程遠いから。

 しかし、正直なことを言うと、姫子せんぱいとそういう関係だと思われることは、少しだけ嬉しくもあるのだ。口が裂けてもそんなことは言えないが。

 気になるのは、姫子せんぱいの考えだった。どう思っているだろう。


「愚民の下衆の勘繰りなんて心底どうでもいいわ。くだらない」


 そう思っているのか、はたまた、


「迷惑ね。やっぱり関係はもう解消すべきかしら」


 そんなふうに考え、わたしのことを切り捨てるつもりかもしれない。

 わかりやすいようで、わかりづらい。

 わたしにとっての姫子せんぱいはそういう存在だった。


「隣いいかな?」


 クラスメイトの千代田が、隣に腰を落としてくる。さくらとは反対側に座り、わたしは挟まれる形になった。

 千代田はショート髪の、端正な顔立ちをしている女の子だった。中性的で、姫子せんぱいとはまた違ったタイプの美形である。


「さくら、また美沙を困らせてたでしょ」

「えー。冤罪なんですけど~」

「渋谷先輩との件は黙って見守る約束だったよね」

「ぶー。だって気になるんだもーん」


 さくらが膨れる。

 千代田は微笑んだ。


「美沙、話せるときに話くてくれたらいいから」

「千代田……」


 流石、一部生徒から「王子様みたい」と持てはやされているだけのことはある。優しくて惚れそうになった。


「さくらにも話していいからね! いつだって聞く準備はできてるから!」

「はいはい」


 普段からこの三人で行動を取ることが多かった。スクールカーストという言葉はあまり好きではないが、あえて使わせてもらうなら、三人共トップの位置にいた。だから、くっつくのは自然な成り行きだったのだ。


「隣、白熱してるね」


 千代田が隣のコートに顔を向ける。

 わたしもつられて見ると、ボールが浮いていた。運動部っぽい先輩が跳躍して、素早く腕を振り、ボールを叩いた。コートの隅に飛んでいく。

 あれは誰もとれないだろう。わたしはそう思った。

 しかし、その予想は外れた。

 姫子せんぱいがボールに追いつき、余裕の表情で拾い上げたのだ。

 対戦相手はそのボールを冷静に処理した。姫子せんぱいのコートに返る。

 レシーブ、トスが続き、姫子せんぱいが体を浮かした。羽のように、ふわりとした跳躍だった。思い切り腕を振ると、強烈なスパイクが繰り出された。

 ボールが床を抉る。誰一人、反応できなかった。

 歓声が上がった。一年コートからのどよめきが凄まじい。バスケの試合そっちのけで、皆、姫子せんぱいの活躍を見ていたらしい。


「凄いね……。モテる理由がわかるな」


 千代田が冷静に言う。


「格好いい~。あれで性格も控えめで優しいんでしょ~、完璧じゃ~ん。美沙っちが羨ましい~」

「だから恋人じゃないって……」

「え? 誰も恋人なんて言ってないんですけど?」

「……」


 罠だった。

 憮然と友達を睨みつける。ごめんて~、と謝るので許すことにしてから、姫子せんぱいの方に顔を向けた。

 そうだ、せんぱいは凄いのだ。美人で成績優秀、おまけに運動神経抜群だった。

 誇らしい気持ちになる。

 しかし同時に、もやっとした感情に支配されそうになった。

 ここで声援を送っている彼女達は、本当の姫子せんぱいのことを何一つ理解していないのだ。そのくせ、ガワの部分だけを見て絶賛している。

 わたしは――わたしだけは、中身を含めて姫子せんぱいのことを――。 


「誇らしいんじゃないの?」


 千代田がこちらを向いて言った。


「え? なにが?」

「尊敬する先輩なんでしょ?」


 わたしはふんと鼻を鳴らしてから言った。


「ま、姫子せんぱいならあれくらいできて当然だからね。わたし的には、もっと活躍してくれなきゃ困るって感じかなー」

「めっちゃ上から目線だ~!」


 さくらが、ふにゃふにゃと笑う。


「後方彼女面してんね~」


 か、彼女面……。さくらの言葉に、どきりとする。


「は、はぁ? 彼女面なんてしてないし。っていうかわたし、恋愛の話は嫌いだって言ってるじゃん。やめてよね」


「そうだよ、さくら。二人は単に仲の良い先輩後輩の関係なんだよ。そうでしょ?」


 千代田が微笑みを浮かべながら訊いてくる。幼い子供を見るような顔が少し気に入らないが、「もちろんそうだよ」と頷いておく。

 隣のコートに目を向ける。

 姫子せんぱいはクラスメイトに囲まれていた。表情からは何も読み取れない。

 ふいに視線が合った。

 やば……。

 気まずくなり、視線を逸らそうとした。しかし、それより早く、姫子せんぱいが行動を起こした。

 微笑みを浮かべ、ウィンクを飛ばしてきたのだ。


「……なっ」


 顔が熱くなり、心臓が高鳴った。

 姫子せんぱいは前を向き、何かを口にした。やがて試合が再開される。


「やっぱり彼女じゃん……」


 さくらがジトっとした目をこちらに向けてきた。



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