第16話


 十階建てのマンションだった。オートロックを解除して中に入り、エレベーターで五階まで上がる。肩を並べて廊下を進み、突き当りの部屋で立ち止まると、姫子せんぱいは鍵を取り出した。


「……親御さんいます?」

「仕事で出てるわ」


 ぶっきらぼうに答えながら扉を解錠する。

 姫子せんぱいの家にお邪魔するのは今日が初めてだった。緊張する。

 扉が開くと同時に中を伺った。ぱっと見、綺麗だった。掃除が行き届いている。

 お邪魔します、と中に入ろうとしたところで、「おかえりなさい」と声が聞こえた。手前の扉が開き、スマホを持った少女が姿を現す。

 ショートボブの、セーラー服を着た女の子だった。たぶん中学生だ。少し先輩と顔つきが似ている。

 少女は目を見開き、わたしを見つめた。それから、姫子せんぱいに視線を移す。可愛らしいピンクの唇を動かした。


「お姉ちゃん、そちらの方は……?」

「学校の友達」


 少女はスマホを落とした。がたん、と音が鳴る。


「なんて……?」

「友達よ。何度も言わせないで」

「お姉ちゃんが……ともだち……?」


 街中を歩いていたらライオンと遭遇したような顔をしている。

 しばらくして、はっと我に返ったのか、スマホを拾い、こちらに視線を向けた。


「わたし、渋谷杏子しぶやあんずと言います。この近くの中学に通っている三年です」


 妹がいたのか、と驚く。まったく知らなかった。

 ファンも知らない情報なのではないかな、と思う。

 慌てて自己紹介した。


「姫子せんぱいの後輩の、上野美沙です。同じ高校に通ってます」


 真っ直ぐな瞳に見つめられ、少しだけ緊張する。

 杏子は、ばっと頭を下げてきた。


「上野先輩、今後とも姉のことをよろしくお願いします!」

「えっ……うん」

「ごゆっくりしていってください! それでは!」


 きびきびとした動きで部屋に戻っていく。

 姫子せんぱいは何事もなかったように靴を脱ぎ、スリッパに履き替えた。わたしも同じようにする。


「しっかりしてる妹さんですね」

「生徒会長でバスケ部のキャプテンなの。上下関係に厳しい環境にいるから、あんな感じなのよ」


 高スペックだった。流石、姫子せんぱいと同じ血を引いているだけはある。


「それにしても可愛い子でしたね~。学校でモテてるんじゃないかな〜」

「そう? 私の方が可愛いしモテるでしょ」

「せんぱい……」

「何よその目は」


 本当にどうしようもないな、この人は。


「ま、残念なところがせんぱいの魅力ですもんね。慣れました」

「悪口を言われている気がするわ……」


 廊下の突き当たり手前のドアを開く。

 六畳くらいの部屋だった。勉強机、椅子、ベッド、テレビ、本棚が置かれている。部屋の中央には小さなテーブルとクッションがあった。

 くんくん、と鼻を鳴らしてみる。


「めっちゃいい匂い……。女子高生の部屋って感じですね〜」

「その報告、別にいらないわ。あと、あなたも女子高生でしょ」


 しらっとした目を向けてくる。呆れられてしまったらしい。

 クッションに座らせてもらう。姫子せんぱいも対面に座った。


「そういえば今日、体育が一緒でしたよね」


 話を振ると、姫子せんぱいは「そうね」と素っ気なく応じた。


「ウィンクしてきてびっくりしましたよ。どういう風の吹き回しですか」

「美沙と目が合ったから思わずやってしまったのよ。気づいてくれてよかったわ」

「え……」


 声が震える。次の瞬間、頬が緩みそうになり、ぐっと堪えた。

 なぜ、思わずやってしまうのか。どういう意図があってそんなことをするのか。いろいろと訊きたかったが、回答によっては悶絶死するかもしれない。

 違うことを訊いた。


「昨日二人で授業をサボったじゃないですか。そのせいで変な噂が立っているみたいですよ。知ってます?」

「付き合っているんじゃないか、と思われているみたいね」


 舌打ちする。


「何度も声を掛けられたわ。本当に付き合っていたんですね、って。詮索されて面倒だった」

「へえ。なんて返してたんですか?」

「付き合ってない、美沙はただの後輩よ、と答えておいたわ」

「はぁ……そうですか……」


 頷き、敷かれているカーペットを見つめた。しゅんとする。ほこりが落ちていたので指で摘み、近くのゴミ箱に捨てた。

 そこでハッとする。

 しゅんとするのは変だろう。姫子せんぱいは事実を言っているだけだ。わたしが落ち込む要素は何一つない。

 そうね、と姫子せんぱいは口を開いた。


「最初はただの後輩と答えたわ。けれど、違うと思って訂正したのよ」


 顔を上げる。

 姫子せんぱいは淡々と続けた。


「ただの後輩ではなく大切な後輩よ、と訂正したわ。クラスメイトはそれで納得してくれたみたい」

「……」

「あなたは私にとって、後輩ではないものね。そうでしょ?」

「――あひゅっ……」


 顔を逸らす。火であぶられたように体が熱くなった。たぶん、耳まで真っ赤になっているに違いない。

 落ち着け、落ち着くんだ、と自分に言い聞かせる。

 大切な、というのは、友達として大切な、という意味だ。変な期待をするな。

 というか、そのクラスメイトさんには絶対誤解されている気がする……。

 深めの呼吸を繰り返していると、扉がノックされた。


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