第23話


 中庭のベンチに腰掛け、もみじと横並びになる。

 二人きりで話すのは久しぶりだった。

 もみじはカロリーメイトを口に運んだ。昼食はそれだけらしい。もごもごと咀嚼して呑み込んでから、こちらに顔を向ける。相変わらず読めない表情をしていた。


「渋谷先輩のこと?」


 そう訊かれ、黙って頷く。

 姫子せんぱいの話を、なぜもみじにしようとしているのか。自分でもわからなかった。

 もみじとは最悪の別れ方をしている。あの時のことは正直思い出したくもない。みっともない姿を見せてしまった。

 元恋人は前を向き、カロリーメイトを再び口に入れた。もごもごと顎を動かしている。

 もみじはわたしと別れたことを、それほど重大なこととして受け止めていないようだった。わたしにはそれが許せなかった。だから、姫子せんぱいと仲の良いところを見せつけていたのだ。しかし、もみじはそれでも、まったく揺さぶられた様子を見せなかった。

 もみじの中で、わたしとの関係はたくさん並行している関係の中の一つでしかなかったのだ。そのことに気づけたのは割と最近になってからだ。

 姫子せんぱいとの交流を経て、気づくことができた。

 もみじとはこれ以上、関わるべきではない。それが互いのためだ。

 そう思っているにもかかわらず、二人並んで中庭のベンチに腰掛けていた。


「驚いた」


 もみじは表情を動かさず言った。


「こんな素直な美沙を見るのは初めて。今日は雪が降るかも」


 わたしは眉を吊り上げ、不快であることを示した。


「はぁ? 美沙ちゃんはいつだって素直だから。知らなかったの?」

「うん、知らなかった。ごめん。美沙を誤解していたかもしれない」


 大真面目に返され、肩の力が抜ける。相変わらず捉えどころのないやつだ。


「昨日、姫子せんぱいの家に呼ばれたんだ」


 これ以上無駄話はできないと、本題に入る。掻い摘んで事情を説明した。

 女子達が笑いながら前を横切っていく。それを見送ってから、もみじが口を開いた。


「わたしには美沙が、何を悩んでいるのか理解できない」


 期待していた答えではなかった。

 相談する相手を間違えたな、と眉間に皺を刻みながら思う。

 何人もの男女と関係を持っているもみじなら、何か良いアドバイスをくれるかもしれないと期待していたのだ。完全な見込み違いだったらしい。

 腰を浮かし掛けたところで、


「でも美沙が、渋谷先輩との関係を誠実に考えていることだけはわかった」


 もみじが真っ直ぐな瞳を向けてくる。わたしはお尻をベンチに戻して、空を見上げた。青く澄み渡っている。


「……姫子せんぱいの距離感がおかしくて困ってるってことだよ」

「好きな人に引っ付かれて嬉しくないの?」

「嬉しいよ」


 はぁ、と溜息をつく。


「嬉しいから困ってるんだ」

「よくわからない」

「姫子せんぱいは、友達としての関係を望んでる。距離が近いのは、たぶんこれまで友達がいなかったから、距離感をはかり切れてないだけだと思う」


 あの人は「ぷにゅるり」で友達との接し方を学んでいる節がある。ぷにゅるりは百合漫画だから当然、友達同士の距離がデフォルトで近い。姫子せんぱいの距離感も近くなるわけだ。


「姫子せんぱいに距離を詰められれば詰められるほど、変な気分が高まっていくんだよ。このままだと、どう考えてもまずい」


 わたしは顔を伏せて言った。姫子せんぱいの気持ちを踏みにじる行為を、自分はしてしまっている。罪悪感に駆られていた。


「なにがまずいの?」


 もみじの淡々とした声が耳をかすめ、わたしは顔を上げた。


「友達を求めている姫子せんぱいを性的に見てるんだよ。ダメでしょ」

「わたしはそうは思わない」


 カロリーメイトの袋をポケットに仕舞いながら言う。


「美沙はこれまで二人の女性と付き合ってきている。渋谷先輩は、美沙の性的指向を知ったうえで一緒にいる。隠して付き合っているわけじゃない。隠して付き合っていても、わたしは別に構わないと思うけど」

