第26話
「お姉ちゃんの相談内容って『遊びに来た後輩が逃げ帰ったんだけど、逃げ帰った理由がわからなくてモヤモヤしてる』ってことで合ってる?」
黙って頷いた。ここからが本題だと気合を入れ直す。
杏子は友達が多いので人の心の機微に詳しいはずだ。私が唯一相談できそうな相手でもある。だから恥を忍んで訊いているのだ。
「思ったことを率直に言うね。原因は両方にあるんじゃないかな」
「両方?」
私にもあるのか……。予想していたことだが釈然としない気持ちになる。
「まずはお姉ちゃん側の問題だけどさ――」
たっぷりと間を取ってからカッと目を見開く。
「距離感バグらせすぎだから!」
鋭い声で言われ、え、と首を傾げる。
「何のこと?」
「上野先輩との距離だよ! 近すぎだから! 急接近ってレベルじゃないから! もうほとんど追突事故みたいな感じになっちゃってる!」
「普通じゃない?」
「普通じゃないよ!」
大声で言われ、耳がキーンとした。
うるさいな……。
杏子は落ち着いた声音で続けた。
「仲直りする前とした後で距離感が違い過ぎるんだよ。上野先輩はそのことに戸惑ってるんじゃないかな」
「どうかしら……」
「お姉ちゃんの行動を振り返ってみようか」
胸の前で手を打ち鳴らす。
「体育の時間、皆の見ている前で上野先輩にウィンクした。これは事実?」
「事実よ」
「膝枕して耳を弄った。これも事実?」
「事実ね」
「耳の穴にその細い指を入れたことも?」
「事実」
「唇に触れたのも?」
「事実」
「しかも、ツーっとなぞった?」
「事実よ」
「セックスじゃん!」
「……」
「実質セックスだからねそれ! 無自覚セックスだよ!」
沈黙が生まれる。時計の針のカチカチという音だけが耳朶を揺らした。
何を言っているんだ、この妹は……。
馬鹿なのか?
杏子は顔を真っ赤にして続けた。
「後輩を連れ込んでエッチしてたなんて……。うぅ、想像して夜眠れないかも……。寝不足になったらお姉ちゃんのせいだからね」
「ただの膝枕でしょ。大袈裟な。友達同士なら普通よ」
「ついこの間まで友達ゼロだった人が、交友関係の常識を語っても信ぴょう性ゼロだから」
そこを指摘されると弱い。ぷにゅるりでは、友達同士が膝枕し合うのは日常茶飯事だった。だから、普通のことだと思うのだが、ぷにゅるりの説明はできないので、口を閉ざすしかなかった。
「それから次に、上野先輩側の問題だけど……」
言いづらいのか、口をもごもごとさせている。
やがて杏子は、覚悟を決めた顔で言葉を発した。
「上野先輩はお姉ちゃんのことが――、す、す、好きなんじゃないかな?」
顔を赤くする。今度は耳まで真っ赤だ。ころころと顔色を変え、忙しない子だった。
私は「そうね」と頷いた。そうとしか答えようがなかったからだ。
杏子は目を見開いた。
「そうねって……。上野先輩の気持ちに気づいてたの?」
「当然でしょ」
胸を張る。ふっと笑いながら続けた。
「大多数の人間が私を好きになり尊敬してくる。美沙は少数側に分類される人間だったけれど、いろいろな経験を経たことで私を好きになってくれたのよ。当然の帰結ね」
「や、そういうやつじゃなくて」
美沙は呆れの色を顔に貼り付けて言った。
「上野先輩って女性と付き合ってたんでしょ。だからその、恋愛的な意味でお姉ちゃんのことを好きなんじゃないかと思って」
「ライクではなく、ラブ的な意味で?」
「そう、それ」
杏子は大きく息を吐き出した。説明するのが辛い、といった様子だ。
私は肩を竦めて笑った。
「ありえないわ」
「どうしてそう断言できるの?」
「美沙には好きな人がいるからよ」
秋葉もみじの何を考えているのかわからない無表情を思い出す。
美沙が私と関係を結んだのは、元カノと復縁する為だった。
簡単に人の気持ちは変わらない。たぶん美沙は、まだあの眼帯少女のことが好きだ。
正直、美沙がもみじのことを好きなままでいるというのは、嫌だった。考えただけで胸糞悪い。私ともみじのどちらが好きでどちらとの関係を深めていきたいか、問い詰めたい思いだった。もちろん、そんなことをするのはプライドが許さないので一生実行するつもりはないけれど。
端的に説明すると、杏子は「そうかなぁ」と懐疑的な姿勢を示した。
「仮にお姉ちゃんの言う通りだったとするよ。でも、それ抜きにしても上野先輩ってたぶん、女性を恋愛対象として見てる性的指向の人だよね。お姉ちゃんは、もっと気を遣わなきゃいけないんじゃないかな。ベタベタしすぎるのは互いにとってよくないと思うよ」
確かにそれは、一理あるかもしれないと思った。
しかし、どれくらい距離を空ければいいのか、いまいちピンとこなかった。定規で測り、美沙に「これくらいなら平気?」と声を掛けている自分を想像してげんなりした。
「ま、実際のところは何もわからないけどね。人の心の問題だから」
唐突に突き放すようなことを言われ、私は眉を吊り上げた。
「は? 今更そんなこと言わないでよ。これまでの会話が全部無駄になるじゃない」
「あ、ごめん。失言だった。でも実際、わからないからなぁ。わたしもお姉ちゃんも、人の心を見通す目なんて持ってないわけだから」
「まったく……どうしてこう、面倒くさいのかしら」
思わず本音が漏れる。サンドバッグを殴りつけたい気分だ。
杏子は柔和な笑みを浮かべて言った。
「そうだよ、お姉ちゃん。人間関係は面倒くさいんだよ」
「なんで嬉しそうなのよ」
「ごめん。人間関係に悩んでるお姉ちゃんが珍しくて。あと、可愛くて」
「私はいつだって可愛いわ」
「そうだね、お姉ちゃんは可愛いもんね」
笑われてしまう。だが、不思議と腹は立たなかった。いっぱいいっぱいだったからかもしれない。
その後、美沙との付き合い方をどうすべきか、夜通し二人で話し合った。
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