後輩の元カノ
第40話
美沙は困惑を顔に貼り付けていた。いまだに状況を正しく理解できていないらしい。
「ねえ、美沙。少しだけ話、できる?」
中原という女が懇願する。微笑みを消すと、弱り切った犬のような顔になった。
美沙はようやく我に返ったようで、硬い表情を浮かべて口を開いた。
「悪いけど、今、せんぱいと一緒だから」
声が冷たい。
中原はショックを受けたという顔をした。そうだよね、当たり前だよね、と呟いている。
美沙はそれを見て、また動揺を浮かべた。
本当は聞きたいのだろう。でも、私がいる手前、聞けないと思っているのだ。
「席を外しましょうか?」
私が言うと、美沙に手を掴まれた。
「ここにいてください」
ぎゅっと握られて心臓が跳ねる。どきどきした。私はどうしてしまったのだろう。自分の精神を、自分でコントロールできていない。頬が熱くなった。
「なんでここにいるの?」
美沙が睨みつけるようにしながら言うと、中原は頬を掻いた。申し訳なさそうに答える。
「実はこっちに引っ越したんだ。いろいろあって地元には居づらくかったからね……。このデパートにいたのは偶然だよ」
「そう」
美沙は沈黙した。考え込んでいるようだった。やがて溜息をついてから、
「……少しだけならいいよ」
そう言った。
「今ここで説明して。わたしを納得させられるものならね」
「ここでいいの?」
私を見つめながら首を傾げる。部外者に訊かれていいのか、と確認を取っているのだ。
美沙は頷いた。ここで話して、と繰り返す。
ありがとう、と中原は微笑み、説明を始めた。
「言い訳にしかならないのは百も承知で言わせてもらうね。私、川本たちから脅されていたんだ」
妹が万引きをして、その現場を見られてしまったらしい。いじめっ子からバラすぞと脅され、美沙と接近するように言われたという。
私は胸の内で「なるほど」と呟いた。美沙を裏切った元カノだったか。
腹の底から不快感が昇ってくる。目の前の女を罵倒してやりたくなった。
しかし、私は平静を装い話に耳を傾けた。美沙がそれを望んでいる気がしたからだ。
「美沙と仲良くなれて楽しかった。読書の話ができるのは美沙だけだったから。最初は脅されてよかったとすら思ったよ」
でも、と眉を顰める。
「川本たちから美沙の写真を要求された。万引きの件をばらすぞって。あの頃の私は心が弱くて、従ってしまった。別れを切り出したのは、これ以上、美沙を裏切れないと思ったからだよ」
ごめんなさい、と頭を下げてくる。
館内アナウンスが流れる。迷子の子供がいるので親御さんは来てくれという案内だった。
美沙を見ると、顔面蒼白になっていた。唇をわななかせてる。
私は美沙の代わりに口を開いた。
「美沙を弄ぶことで、万引きを隠蔽しようとしたわけね」
「……そうですね。どう言い訳しようとその事実は変わりません」
中原は目に涙を溜めながら言った。後悔の念が伺える。
「妹と一緒に店に謝りにいけば済む話だった。後悔してる。本当にごめん。ごめんなさい」
再び頭を下げる。
沈黙が落ちた。家族連れがすぐ脇を通る。楽しそうな声が耳朶を揺らした。
美沙がベンチから腰を持ち上げる。
「せんぱい……」
口元を手で押さえながら言った。
「すみません、お手洗いに行きますね……」
「付き添うわ」
「いえ……。少しだけ一人にさせてください。五分程度で戻ってくるので」
トイレに駆け込んでいく。それを見届けてから、中原を見つめた。
しょげかえった様子で佇んでいる。彼女なりに勇気を振り絞って謝罪したのだろう。
しかし、そんなことはどうでもよかった。彼女の決意や懺悔など、私からしたらその辺に落ちているゴミのようなものだ。美沙を弄び傷つけたという事実は、何も変わらない。
「あの……」
中原が声を掛けてくる。
「美沙とはどういう関係ですか?」
先輩後輩の関係よ、と答えようとして思いとどまる。今の私達を表現する言葉として適切ではないように思えたからだ。そもそも、彼女に答えてやる義理はなかった。
「ひょっとして恋人ですか」
「そう見える?」
逆に質問を返すと、中原は「いえ」と首を振った。
「まったく見えませんね。ただの、先輩後輩の関係に見えました」
微笑みながら言う。何か含みのある言い方だった。
顔を背けて続ける。
「これなら、私にもまだチャンスはあるみたいですね」
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