第37話(美沙視点)

 

 美少女キャラクターのポスターが壁一面に貼られている。

 近くの棚を見ると、フィギュアが並べられていた。オタクな人たちがそれを眺め、楽しそうに雑談している。

 アニメショップに来ていた。

 秋葉原駅で降りた時点で、うすうすは察していたが……。


 姫子せんぱいは、まるで遊園地に来た子供のような顔であちこちに視線を向けていた。興奮を抑えきれていない。こんな姫子せんぱいを見るのは、ぷにゅるりアニメ化決定の知らせを受けて以来かもしれない。

 全年齢向け同人誌コーナーに足を運ぶと、ぷにゅるりの本が平積みされていた。


「へえ、現物はこうやって置かれているのね……。いつもネットで購入しているから知らなかったわ。取引の現場を見るのは初めて」

「なんか危険な発言……」

「あっちに行きましょう」


 足を進める。わたしは溜息を漏らしながら後についていった。

 漫画の新刊コーナー、ライトノベルコーナーを進んでいくと、18禁コーナーがあった。中に入っていこうとするので慌てて呼び止める。


「ストップです!」

「何よ」

「わたし達、未成年ですから」


 小声で言う。

 姫子せんぱいは舌打ちした。仕方ないわね、と踵を返す。

 マリアちゃんのセクシャルな同人誌がほしかったのだろう。わかりやすい人だ。

 アニメコーナーに行くと、ぷにゅるりの告知ポスターが貼ってあった。目をきらきらさせながら「美沙、見て。マリンちゃんがいるわ!」と服の袖をぐいぐいと引っ張ってくる。

 子供かよ。


「いよいよマリンちゃんが動くのよ。ほんと楽しみ。放送が待てない」

「ですね」

「一緒に観ましょうね」

「はいはい」

「約束だからね!」

「……っ……」


 言葉に詰まってしまう。普段だったら絶対に見せないであろう、とことん無邪気な笑顔を向けられたからだ。きゅんとして心臓が痛くなる。可愛くて抱きしめたくなった。

 わたしだけが見れる姫子せんぱいの一面だった。

 姫子せんぱいのこういう顔、一生近くで見ていたいなぁと思った。



 店を出てハンバーガーショップに足を運ぶと、かなり混雑していた。


「美沙はジャンクフードが好きなんでしょ?」


 どこで仕入れてきた情報なのか、得意顔で言う。

 確かに好きだ。でも、せっかくのデートで食べるものだろうか。

 とはいえ、姫子せんぱいが連れてきてくれたのだ。わたしは物わかりのいい後輩らしく「好きです!」と満面の笑みを浮かべた。すると姫子せんぱいは目を細め、わたしを凝視してきた。


「本当に喜んでる?」


 どきりとする。


「え? なんで疑うんですか?」

「なんとなくよ。付き合いが長くなってきたから美沙の考えていることはわかるようになってきたのかも」

「……そ、そうですか……」


 照れくさくなり視線を逸らす。甘酸っぱい気持ちになった。

 わたしは早口で言った。


「せっかくの休日デートでジャンクフードはどうなんだって思ったのは事実です」

「やっぱり」


 肩を落とす。見るからに、しゅんとしていた。

 わたしは慌てて言った。


「でも、好きなのは事実です。いざメニューを見てみたらハンバーガー食べたくなってきましたもん。食べましょうよ!」

「そう?」


 姫子せんぱいは気を取り直したようで、メニューを眺めながらレジへと並んだ。注文を済ませ、二人で窓際のテーブル席に向かう。数分後、店員さんが注文した商品を持ってきてくれた。さっそく手を動かす。

 包みを外してハンバーガーに口をつけようとしたところで、おや、と首を捻った。姫子せんぱいが包まれたハンバーガーを持ち、固まっていたからだ。


「どうしたんですか」

「これ、どうやって食べるの?」


 きょとんとする。


「包みを開けて中に入っているものを口に入れるんですよ。それから咀嚼して呑み込むんです」

「馬鹿にしてるの?」


 眉を吊り上げて睨まれる。


「開け方がわからないのよ。ハンバーガー、初めて食べるから」

「ええ!」


 驚く。


「せんぱい、お嬢様ですか?」

「そうよ」


 なんでもないことのように言う。

 そういえば、春浪女学園ってお嬢様学校だったか。すっかり忘れていた。姫子せんぱいも金持ちなのだ。

 かくいうわたしも今ではそこそこ裕福だった。父が金持ちの女性と結婚したからだ。いわゆる逆玉というやつである。

 とはいえ、お嬢様だってハンバーガーくらい食べるのではないだろうか。千代田とさくらとわたしの三人でハンバーガーショップに来たときは、二人共、食べ慣れた様子だった。

 せんぱいがかなり特殊なのでは?

 そう思っていると、姫子せんぱいは包みをカサカサさせた。難解な暗号を解こうとしているミステリマニアみたいな顔で口を開く


「ジャンクなものは肌に悪いそうよ。だから食べないようにしていたの」


 なるほど。そういうことか。

 しかし、そうなると疑問がわいてくる。


「今日はなんでここに来たんですか……。食べるのを避けてたんでしょ?」

「そんなの決まっているじゃない」


 溜息をついてハンバーガーをトレーの上に戻す。それから、いつものクールな表情でわたしを見つめてきた。


「美沙が好きだからよ」


 心臓が跳ねた。

 体が硬直する。周囲の音が消失して、姫子せんぱいしか見えなくなった。


「ハンバーガー、好きなんでしょ?」

「えっ」


 姫子せんぱいはポテトを手に取ると、口に咥え、少しずつ食べていった。咀嚼して呑み込んでから、笑顔を浮かべる。


「これ、美味しいわね」


 脱力する。あはは、と乾いた笑いを漏らした。

 心臓に悪い。そう抗議したくなるが、たぶん悪いのはわたしだ。

 包みの取り方を教える。そこでようやく、姫子せんぱいはハンバーガーを口に入れた。咀嚼して呑み込み、「悪くない」と感想を呟く。

 それを眺めていると、ふいにスマホが震えた。

 メッセージを確認して、「おっ」と口に出す。

 姉さんからだった。


『ぷにゅるりの作者が緊急生配信するって。あと一時間後』


 二時から配信か。

 そういえば、チャンネルを開設していたっけ。まだ一本も動画は投稿していなかったはずだ。


「せんぱい」


 さっそく教えてあげようと口を開く。きっと喜ぶはずだ。姫子せんぱいが「何?」と訊いてくるのを見て、わたしは言葉を飲み込んだ。

 ぷにゅるりの作者が一時間後に生配信を始める。そのことを知ったら、姫子せんぱいはどんな行動を取るだろう?

 デートより生配信を優先するのでは?

 

「美沙?」


 わたしはスマホをポケットに仕舞い、笑みを浮かべた。


「何でもありません。姉からおつかいを頼まれただけです」


 ストローを咥えて吸い上げる。コーラを胃の中に流し込んだ。

 胸にちくりとしたものを感じたが、気にしないふりをしながら、わたしは姫子せんぱいとの昼下がりを楽しんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る