第6話

 美沙攻略の鍵は秋葉もみじが握っている。私はそう考えた。

 もみじは文芸部に所属していて、放課後は部室にいることが多いと聞く。久々に美沙の誘いもなかったので、私は校舎三階の文芸部室に足を運んだ。扉をノックすると、見知らぬ女子生徒が顔を出した。向こうは私のことを知っていたらしく、恐縮しながら要件を訊いてきた。手短に伝え、中に入れてもらう。

 三人の女子生徒が椅子に腰掛けて読書をしていた。窓際の席に、眼帯の少女がいた。窓の隙間から生ぬるい風が入り込み、彼女の髪を微かに揺らしている。


「もみじさん」


 近づいて声を掛けると、こちらに顔を向けた。相変わらずの無表情だった。


「渋谷姫子よ」

「……渋谷先輩……」


 私は近くの席に腰掛け、もみじと向かい合った。彼女の手元の本の表紙には『黒魔術入門』とある。


「邪魔をしてごめんなさい」

「大丈夫です。読み終わったところなので」


 要件は、と目で促してくる。私は簡潔に伝えた。


「美沙について訊きたいの」

「それは、渋谷先輩の方が詳しいんじゃないですか」

「そんなことないわ。美沙は飄々とした子でしょ。わかりやすいようでわかりにくい。私、あの子が本気で怒ったり悲しんだりしているところをまだ見たことがないの。大きな感情をぶつけられたこともない。でも、あなたは違う。美沙が感情をストレートにぶつける相手はあなたしかいないと思うの」

「そうかもしれませんね」


 否定しなかった。そのことが少し意外に思えたが、話を前に進めることにした。


「なぜあなたに突っかかるのか――もみじさん自身、何か覚えはない? 彼女を怒らせるようなことをしたとか、なにか過去にトラブルがあったとか……」


 釣り糸を垂らす。あとは食いつくのを待つだけだ。

 もみじは何を考えているのかわからない無表情のまま、呟くように言った。


「渋谷先輩は幽霊を信じますか?」


 意外な返答に困惑する。


「えっと……。どうかしら。どちらかというと、否定派だけど」

「そうですか。美沙も幽霊は信じていないようです。一緒ですね」


 いったい何の話をしているのか。こちらの疑問を無視して話を続ける。


「美沙にとって幽霊は、あってはならないモノらしいです。怖いからいてほしくないのか、自分の中の常識が崩れるから嫌なのか――詳しいことはわからないですけど、とにかく美沙は、幽霊の存在を信じていないし、信じている人を見下しているみたいです。そんな美沙が、幽霊と出会ってしまった。最近のことです」


 もみじは私の目を覗き込んできた。


「美沙の中に大きな葛藤が生まれました。信じるべきか、勘違いだと自分に言い聞かせるべきか。出会ったという客観的事実は変えられません。あとは認知の問題です」

「ごめんなさい。何を言っているのか私にはわからないわ……」

「わたしは幽霊を信じています。だから、美沙にも信じてほしかったんです。でも、美沙は信じきれなかったみたいで――もっと素直になれば、世の中を楽しく生きられるのに。でも、少し美沙にも希望が見えてきたのかもしれませんね。渋谷先輩と出会えたので」


 淡々とまくし立てると、もみじは背もたれに体をあずけた。何事もなかったかのように、「紅茶、飲みますか?」と訊いてくる。大丈夫だと伝えて周囲を見た。部員達は読書に集中するふりをしながら、こちらに意識を向けているようだった。

 私は落胆の気持ちを隠して言った。


「いろいろありがとう。参考になったわ。いまの会話、美沙には黙っていてくれると助かるんだけど」

「わかりました」


 彼女から情報を訊き出そうという考えは間違いだった。そう言わざるを得ない。想像以上に変な子だった。別の案を考えるしかないか、と頭を切り替える。

 帰るため立ち上がろうとした。

 その時、扉が開かれた。


「失礼しまーす」


 美沙が入ってきた。

 にこにことした表情で私達の横まで歩いてくる。脇に手を置き、私を見下ろした。


「何しているんですか、こんなところで」


 圧を感じる。私は平静を装って答えた。


「ちょっともみじさんに訊きたいことがあったのよ」

「へえ……。なに話してたわけ?」


 もみじに視線を移す。笑顔が消えていた。


「言えない」

「どうして?」

「それも言えない」

「舐めてんのか。姫子せんぱい、どういうことですか?」

「……本のことを訊いていたのよ」


 美沙は、ふうん、と感情のない声で言った。明らかに嘘だとばれていた。


「美沙、怒ってるの?」


 もみじが小首を傾げて訊く。


「べつに。怒ってないけど」


 こちらに流し目を送ってくる。


「怒ってはないですけど、意外な展開ではありますよね。ま、いいですけど。せんぱいが誰と仲良くしようが、わたしには関係ないので。でも、こいつだけはやめといた方がいいですよ。男をとっかえひっかえするような奴ですから」


 きつい物言いだった。

 緊張が走る。部員の一人は明らかに頬を強張らせていた。


「美沙は人を――自分を信じた方がいい」


 もみじが、淡々とした調子で言った。


「今のままだと辛いだけだから」

「はぁ?」


 美沙は目尻を吊り上げた。


「なにそれ。なんでわたし、もみじに説教されてるの? 意味わかんないんだけど」

「渋谷先輩のこと好きなんでしょ。なら、信じてあげたらいい」

「……くだらない」


 吐き捨てるように言う。

 美沙はしばらく黙りこくってから、覚悟を決めた目をした。腹の中に溜まった様々な感情を吐き出すように口火を切る。


「悪いけど、あんたの恋愛観をわたしに押し付けないでくれるかな。鬱陶しいし気持ち悪いんだけど。金輪際、話しかけてこないで」

「話しかけてきてるのは美沙の方」

「帰ります。お邪魔しました~」


 美沙は踵を返して部室から出た。

 気まずい沈黙が落ちる。

 そんな中、もみじだけが「うーん」と伸びをしていた。腰を浮かせて棚からマグカップを取り出す。紅茶を作るつもりらしい。

 私は椅子から立ち上がり、「失礼しました」とその場を後にした。

 美沙は廊下の壁際に立っていた。近づいて呼びかける。美沙は振り返り、不敵な笑みを浮かべた。その挑発的な態度にほっとする。


「なに安堵した顔しているんですか。怒ってないとわかって安心しましたか?」

「別に」

「素直じゃないなぁ」

「どうやって私の場所を知ったの」

「文芸部の一人がSNSに先輩が来たことを書いていたので」


 溜息がこぼれる。こういうことは珍しくなかった。人気者には付き物の弊害だ。そう割り切るしかない。

 美沙は小憎らしい笑みを浮かべると、私に近づいた。上目遣いで言う。


「姫子せんぱいの魂胆はわかってますよ。どうせ、わたしの弱みを握ろうと色々嗅ぎまわっていたんでしょ?」

「なんのことだかわからない」


 視線を逸らす。


「惚けても無駄です。わたしにはすべてわかっているんですから」


 ペナルティが必要ですね~、と美沙は笑った。私は少しだけ肩を落とした。面倒なことになった。下手に動き回らない方がよかったか。

 美沙は、自分の顔の横で人差し指を立てた。それと同時に「ぴこーん」と言う。


「デートをしましょう!」

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