後輩との距離

第24話


「失礼します!」


 美沙が扉を閉めて出て行くのを、私は呆然と見送った。声を掛ける暇さえなかった。嵐が去った後のような静けさが部屋を包み込む。

 玄関の前に佇み、スマホを取り出した。SNSアプリを立ち上げ、美沙のアイコンをタップする。大丈夫? とメッセージを打ち込み、すぐにデリートした。いろいろと考えた結果、どうしたのよ、とだけ送信。ポケットに仕舞いながら口を開く。


「……何か私、まずいことした?」


 首を傾げ、腕を組んで考える。

 記憶を辿るが、何一つ思い当たることはなかった。

 今日の美沙は、いつになく挙動不審だった。体調が悪かったのかもしれない。しかし、あの帰り方は流石におかしいと感じる。明らかに逃げているように見えた。これでは何か、私が悪いことをしたみたいだ。

 自室に戻ろうと振り返ったら、杏子が立っていた。アイスキャンディーを咥えている。それをちゅぽんと抜くと、私に笑い掛けてきた。


「お姉ちゃんのぶんもあるよ。それから上野先輩のぶんも」

「美沙は帰ったわ」

「えっ、そうなの。残念……」

「何が残念なのよ」


 肩を落としながら言う。


「上野先輩と連絡先交換したかったんだよ。あーあ、ちいかなトーク、もっとしたかったなぁ。今度会った時、連絡先教えてもらおっと」

「駄目よ」

 

 切り捨てるように言うと、杏子は唇を尖らせた。


「え~、どうして~? というか、お姉ちゃんが決めることじゃないでしょ」

「美沙は私の後輩よ。あなたのものではないわ」

「お姉ちゃんのものでもないと思うけどね」


 ああ言えばこう言う。昔と変わらなかった。 

 改めて妹を観察する。

 すらっとした体に、ほどよく筋肉がついている。運動部でのしごきの賜物だろう。それに加え、整った目鼻立ちをしていた。

 姉妹そっくりね、と親戚に言われ、「似てないでしょ。どこに目をつけてるのよ」と内心で罵倒したことを思い出す。

 実際、私と妹はまったく似ていなかった。容姿もそうだが、性格は似ても似つかない。私は孤高を愛し、妹は友達を多く作りたがるタイプだった。人との付き合い方が根本的に正反対なのだ。

 以前、「友達なんて面倒なだけでしょ。なんで作ろうとするの?」と訊いたことがある。その時、たまたまテレビで「自慢のともだち」というコーナーがやっていたので、ふと気まぐれを起こして、私の方から声を掛けたのだ。すると杏子は、苦笑しながら答えた。


「お姉ちゃんは友達が必要ないからそんなことが言えるんだよ。友達がいなくても何とかなるのは、お姉ちゃんみたいな真の強者と、孤独耐性強めの人だけ。大抵の人は、面倒でも交友関係を作らなきゃ生きていけないんだよ」

「あなたも強者でしょ」


 珍しく褒めたのだが、杏子はその言葉を素直に受け取らなかった。


「わたしはお姉ちゃんみたいに強くないよ。人に見られてないとどこまでも自分を甘やかすタイプだし、孤独になると寂しくて泣きたくなる。だから、周囲から求められているうちは全力で期待に応えようと思ってるんだ。応えれば応えるほど、ハードルは上がっていくけど、友達も増えて人生が楽しくなっていく。少なくとも、わたしはそう感じてるね」

「生徒会長をやっている理由はそれ?」


 呆れて訊くと、杏子は「そうだね」と大真面目な顔で頷いた。がんばらなきゃ、とガッツポーズを取り、朝練のために出かけていった。

 意味不明だった。理屈が通っているようで、通っていないのではないかと思う。

 やはり妹とはわかりあえない、そんな確信を深めた会話だった。

 しかし、今なら少しだけ、ほんの少しだけ理解できた。

 美沙の期待に応えたいという気持ちが私の中でどんどん大きくなっている。こんなことは生まれて初めてだった。正直、戸惑っていないと言えば嘘になる。

 今日は美沙を、初めて家に呼んだ。とびきりのもてなしをしようと、少し肩に力が入っていたかもしれない。初めてのことで私も緊張していたのだ。しかし、ひょっとしたら私の言動で美沙が傷つき、外に飛び出していったという可能性も万に一つあるのではないかと思った。

 もしそうなら。

 視線を床に落として息を吐き出す。

 私は、どうすればいいのだろう……。

 まったくわからなかった。

 暗闇に取り残されたような気持ちになる。


「どうしたの?」


 杏子に呼びかけられ、はっと我に返る。慌てて顔を上げた。

 妹を見つめ、ふいに妙案を思いつく。

 そうか。美沙のことを相談できる相手がこの世に一人だけいた。

 私は空咳をした。それから、ゆっくりと口を開く。


「ちょっと、杏子に相談があるんだけど……」

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