第38話(姫子視点)
飲み物を口に含みながら美沙の表情を観察する。学校での話を楽しそうにしているが、時折、別のことに気を取られているような雰囲気があった。さきほどスマホを見た時、本当は何か、嫌な知らせを受けたのかもしれない。
私はナプキンで口元を拭い、ふう、と息をついた。
初デートの時と違い、がっつりとしたプランは考えてきていない。二人で行きたい場所を話し合って決めようと考えていたからだ。しかしこの様子だと、美沙の口からまともな提案は出そうになかった。
美沙が話し終えると、気まずい沈黙が流れた。
隣の席のカップルの声が耳朶を打つ。
私は口を開いた。
「そういえば今日、スキンシップしてなかったわよね」
「え? やるんですか?」
「当たり前でしょ。ルールはルールよ。私にとっては会話と同じくらい大切な時間なんだから」
手元のポテトを持ち上げながら言う。
「今日はあーんで食べさせてあげるわ」
口の前に持っていくと、美沙は抵抗することなくピンクの唇を開いた。ぱくりと咥え、そのまま食べる。次々とポテトを口に運んでいった。
動物の餌やりみたいで楽しい。しかし美沙は、心ここにあらずといった様子だった。
いつもなら「あの、恥ずかしくなってきたんですけど……」と抗議の声が飛んでくる頃合いだ。しかし黙々と顎を動かし続けている。
やはり何かあったのだろう。
私は、美沙の口に運ぶはずだったポテトを自分の口に咥えた。
美沙が動きを止め、目を見開く。流石に驚いたらしい。
顔を近づけながら言う。
「たへて」
「え?」
「くち移し」
美沙は目を見開き、「はぁ!?」と大声を上げた。周囲の客がこちらに視線を向ける。
「な、ななな、なにを言ってるんですか。約束と違いますよ!」
「あーんって、たべはへてあげる。ほら、口あけて。あーん」
手で食べさせてあげるとは言っていない。ルール違反ではなかった。
美沙は凍り付いたように私を見つめてから、覚悟を決めた表情で顔を近づけてきた。目の端に涙を溜めている。頬が引き攣っていた。
やがてポテトを咥える。
引っ張るようにしながらポテトを奪い取ると、背もたれに体を預け、天井を見上げた。紅潮していて、軽く涙を流していた。
「今の見た?」「見た見た」「なんかエロくなかった?」「ていうかどっちも美人じゃね」「特に黒髪の方。芸能人?」
近くの席にいた男女混合の中学生グループが、私達を見て盛り上がっていた。美沙はさらに顔を赤くする。
「いったい何なんですかもう……」
ポテトを食べ終えて恨めしそうに呟く。私は肩を竦めて言った。
「あなたが悪いのよ。つまらなそうにしているから」
「そんなことないですけど」
「さっきの連絡は本当にお姉さんからだったの?」
「そうですよ」
「要件は買い物だった?」
「……」
黙って視線を逸らす。やはり何か、よくない知らせを受けたのだろう。
私は溜息をついた。
「美沙は、私のことを信用していないのね」
「え、いや、そんなことはないですけど……」
表情を強張らせる。大人に叱られた時の子供みたいな反応だった。
「な、なんでそうなるんですか? 意味不明です」
「私に言えないことがあるんでしょ? 美沙からすると、私は頼りにならない先輩だものね。仕方ないわよね」
顔を背けて言う。こんなことを言うのは屈辱だった。でも、言わずにはいられなかった。美沙にもっと頼ってほしかったからだ。
私は改めて訊いた。
「ひょっとして、デートを抜け出さなきゃいけない用事が入ったの? だから言えなかった? 私に気を遣って?」
「違います」
美沙は肩を落とすと、諦観の色を浮かべた。ゆっくりと口を動かす。
「買い物の連絡ではなくて、ぷにゅるりの作者さんが生配信を一時間後にするという報告が入ったんです」
拍子抜けする。家族の不幸のような話だと思っていたからだ。ほっと胸を撫で下ろす。
美沙は顔を伏せた。
「わたしって嘘ばかりですね……。どうしてこうなんだろう……。最低ですね」
自分を責めるように言う。自己嫌悪に浸っているようだった。
「なぜ嘘をついたの?」
「姫子せんぱいが、生配信を優先すると思ったからです」
顔を上げ、泣きそうな顔で「ごめんなさい」と謝る。
私は憮然とした面持ちを作った。まったく、と吐息を漏らす。
本当にどうしようもない後輩だ。
「あなたは馬鹿ね」
「え?」
私は不敵な笑みを浮かべて言った。
「私が好きなのは、マリンちゃんが出てくるぷにゅるりであって、ぷにゅるりの作者ではないのよ。そこ、勘違いしないでもらえるかしら?」
胸を張る。
確かに、予定のない休日であれば生配信を見ていた可能性は高い。でも、今日は美沙とのデートだ。
「美沙を優先するに決まっているでしょ。仮にマリンちゃんメインの告知動画だったとしてもあなたを優先するわ」
美沙が目を見開く。信じがたいものを見るような目だった。
沈黙が流れる。
私はその沈黙を埋めるようにしながら言った。
「どうしても観たくなったら美沙と一緒に観ればいい。そうでしょ?」
「わたしのことを優先してると言えるんですかね、それ」
服の袖で目元を拭い、顔をこちらに向ける。安心しきった表情を浮かべていた。
「考えすぎましたね」
「美沙はウジウジ悩みすぎなのよ」
「すみません。でも、これがわたしなんです。不安で不安でどうしようもない奴なんですよ」
そうみたいね、と呟く。
美沙を見つめる。大切な後輩に寄り添たいと思った。
「悩みがあるならいつでも相談なさい。私が聞いてあげるから。迷惑なんて考えなくていいわ。あなたが面倒でウジウジしていることなんて百も承知だから」
「酷い言い草ですね……。まぁ事実ですけど」
「美沙にもっと頼ってほしいのよ。だって、私はあなたのことが――」
言いかけていた言葉を飲み込み、あれ、と心の中で呟いた。
「……せんぱい?」
美沙が目を丸くする。
あなたのことが、と口の中で繰り返した。思考が空回りしている。
私は今、何と言おうとした?
言葉が浮上してくる。それは意外でも何でもない言葉だった。
――好きだから。
そうか、と思う。
私は美沙が好きなのか。
それはそうだろう。
好きでなければ、スキンシップはしない。休日デートもしない。
しかし、この「好き」がどういうタイプの「好き」なのか。マリンちゃんを見ている時とは、また違ったタイプの「好き」な気がする。
「あのー、せんぱい?」
また声を掛けられ、私は我に返った。とにかく相談して、と早口で告げる。それから立ち上がり、トレーを持ち、二人で後片付けをしてからハンバーガーショップを後にした。
なんとなく気恥ずかしくて、美沙の顔をしばらくまともに見られなかった。
まだデートは始まったばかりだった。
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