「それは……」


 咄嗟に反論の言葉が浮かばなかった。


「友達に対してエロいと思ってしまうことは、別に悪いことじゃない。友達に嫉妬したり、劣等感を抱いたり、ムカついたり、見下したり――そういう感情を抱いてしまうことは誰にだってあることだと思う。美沙が、渋谷先輩に劣情を催してしまうのもそれと一緒。心の中でエロイな、と思っていても、誰も困らない。襲うのは流石にまずいけど」

「うん……」

「美沙は怖がってる」


 もみじの真っ直ぐな視線が、わたしを貫いた。


「もともとの性格か、過去のトラウマのせいなのか。美沙は自分の本心が他人に知られるのを恐れてしまいがち。渋谷先輩に知られ、拒絶されるのを怖がっているんだと思う。それが悩みの本質」

「……だね」


 認めざるを得なかった。わたしは姫子せんぱいから拒絶されるのを怖がっている。だから、自分の胸の内が暴かれる前に逃げようとしているのだ。

 わたしの内面は醜い。自分は素のままだと、人から愛されない人間だということを誰よりも自覚していた。だから、高校入学以降は人と接する際に陽気な人間を演じてきた。しかし、姫子せんぱいには既に過去のことを知られている。陰気で嘘つきな女だと暴かれている。だからまた、この気持ちも見抜かれてしまうのではないかと怯えているのだ。


「気持ちがバレたくないと美沙は思っている。でも、渋谷先輩がぐいぐい来る以上、気持ちを隠してはおけないかもしれない」

「そうだよ。まさしくそのことで悩んでる」

「解決方法はある」


 もみじの顔を見つめる。思わず手を取りたくなった。


「な、何! 教えて!」

「渋谷先輩にカミングアウトするの」

「……はぁ……」


 拍子抜けした。それができれば苦労はない。

 もみじはこちらの気持ちを察してか、説明を続けた。


「自分は女子に迫られると興奮してしまう。特に渋谷先輩みたいな美人からされるとよりそうなってしまう。その部分をカミングアウトする。で、渋谷先輩一人に向けている感情は伏せる。それで今後、付き合いやすくなる」


 なるほど、その手があったか。

 暗闇から抜け出す手がかりを得た気がする。

 しかし、本当にそれでいいんだろうか。結局は嘘をついていることに変わりはない。


「美沙は性格が悪い」


 いきなり悪口を言われ、「はぁ?」と目を三角にする。

 もみじは淡々と続けた。


「褒め言葉」

「そうは聞こえなかったんだけど……何? 喧嘩売られてる?」

「美沙のポジションは客観的に見て美味しい。あれほどの美人と仲良くなれたんだから。気持ちをこっそり隠して、友達関係をほどよく続けていったら、たくさん、いい思いができるかもしれない」

「いい思いって?」

「ラッキースケベとか」


 ラブコメ脳か……。

 しかし実際に膝枕はされている。あれは至福の時だった。毎日やられたら理性が崩壊しそうだけど、たまにだったら正直嬉しい。


「美沙はもっと、自分の性格の悪さを恋愛に活かすべき」

「性格悪いのはそっちでしょ……」


 もみじは珍しく、ふっと頬を緩めた。


「それはそう。実際、活かしてる」

「あんたを見習うのは癪だなぁ……」

「ひょっとしたら恋人として付き合えるかもしれない」

「それはないって。あの人が求めてるのは友達だから」

「今はそうかも。でも、人は変わるから」


 もみじはベンチから立ち上がった。


「好きだという感情を隠して、友達関係を続けながらたまのラッキースケベを楽しむ。そして、恋人になれそうな雰囲気になったら猛アタックする」

「それが結論?」


 うん、と頷いた。


「もちろん、これはわたしの理論。美沙が自分で考えた方がいいとは思う。でも、人の言うことを受け入れてみることも、時には重要。案外、するすると問題が解決されていくこともあるから」


 もみじはこちらを向き、「さよなら」と口にした。踵を返して校舎の方に向かっていく。わたしはその背中を目で追った。

 いてもたってもいられず、ベンチから立ち上がる。口を大きく開け、小さな背中に叫んだ。


「もみじ、ありがとう! 助かった!」


 こちらに背中を向けたまま、片手を上げ、ひらひらとする。

 もみじに対して抱いていた複雑な感情が、するすると紐解けていくのを感じた。

 ようやくわたしは、もみじとの関係を清算できたのだ。

 心からそう思えた。


 ▼


「ジュース買ってないじゃん! 帰ってくるの激おそだし!」


 その後、さくらから長時間の説教を受けたのは、また別のお話。

 


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