第28話


「急に接近されると心臓に悪いです。だから今後は、申請して許可をもらってからにしてください」


 美沙が腰に手を当てて言う。部活の顧問みたいに偉そうだった。


「どういうこと?」

「わたしに触れたい時は触れていいか確認を取るようにしてください、ということです。急接近する時も同じです。オッケーが出たら好きにしていいので。今日からそういうルールでいきましょう」


 異論はありませんよね? と訊いてくる。

 私は憮然とした面持ちで美沙を見つめた。


「何ですかその目? 不満なんですか?」

「そういうわけじゃないけれど。ちなみにこういうのも申請しなきゃ駄目なの?」


 左手を取る。

 美沙は呆気にとられた顔をした。そのまま固まってしまう。

 手を揉みしだく。触り心地がよかった。スベスベしている。こういう肉体的接触はしてこなかったので新鮮だった。なんとなく楽しく感じられる。

 美沙は我に返ったようで、みるみる目を大きくしていった。


「だ、駄目です! 完全アウト! ゲームセットです!」


 全力で手を振りほどかれる。私から距離を取ると壁に背をつけ、頬を朱色に染めながら睨みつけてきた。


「な、なんで言ったそばから触ってくるんですか! 馬鹿なんですか!? 馬鹿でしょ!」

「期末テスト学年三位の私を捕まえて馬鹿とは失礼ね」

「頭いいなら理解してください! こういうの、ほんと困るんですって……」


 瞳を揺らしながら言う。


「う、嬉しすぎて死にますから、金輪際やめてくださいね」


 嬉しいならいいじゃない。

 そう口に出し掛けるが、ぐっと堪えた。心の中の杏子が「お姉ちゃん、よく堪えた!」とガッツポーズを取る。

 美沙はまだ照れているようで、手と手を擦り合わせていた。うぅ、と呻いている。

 その様子を見て、妙案を思いついた。


「ルールを受け入れてもいいわ。ただし条件がある」

「な、なんですか」

「私と一日一回、スキンシップしましょう」

「は?」


 異星人を見るような目を向けられる。私は構わず続けた。


「慣れるための訓練よ。これからずっと距離を取りながら接するなんて馬鹿らしいでしょ。ちょっとずつ慣らして行くの」

「なんですかその体育会系ノリ……。らしくないですよ」

「いちいち申請するのが面倒なのよ。それに距離を置かなきゃ会話できないなんて寂しいでしょ」

「そんなに面倒ですかね……って、え?」


 美沙が瞳孔を広げた。目をぱちくりさせる。


「寂しいんですか?」

「そうだけど……。悪い?」


 視線を逸らす。舌打ちが漏れそうになった。

 言わなければよかった、と少しだけ後悔する。返答を聞くのが怖かった。

 美沙との距離を縮めたかったのだ。以前は絵のため接近した。でも今回は、純粋に仲を深めたいと思って提案した。私の中に芽生えているこの感情が、いったい何なのかを知る必要があったからだ。

 この感情こそが私の手にしたかった「何か」なのだろうか? まだわからなかった。だからこそ、美沙との関係を深める必要があったのだ。

 それに美沙は、私と肉体的接触をするのは嬉しいことだと口にしていた。

 どうせなら喜んでもらおうじゃないか――。

 美沙が目を見開いて私を見つめてくる。


「あの……具体的に、スキンシップってどうするんですか?」

「一日一回、こういうことがしたいと美沙に言うわ。美沙は、されても大丈夫そうか考えて。オッケーなら二人で実行する。提案が無理そうなら、また違う提案をするから。会う日は必ずスキンシップを取るの。単純明快でしょ」

「なるほど、そうですね……。確かにわかりやすいです。わたしの作った申請ルール的にも問題はありません。で、でも……」


 美沙は視線を彷徨わせた。周囲に何かが飛んでいて、それを目で追っているみたいだった。

 みるみる顔を赤くする。でも、とか、ああ、とか、そんなぁ、とか、駄目です、とか独り言を呟き始めた。いったい何を想像しているのか。

 堂々巡りになりそうなので切り込むことにした。


「今日は腕を組んで歩きましょう」

「え、ええっ! 無理ですよそんなの! 急すぎますって!」


 目を剥いて拒絶される。

 私は呆れて言った。


「ついこの間までやってたでしょ。あなたの方から何度も抱き着いてきたじゃない。忘れたの?」

「あ、あの時とは状況が違うんですよ〜」

「あらそう。じゃ、やめにする?」

「えっ………………」


 美沙の顔から色という色が抜け落ちた。絶望がありありと伺える。

 なんだ。本当はやりたいんじゃない……。

 どうするの、と問い詰める。美沙は覚悟の決まった目をした。


「い、いいですよ、やったろうじゃないですか。そんなの余裕ですよ、ヨユー」


 ぎこちない動作で腕を取ってくる。頬が強張っていた。口を一文字に結んでいる。


「また校舎内を歩きましょうか」

「そ、そうですね〜!」


 声が掠れている。緊張しているのだろう。

 二人で歩き出した。しかし、特に目的地があるわけじゃない。私達は、とりあえず中庭の方に足を進めた。

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