第25話
「えっ……相談……?」
杏子は大きく目を見開いた。突然、自分の部屋に原始人が入ってきたような顔をしている。
こちらがむすっとしていることに気づいたのか、慌てた様子で笑みを浮かべた。
「……た、体温計持ってこようか?」
眉を顰める。
「病気じゃないわ」
「なら、頭をぶつけたとか?」
「ぶつけてない。私が相談ってそんなに変?」
杏子は大真面目な顔で頷き、変だね、と声を硬くして言った。
「これまでの人生で、お姉ちゃんがわたしに相談してきたことなんて一度もなかった。だから驚いてる」
「一度くらいはあるでしょ」
「ないよ」
断言されてしまった。本当に初めてだったのだろう。
杏子は溶けかけのアイスを一気に平らげ、ふう、と息をついた。二人でリビングに足を運び、それぞれの定位置に腰掛ける。
さてどこから話そうかと、私は頭を悩ませた。意外と事態は錯綜している。悩みの本質を理解してもらうのは難しい気がした。
いろいろと考えた結果、最初から話すことに決めた。それが一番伝わりやすいと思ったからだ。
口を開き、美沙との関係――その始まりから現在に至るまでの流れを筋道立てて説明していく。ちなみに、ぷにゅるりのことは家族にも秘密にしてあるので上手いことぼかしながら説明した。
美沙の過去、美沙との衝突、美沙との仲直り、家での美沙の不自然な言動。そのすべてを話し終え、窓の外に目を向ける。すっかりと日は沈んでいた。私は息をつき、机の上に置かれていたチョコレートクッキーに手を飛ばして口の中に放り込んだ。舌の上で転がす。甘くて美味しかった。もっと食べたくなる。
杏子は頬を朱色に染め、まじまじと私の顔を見つめた。穴が空くほど、という慣用句はこういう時に使うのだろうと思った。
「なんというか、凄く驚いちゃった。お姉ちゃんからこういう相談をされるとは夢にも思ってなかったから」
「何が言いたいのかさっぱりわからない。もっとはっきり言いなさい」
「まず思ったのは、これわたしが聞いていい話だったのかな、駄目だったんじゃないかな、ってことだよ」
杏子は自分の頬を掻いた。目線を逸らして続ける。
「惚気話って友達のだと聞いてられるけど、家族のだとしんどいんだね。勉強になったよ」
「待ちなさい。今の話のどこに惚気要素があったっていうの?」
しらっとした目を向ける。
「初々しいカップルのすれ違いみたいな話に聞こえたからさ」
「あなたの認知が歪んでるからそう聞こえるのよ」
「そうかなぁ……。お姉ちゃんの方が歪んでる気はするけどね」
失礼なことを言いながらチョコレートクッキーに手を伸ばして口に入れる。もぐもぐと咀嚼を始めた。
話したことを少しだけ後悔しそうになる。しかし、すぐに首を振った。
今は杏子だけが頼りだ。
他に相談できる家族はいない。もちろん、友人知人もいなかった。
杏子はごほんと咳払いした。姿勢を正して真っ直ぐな視線を向けてくる。
「一つ、真面目な話をしておくね」
空気が変わった。
杏子は後輩指導をする部長みたいな表情を浮かべて言った。
「止めずに聞いちゃったわたしも悪いけど、上野先輩の過去を、本人のいないところで許可なしに話したのはあまりよくなかったと思う」
もちろん、と付け加えるように続けた。
「お姉ちゃんの気持ちはわかるよ。そこを話さないと、相談できなかったんだよね?」
私は鼻白んだ。悩みとはズレたところの指摘だったからだ。
普段の私なら「うるさい、何様なの? 説教なんて不要よ」と一蹴してこの場を去っていただろう。
しかし、それをしたら、いろいろな意味で終わってしまう気がした。
憎々しい気持ちを抑えつけながら反論する。
「口止めはされてないわ。だから問題ないでしょ。そこまで言われる筋合いないから。私が訊きたいのはそんなことじゃなくて――」
言葉が止まる。
じんわりと嫌な感覚がせり上がってきた。
途端に息苦しくなる。
いったい何なんだ……。初めての感覚だ。
得体のしれない毒が、全身を巡っていくのを感じた。
そうか、と遅れて気づく。
罪悪感だ。
美沙に対して私は罪悪感を抱いているのだ。
浅い呼吸を繰り返した。それから、眉間に皺を寄せて続けた。
「……過去の話、全部聞かなかったことにして。口を滑らせたわ」
「うん、そうする」
杏子は頷いた。難しいテストに合格した生徒を見るような顔をしていた。なんだか癪に障り、私はチョコレートクッキーの入った器をこちらに引き寄せ、二枚同時に口に運んだ。これで杏子のぶんはなくなった。
「食いしん坊だね。美容のために甘いものは控えてるんじゃなかったの?」
肩を落とす。
私の反抗心は、まったく妹に伝わっていないようだった。
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