第21話
重たい足を引きずりながら電車を乗り継ぎ、学校までの通学路を歩く。九月下旬の生暖かさを残した空気を肌に感じながら、坂の上を眺めた。今日は雲一つない快晴だった。
はぁ、と溜息をこぼす。
昨日の行動を思い返して死にたくなった。自意識が暴走して空回りを連発。あげく、きょとんとする姫子せんぱいから逃げて帰宅してしまった。
『どうしたのよ』
マンションを出て数分後、姫子せんぱいからメッセージが入った。だが、既読スルーしている状態だ。
「なんて返せばいいんだよ……」
呟きながら昇降口に入り、靴を履き替えて教室に足を運んだ。
さくらと千代田の二人に挨拶してから、自分の席に向かう。腰掛け、ほっと一息ついたところで、
「あの……」
声を掛けられて横を向く。違うクラスの女子生徒が立っていた。前髪を垂らしていて表情が伺えない。知らない子だった。
どうしたの、と訊いても答えず、彫刻のように固まっていた。
困り果てていると、彼女は、聞き取りづらい声を発した。
「姫子さまと本当に付き合っているの?」
すでに何度も答えている質問だった。
苦笑しながら答える。
「付き合ってないよ。友達ではあるけどね」
「ほんと?」
「うん」
「嘘ッ」
急に尖った声を出されて驚く。何人かのクラスメイトがこちらに視線を向けた。
「姫子さまと、付き合っているんでしょ。二人で歩いているところを見た」
「遊んでただけだよ。友達なんだから当然のことでしょ」
「嘘、嘘、嘘」
まずい。どうやら彼女は、姫子せんぱいの信者みたいだ。
しかもとびきり厄介なタイプの。
姫子せんぱいと絡むようになってから、何度か、ファンの子には声を掛けらている。文句を言われるかなと毎回身構えるのだが、「羨ましい」「どんな話したか訊かせてよ!」と馴れ馴れしく言われ、拍子抜けしたものだった。あの頃は、わたしが強引に姫子せんぱいにくっついていると思われていたから、皆、余裕があったのだろう。
でも、今は違う。
前髪から瞳が覗く。親の仇を見るような目だった。
「嘘、嘘、嘘、嘘」
同じ言葉を繰り返している。鬼気迫るものがあった。周囲がざわついている。
わたしは頬杖をつき、彼女を眺めて微笑んだ。
「何? 何を笑ってるの?」
嘘だという連呼をやめ、冷静に訊いてくる。
「姫子せんぱいのこと好きなんだな~、と思って」
「好きよ。あの人は、神様みたいな存在で、いつも私を照らしてくれているの。誰にでも平等で、誰にでも優しくて……。言葉では言い表せないほど、素晴らしい人なの」
だから、と続ける。
「独占は許されない」
わたしは心から彼女に同情した。
姫子せんぱいは神様とは似ても似つかない存在だ。平等ではないし、優しくもなかった。
あの人は天邪鬼でプライドが高く自分勝手だ。おまけにオタクで人間的な弱さを持っている。そして時々、わたしにだけは甘く接してくれていて……。
そこまで考え、口元を緩めてしまう。
「何? 何をニヤケてるの?」
彼女がまた尖った声を出す。
「上野美沙さん。あなたは良い人よ。一年の中では特に。しかも人気者。でも、姫子さまとは格が違うの。月とスッポンなの。それを理解して」
一本調子で続ける。
「独占しないで。姫子さまを困らせないで。姫子さま、迷惑に思っているはずだから。優しいから何も言わないだけで、きっとそう思っているに違いないから。釣り合ってないの。だから、離れた方がいい。それはあなたのためでもあるの。姫子さまは孤高なの。一人でいるべきなの。だから――」
「何も知らないくせに」
思わず本音が出る。
自分の口から出たものとは思えないほど、冷め切っていた。
彼女は目を丸くした。それから息を荒げ、鋭い目で睨んできた。
真っ向からそれを受け止める。しばらく睨み合っていると、
「この人は友達?」
千代田が声を掛けてきた。彼女から視線を逸らして肩を竦める。
「知らない人だね」
「そっか」
千代田は彼女の方を向き、淡々とした調子で言った。
「そろそろホームルームが始まる。戻った方がいいね」
「邪魔しないで」
「申し訳ないけれど、今、邪魔になっているのは君の方だ」
彼女は言葉に窮した様子でわたし達から視線を逸らすと、大きく舌を鳴らした。のっそりとした動作で教室を去っていく。
張り詰めていた空気が弛緩していくのを感じた。誰かの溜息が聞こえる。それを皮切りに、さまざまな意見が飛び交った。
「ひゃー、怖かった」「隣のクラスの沢村さんでしょ?」「知ってる。渋谷先輩のガチ恋勢の人だよね」「ひやひやしたよー、美沙ちゃん大丈夫だった?」「災難だったね」「ってか千代田さま格好いい」「うん、格好よかったね」「千代田さま好き~」「スパダリすぎるわ」
心配する声と賞賛する声が半々。あとは、沢村という生徒を非難する声も聞こえた。
「余計なお世話だったかな?」
千代田が訊いてくる。
「いーや、ナイスタイミングだった。ありがとね」
実際、来てくれなかったら話の落としどころを見つけられず、面倒なことになっていただろう。助かった。
「もっと感謝してほしいよね~。ジュースおごってもらっちゃおっかな~」
さくらが千代田の背後から、ぬっと顔を出して言った。ずっと背後にいたらしい。
「さくらは何もしてないじゃん」
しらっとした目を向けると、フグのように頬を膨らせませた。ぶー、と呟きながら腰を落として、座っているわたしと目線を合わせてくる。
「そんなことないもん。千代田の背中押したもん。ねっ、千代田?」
「え、あ、うん……」
気まずそうに視線を逸らす。
「怪しいな……。実際はどうだったの? 本当のことを教えて」
「そうだね。言葉を濁さずに言うと、さくらは眉間に皺を寄せて『こわ~、関わらないでおこうよ』って言ってたかな」
二人でさくらを見つめる。
さくらは目を見開き、不満げに唇を尖らせた。
「なにこれ? さくらが責められる流れなの? なんか納得いかないんですけど~」
わたしは苦笑して、さくらの頭を撫でた。
「怖いけど千代田と一緒に来てくれたんだよね。ありがと、さくら。嬉しいよ」
「……撫でんなよ~……うざ~……」
さくらが抵抗するように頭を振った。しかし、本気ではないようで、わたしの手を振り払うようなことはなかった。
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